【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】
第3話)パラワ村の犠牲祭II

《インドネシア旅行記|タナトラジャ|ランテパオ|マカッサル|ジョグジャカルタ》


【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】第3話)パラワ村の犠牲祭II

翌朝、僕はまた街の観光局を訪れた。昨日教えてもらった情報は日程が違っているので、セレモニーのスケジュールを再確認しに行ったのだ。

昨日訪れたパラワ村だが、その村で犠牲祭があるのは今日だと職員のお姉さんは言い張る。よし、そこまで言うのならもう一度訪れてみよう。早いうちに訪れれば、犠牲祭の瞬間を見ることができるかもしれない。

というわけで、僕はまたもやスクーターを飛ばしてパラワ村へ向かったのであった。

会場にたどり着くとスピーカーからは厳かな民族音楽が流されていた。そして竹で組まれた柵には生きた水牛が何頭もつながれている。

インドネシア旅行記|パラワ村
柵には水牛が何頭もつながれている

おや、これは何かが起きそうな気配がする。そう思った矢先であった。

つながれた水牛の中の一頭に対し、男が近づき短刀を一閃、牛の喉を掻き切った。

牛は一瞬自分に何が起きたのかわからないような顔をし、しばし立ちすくんだ後、いきなり音もなく崩れるように倒れた。

そして、一呼吸おいて牛の喉から大量の血が地面に流れ出し、その後牛は体を起こそうと試みるが、叶うことなく地面に頭を打ち付ける。

2、3回そのような動きを見せた後、静かに牛は息をひきとった。

それにしても刃物のたった一度の一閃で、こんなにも鮮やかに巨大生物が息絶えてしまうものなのか。ともかく見事な急所の捉え方としか言いようがない。

インドネシア旅行記|パラワ村
たった一度の刃物の一閃で、牛は息をひきとった
インドネシア旅行記|パラワ村

牛が動かなくなったことを確認した男達は、皮と皮下脂肪の間に手際よくナイフを当てる。そして5分もしないうちに巨大な水牛の皮を一気にペロッと剥ぎ取ると、先程まで生きていた巨大な獣は、皮革製品の原料と食肉畜産物の塊にと変容していた。

肉からは内臓が取り出され、丁寧に部位ごとに選別されていった。

マグロの解体ショーなら日本の魚屋でも見られるイベントだが、水牛の解体ショーを一般人がライブで見学できるのは世界でもここタナトラジャだけであろう。

それにしても動物は恐怖を感じないのだろうか。目の前でお友達が解体されてるにもかかわらず、その脇で他の水牛達は何事もなかったようにキョトンと佇んでいる。

その一方で、何かいつもと違う雰囲気を察したのか、興奮してボトボト雲古を垂れ流す牛もいる。中には隣の雌牛に乗りかかってHしようとするオスもいる始末。

ともかく最初の一頭を屠ってから解体するには2時間はゆうにかかっていた。柵に繋がれた残りの牛もこの調子で処理して行ったら何日あっても時間が足りない。一体どうなるんだろうと思っていると村長らしき男が挨拶に立った。

どんな演説をしているのかさっぱり分からないが、長々と口上を述べた後、最後は「アーメン!」と締めくくった。

 えっ、君たちキリスト教徒なんですか!!

だが、よく考えればこれは合点がいく。インドネシアの大多数はイスラム教徒だが、イスラム教徒は豚を食べない。また牛を神と崇めるヒンドゥー教徒が水牛に刃を向けることなどありえない。

部族の伝統的な生活とキリスト教は相性が良かったということなのだろうか。

ともかく村長の挨拶がアーメンで終わった後、残り約10頭の水牛達のアーメンが始まった

一頭ずつ牛の喉を短剣で掻き切ると牛は悲鳴を一切あげることなく、ドサッドサッと崩れ去っていった。こうして1時間ほどの間に、全ての水牛が天に召された。

インドネシア旅行記|パラワ村
巨大なドラム管では牛骨スープが美味しそうな匂いをあげていた

傍らでは宴の準備が進んでいる。巨大なドラム管では牛骨スープが美味しそうな匂いをあげ、刻まれた牛肉は香草とともに竹筒に詰め込まれ、炭火でいぶされ、香ばしい伝統料理へと仕立てられていった。

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祭りを見守るトラジャの人々

生贄を捧げて祖先を弔いつつ、トラジャの人々は仲間達と宴に興じていた。そして、ふと彼らの手元を見るとそこにはスマホが。

解体された牛の傍らで、トラジャの人々はFacebookで「いいね」を送りあっていたのであった。

(続く)


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最終更新:2018年09月04日 00:19