【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】
第2話)パラワ村の犠牲祭I
《インドネシア旅行記|タナトラジャ|ランテパオ|マカッサル|ジョグジャカルタ》
夜行バスの旅は快適であった。朝6時にタナトラジャの観光拠点の街ランテパオに到着。ホテルに着くと早速自称ガイドが声をかけて着た。
「今日はどこそこで儀式がある。セレモニーを見て、その後こっちに行ってあっちを回って120ドルだ」とツアープログラムを勝手に組みだす。が、120ドルはインドネシアの物価からすると相当高い。
ともかく、まずは正統に街の観光局を訪れて情報収集することにした。
「今日はランテパンギ村でセレモニーが行なわれます。明日はパラワ村で犠牲祭が(サクリファイスという言い方をしいていた)、明後日はバルス村で行われます。」
英語の上手い女性職員は、詳しい地図を片手に儀式の開催情報を説明する。8月はセレモニー・シーズンだと聞いていたが、なるほど毎日どこかであるようだ。
それぞれの場所まではレンタルバイクで行くのが一般的だとのこと。その際、土産として砂糖一袋(約4kg)かタバコ1カートンを持参するのが良いとアドバイスをもらった。
砂糖4kgを持って行くのはきついので、近くのコンビニでタバコ1カートンを購入。その際きちんとレシートをもらっていたが、これが後で役に立つとは思いもしなかった。
バイクを借りてまずはランテパンギ村に向かった。ランテパオの街を抜けて20~30分ほど北上した辺りがランテパンギの集落である。
だが一体集落のどこで儀式が行われるのだ?
辺りの人々に「セレモニーはどこでやってるのか」と尋ねてみたが、相手は英語を理解していないこともあって、
「あっちだ」
「こっちだ」
「いや知らん」
「英語わからない」
と、全然らちがあかない。
だが、ついに1人の男から「今日はここランテパンギではなくパラワ村で行われている」と割と信憑性の高いことを言う。そのパラワ村は、観光局のお姉さん情報では明日犠牲祭が行われる場所だ。情報に多少ズレはあるものの、幸運なことにパラワ村はここランテパンギ村からそれほど離れてなかったので、このままスクーターで向かった。
メイン通りから「ようこそパラワ村」と記されたゲートをくぐって、曲がりくねった急勾配を上っていく。すると、この地方独特の船形屋根トンコナンを備えた家が立ち並ぶ広場が見えてきた。
そして広場では思いもかけない光景が広がっていた。
何頭もの息絶えた豚が血まみれになって横たわっていたのであった。
しまった!! 会場の村を探している間に儀式はもう始まってしまっていた。生け贄を祖先に捧げる瞬間は見落としてしまったことになる。
それでも目の前に横たわる巨大な豚の数々!! 地面には豚の流した血で水溜まり(血溜まり?)ができていた。
息絶えた豚たちに対し、男たちはガスバーナーの炎を当てる。ボーボーと音を立てて炎で豚の毛を焦がし、ナイフで毛を削ぎ落としてゆく。村人たちは、屠った豚を手際よく解体し、祭りの料理作りの準備を始めていた。
巨大な獣の集団が目の前に横たわり処理せれてる光景など、今までの人生で見たことがなかった。その強烈なインパクトに圧倒され、ただただ僕はそこに立ちすくむしかなかった。
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しばし強烈な体験に圧倒されていたが徐々にその場の雰囲気にも慣れてきた。そしてパラワ村の集落を歩いていると、老婆に呼ばれた。どうやら入場料を払えということのようだ。30,000ルピア(約¥243)を支払い領収書を貰った。
ん、待てよ。キチンとお金を払ったのだから、今さら土産のタバコを渡す必要ってあるのか? そもそも渡すとしても、一体誰に渡せばいいのだ。
結局それは分からないままその場を後にすることになった。
なんだ、買っておいた土産のタバコ、要らないじゃん。
ここで取っておいたレシートが役にたった。1カートンのタバコ代163,000ルピア(約¥1,320)は無事コンビニで返金されたのだった。
最終更新:2018年09月09日 22:51