【モザンビークで観光旅行?!】
第11話)"格差"に感謝?

《モザンビーク旅行記|マプート|カテンベ|イニャンバネ|トーフ》

大半の日本人がモザンビークという国から連想するイメージは「危険」という言葉だろう。僕も初めはそうだった。でも実際に行ってみると、十分注意したせいもあるが、強盗にも会わなかったし、「な~んだ十分観光できるじゃん。」というのが率直な感想だ。欧州や南アからの観光客はうようよいるし、内戦は遠い過去のものとなりつつあるのに、未だ日本では戦時やその後の自衛隊PKO活動時の情報とイメ-ジで止まっている。残念なことだ。

『数年前だったらモザンビークに観光旅行で行くなどということは考えられませんでした。.........』と始まるモザンビーク大使館のPR文はウソではなかった。

今回の旅で一番怖かったことと言えばニュクリア・デ・アート博物館でのささいな出来事かもしれない。そこには内戦で使われた銃を素材にしたオブジェが展示されていた。何人もの人の命を奪った武器の廃材から、楽器を奏でる人や、踊る人など、生きる喜びが力強く表現されたアートが生み出されていた。痛みを乗り越え未来を切り開こうとする強い意志が感じられる作品に思わずシャッターを押したときである。

 「ナォン、フォトグラフィア!!(写真はダメ!!)」

この職員に怒られたときが、最も怖かったときであろうか。

機関銃の廃材で作られたアート
機関銃の廃材で作られたアート

さて、そろそろこの国を離れなくては行けない。マプートの空港でいそいそとチェックインを済ませた(残念ながらこの日の担当官は街で僕に声をかけてきた人ではなかった)。そして帰国モードに着替えようと更衣室代わりのトイレに向かう。相変わらず薄暗いロビーを抜け、2階のトイレの個室に入り扉を閉め鍵を掛ける。

おやっ? 鍵がない!

しかたなく隣の個室も調べてみるが、その隣も、そのまた隣もみな鍵がないか、あっても壊れている。首都の空港でさえこんな調子だ。結局一つだけなんとか鍵のかかる個室を見つけ、埃にまみれた服を真新しいものに着替えた。

出国もトラブルなく済み、あっさり一時間のフライトでヨハネスに着く。W杯を控え拡張工事中の南アの空港はマプートのそれの何十倍も巨大だ。予め頼んであったトランジットホテルからはきちんと迎えの車が来ていたし、だだっ広いハイウェイなんて代物まである。全く南アの先進国ぶりといったらモザンビークとは比べ物にならない。この格差はいったいどういうことだ。

南半球の8月は冬、夕暮れ時は肌寒くもある。夕闇せまる高速道路の中で僕はふと思い至った。モザンビークが意外にフツーに旅行できる国であったその理由を。それは紛れもなくモザンビークと南アの格差のおかげであると。

モザンビークの内戦が終わると、南アの小金持ちたちは北の隣国の暖かい海辺(南半球では北が暖かい)と太陽を求めて大挙して訪れだした。おかげでそれなりに旅行インフラが整い、へなちょこ旅行者の僕でも観光できるまで発展したのだ。進んだ南アの文明社会を目の当たりにするとそう感じられずにはいられない。

ヨハネスのトランジットホテルの敷地は、侵入者を防ぐため高い塀で外部から遮断されていた。貧富の差が著しい南アでは国内にも絶望的に大きな"格差"が存在する。ホテルの壁はその象徴のようにも思え、南アの"文明"も所詮この遮断された内側の世界だけのもののように感じられた。

まがりなりにも僕がモザンビークを観光できたのは、こうした幾つもの"格差"のおかげなのだろうか? だとすると、僕はこの"格差"に感謝しなければならないのか。。。

=FIN=


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最終更新:2016年08月24日 09:37