【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】
第8話)ティー&スパイス

《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》

テッカディは観光拠点の街であると同時に、周辺で収穫される香辛料や茶葉の集積地でもあった。街にはスパイスショップが立ち並び、街中一体にカルダモンの芳しい香りが漂っている。

南インド・ケララ 旅行記|スパイスショップが立ち並ぶテッカディの街
スパイスショップが立ち並ぶテッカディの街

周辺の茶畑やスバイス農家では、観光客向けに農場見学のツアーを行っていると聞いたので、観光案内所で詳細を尋ねてみた。

「4km先にアブラハム・スパイスガーデン、12km先にコネマラ紅茶工場があります。どちらもバスで行けます。先に紅茶工場に行ってから、次にスパイスガーデンに戻ってくるようにすると良いでしょう。」

と的確なアドバイスが帰ってきた。

公営バスで曲がりくねった山道を暫く行くとコネマラ紅茶工場が見えてきた。ここでは1時間ごとに見学ツアーが実施されている。

南インド・ケララ 旅行記|コネマラ紅茶工場
コネマラ紅茶工場の農園

係員のガイドで、まずは茶畑の中に案内される。

「ご覧ください、これがお茶の木です。そして所々にある背の高い木が何かおわかりになりますか?」

畑の茶の木は日本の茶畑の木と同じように見えるが、点在する背の高いものはいったい何だ?

 「あれは胡椒です」

なんと、インドでは茶畑で胡椒も採れてしまうのか、一石二鳥ではないか。

広大な茶畑で収穫された茶葉は、敷地内にある植民地時代から使われている年代ものの工場に運ばれる。工場周辺には茶葉を焙煎する芳ばしい薫りに包まれていた。

 「すいません、工場内部は撮影禁止です。」

何、撮影禁止だと!見かけはクラシックだが、実は最新テクノロジーの企業秘密とやらとでもが詰まっているのだろうか。

南インド・ケララ 旅行記|コネマラ紅茶工場
年代ものの紅茶工場、内部は撮影禁止

しかし、工場内は博物館なみの古い設備がせっせせっせと茶葉を乾燥させ、細かく砕いて、懸命に粉へと仕上げているだけで、企業秘密のカケラも見えない。そもそもこの工場の燃料はローテクな薪だぞ。最新テクノロジーなどあるわけない、何が撮影禁止だ、と思ったら

「皆さん、見学ツアーおつかれ様でした。工場内の様子はこのDVDで見れます。一枚225ルピーです。いかがですか?」

撮影禁止の心はそういうことだったのか。さすがインド人、 商売が上手いね。

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紅茶工場を見学した後、今度はアブラハム・スパイスガーデンに向かった。路線バスの車窓からは、整備された茶畑の連なりが続き、所々にある小さな教会をかすめていく。この辺りはキリスト教徒が多いようだ。

スパイスガーデンのゲートをくぐると小さな民家があった。

 「見学したいのですが」

と、民家のおばさんに申し出ると、目の前の細い獣道を登って行けとワイルドなことを言う。

5分程険しい細道を登っていくと、農園主と思われる親父の説明に耳を傾ける観光客の一団に追いついた。農園見学ツアーは既に始まっおり、僕もその一行に加わわらせてもらった。先に訪れたの紅茶工場は企業の経営で、見学ツアーも組織立っていたが、ここのスパイスガーデンは個人農家の運営で、見学もユルい感じだ。

 「ほら、これが胡椒の実じゃ。」
 「あそこにはカカオがなっとる。」
 「足下にあるのはカルダモンじゃ、わかるか。」

南インド・ケララ 旅行記|アブラハム・スパイスガーデン
アブラハム・スパイスガーデン

素人目には、一見ただの雑草しか生えていない山のように見えたのだが、中に入ってみると、ここは多種多様なスパイスの宝庫であった。この辺りはお金のなる木がウジャウジャだ。

と、ここで今更ながらの歴史的事実を再認識した。ケララの山岳地帯がインド有数の、すなわち世界トップクラスのスパイスの宝庫だったからこそ、大航海時代にヨーロッパ各国はインドを目指したのだったという事実を。

もしケララにスパイスがなかったなら、バスコダガマはインド航路を探索することもなく、コロンブスもアメリカを発見せずに人生を終えていたであろう。ある意味、今日の世界を形作ったのは、ここケララのスパイスだったのだ。

その影響力の大きさを振り返ると、インド山奥の自然の恵みの豊穣さに、改めて驚きを覚えるのであった。

(続く)


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最終更新:2016年08月24日 11:03