最終話

全てが始まる前から優しい風はこの大地を駆け抜けていたし、温かい太陽は僕らを見ていた。照らしたのはいつだって今で、だから未来を照らすのはきっと今の輝き。
月がこの惑星が太陽が、照らし照らして過去現在未来。いつかのうたが今になってようやく、今流れているうただと気がつくように。照らし照らして過去現在未来。まだ何も終わってはいない。

この物語の目的は、優しい者たちへ優しい決着へと向かうこと。つまりは、たったひとつのシンプルなテーマに基づいて。目指したピリオドのかたち。
さあ、全ての憎しみに背を向けよう。現実とはどこにある、いったいいつが現代なのか。
憎しみのない日常を目指してまた一歩ずつ前へ進むために必要なのは、なんなのか。

私たちは赦されますか?
私たちが赦されるなら、もしかしたらきっと。



最終話 ビフォーピリオド and ピリオド



開始時刻はピリオド。

戦場。各地で続く、ホムンクルス制圧戦。
ピリオドを過ぎたとある日。とある戦場とある戦線その最前線で、千歳とブラボーを除く旧・再殺部隊の面々は再び集結し、戦っていた。
その決戦前夜、再殺部隊は周囲の警戒を他の戦士らに任せて、穏やかな語らいの夜と嗜んでいた。円山が夜空に浮かぶ真月を眺めながら、素顔で呟く。
「活動凍結、ねぇ。犬飼、そうなったらあなたはどうする?」
「今更学校通いも、なんだよなあ」
円山の“あなたならどうしますか”な問いに、犬飼が眼鏡拭きで核鉄を磨きながら応える。こうして肩の力を抜いて語れる仲間ができたこと、改めて自覚するとどこかこそばゆい。だから犬飼は指紋で少し曇った眼鏡は拭かずに、ただいたずらに景色から眼をそらしながらの応答をした。円山も、曇った眼鏡をさておいて核鉄を磨く犬飼が面白くて、あえてそこには触れないまま会話を繋ぐ。
「なんにしてもどこか物足りないのよね。こうしてその日に向けての予行演習(いたずら)に武装解除してみただけでも、やっぱりなーんか、手持ち無沙汰だし」
「お前みたいに常時で武装錬金してた奴なんかは特にそうだろうな。あとは根来や毒島なんかもそう思ってるだろうよ」
「なんかほとんどフルメンバーね。ということで、戦士・戦部も手持ち無沙汰組決定ー。そういえば聞いた?戦士・戦部のこと」
「ああ、核鉄回収のアレか」
「そう、アレ」
核鉄を食した戦部に与えられた戦団命令。―――任務完遂後の出頭指示、それはつまり『核鉄摘出手術』を受けろということ。しかしながら、まあそれは当然といえば必然であろう。誰だってそう思って然るべきだと思うに違いない。
「まぁ、そりゃああなるよな」
「なるわよねえ。今は平静な顔してるけど、内心はどうなのかしら」
「そこんとこ、おい根来、ちょっと野郎に潜って脳内見てこいよ」
「…できるか」
物陰から、まるで物陰に潜っていたかのように根来が顔を出す。これまでと似ていて、どこか違う空気。悪くない居心地が、旧名・再殺部隊の面々を優しく包んでいた。
「(……しかし、好き放題の言われ様だな…)」
円山が腰掛けた大岩の根元で豪快に寝たふりをした戦部も、会話に割り込むタイミングを失った為か、意地らしく寝たふりを継続続行中。寝相のように、腹をさすりながら、ごろり。
そんな夜の寂しげな風が秋の始まりを告げる最中、毒島がガスマスク姿で駆けてきた。
「み、みなさんっ!」
「おい、てめえら!総員、戦闘準備しやがれ!!」
毒島を不条理に無視し、火渡が顔を出す。その口元の煙草は、いつものように燃えたぎっていた。すかさずがばっと戦部が起きる。
「敵の奇襲か!?」
「ああ、敵に奇襲だ。オレたちで仕掛けるぞ」
そして火渡は、円山、犬飼、根来、戦部の順に指示を飛ばした。それはきっと、彼をよく知るものほど気がつきやすい小さな変化。だが、真の不条理とは、運命の噛み合わせが完全を描いた時に至る抗えない境地である。火渡の出した指示は、戦い相手を演じるホムンクルスにとって間違いなく絶望を覚えるに違いない人員配備であった。まさに圧倒的不条理による、力づくの制圧戦の幕開け準備。
総員の眼が輝く。皆が皆、勝利を確信するほどに的確な人員配備。しかし火渡は、完全に組み立てたプランを自らブチ壊しにしかねない言葉をあえて吐いた。いつものように吐いた。
「忘れるなよ、おいしいところは早い者勝ちだ。行け!!」
それでこそ、戦士長・火渡率いる再殺部隊!ある程度の自由を許されてこそ、奇兵が最大限の力を発揮すると火渡は知っている。
毒島と火渡を残し、全ての戦士がそれぞれの戦い方を信じて戦場へ散った。見届けた毒島は静かに、火渡をまっすぐ見つめて話しかける。
「しかし、このような我々だけの独断。これでは上や他の戦士達には作戦も計画もあったものじゃないです。―――相変わらず、不条理極まりないやり方は変わらないんですね」
「ハッ」
毒島の言葉に、火渡は煙草を浮かして笑う。かわらないやり方と、かわるやり方と。不条理を不条理でねじ伏せるという戦り方。信念。火渡の炎が、紅く燃えて血のように熱くて。
「行くぞ、毒島」
「はい」
再殺部隊の出撃。この奇襲で驚くのは他でもなく他の錬金戦団の戦士であろう。夜明けとともに総力戦が始まる予定が、恐らくは夜明けの頃には決着が。さあ、不条理を知る朝を。存分に召し上がれ、再殺部隊の集大成というべき圧倒的不条理の時間でございます。
この時、戦士・毒島はこの任務が終わったら銀成学園へ編入することが既に決まっていた。つまりこの戦争こそが、彼女にとっては火渡の横で行う任務の、ひとつのピリオドとなる。だが、毒島の眼にはもう迷いはなかった。人前に立つ恐れはあったが、それ以上に勇気を知ったから。きっとどんな一歩だって踏み出せるから。
だからどうか、精一杯の戦いを。
たまに火渡もまた、静かに思い出す。ピリオドの時を、あの日に見た空の色を。だからあなたにも思い出してもらいたい。幸せ色のピリオドを。
もうすぐ満月の夜が来る。月が世界に、冷たい優しい光を放っていた。
あとは、暖かさがあればピリオドとなるだけだろう。


まさにビフォーピリオド、剛太や秋水は坂口照星と会談し「次の任務」を与えられていた。
その開始時刻はピリオドで、だからその前に済ませておきたい儀式がある。
儀式とは闘争本能を高ぶらせる絆であり、絆は過去を未来に繋ぐことでより固く結ばれる、手繰り寄せたい未来とさらなる未来のつぶらな結び目。
会談後に足を伸ばした聖サンジェルマン病院の地下最深部。忙しそうにナース姿の錬金戦団構成員たちが駆け回る喧騒下で、秋水と剛太は共に夜を歌ったビフォーピリオドの“シンボル”を眺めていた。
「ムーンフェイスに、制圧したホムンクルスとの交渉役を任せる、か」
「奇しくも今回の件で、奴の顔は売れに売れたからな。まあ、交渉役といいか仲介人というか。世界中のホムンクルスに対しての橋渡しを担当するのは、確かにヤツが適任だろう」
取り引きの真意。秋水や剛太の目の前にあったのは、LXEのアジトから押収された修復フラスコ。その内部、さながら悪趣味な博物館の展示品のように、輪切りの(そして切り口を惨たらしく破壊された)人体に似た形状をした物体が浮かんでいた。それがムーンフェイスこと、ホムンクルス、ルナール・ニコラエフの破片たちだ。
「しかしすげえな、これで生きているのか」
「生きている、だろうな。かつてパピヨンは武藤に首以外を吹き飛ばされた状態から完全復活を遂げたぐらいだ」
ホムンクルスならそれぐらい。そして不完全なホムンクルスなら、なおさら。
「章印を持たない、不完全が故の無限界修復能力、か」
さらに言えば、人体パーツが一通り揃っているだけパピヨンよりは修復も楽だろう。
静寂は人が生み出す空気である。その間を潜り抜ける声の気配がそのままそれぞれの繋がりを示すことは間違いない。
「大丈夫か?」
秋水がぽつりと零した気遣いの言葉が二人の間を潜り抜ける。
だが剛太は特に返答をせず、その場を立ち去ろうとした。
「……中村、武藤は…」
「わかっているさ。あの馬鹿の選択が先輩を死なせない為の選択だったってことぐらい、俺も、先輩だってわかってる」
剛太がふうっと溜息を少しだけ漏らし、また口をつぐむ。それでもやはり我慢できなかったのか、少しだけ本音を言葉にした。
「でもな、笑わないんだよ」
それじゃあまだ、笑えない。剛太が呟いた言葉は、空気循環の為に設置されたカラカラ廻る換気扇の音に静かに溶けた。先輩が笑ってくれるなら、俺は何だってします。
これが剛太の想いと、ひとつのビフォーピリオドと、ピリオドの時を持ってようやく決着がつく彼の想い。今はまだ、何も終わってはいない。
コポコポと泡立つフラスコ内部、包むガラスがむぅうんと共鳴(ひび)いた。


病院には病室があって、そこで人は休みを与えられる。
聖サンジェルマン病院には傷つき休む必要があるものたちが集う、ある意味で戦士にとっての最前線。戦士たるが故に傷つき、足を止める必要が出る時は必ずある。人間なんだ、人間なんだ、人間なんだから。
ある病室の前で、坂口照星の姿があった。もちろん彼にとっての仕事がらみの目的でもあったが、それ以上の理由が、あったのだ。彼にとって、忙しい合間を縫ってでも見舞いに来たい相手がいたから、彼は病院に直接足を運んでここまできた。
「失礼します」
病室内で横たわる、ひとりの女性。早坂桜花。ノックの後に病室へ足を踏み入れた照星は、起き上がろうとする桜花を静止し、窓際に立つ。そして事務連絡を捨て置き、真っ先に言いたかったことを言葉にした。
「―――戦士・早坂。あなたとお母さんのことも報告を受けています。私があなたの保護者ならば、立場上あなたの無茶を悲しみ怒る必要があるかもしれません。しかし、それでも防人の怪我を引き受けてくれたこと、痛みに屈することなく戦ってくれたこと……ほんとうに、ありがとうごさいました」
そして私のお気に入りの部下の、心を軽くしてくれたことにも。
言いたかった事をすべて詰め込んで、思いは爆発する。だがそれでも大人の余裕を持って、弾ける想いすらも優しく包み込んで贈る優しさ、それが感謝。だから、言葉も選ぶ。決して、よくやってくれました、とは言わなかった。ただただありがとう、こころから。同じ目線で、正しい感謝の気持ちで。
複数の核鉄による集中治療が桜花には施されていた。それらは現在において次の任務を待っている状態の剛太や秋水達の核鉄である。ブラボーの負傷の大半を引き受けた桜花の躰は確かに重症であったが、やはりそこは治療可能な傷である。故に桜花は、照星の来院理由をあらかた察した上で、優しく微笑んで見せた。
「大丈夫です、最後の任務には必ず間に合わせますから」
「流石ですね、戦士・早坂」
照星の微笑みに写る、微かな寂しさ。桜花から発せられた、その言葉にはこれからの全ての答えが込められていたことを理解しての、笑顔。
照星が次の任務を告げる目的で桜花に会いに来たということを見抜いての、桜花の発言。それはつまり、パピヨンの所在が知れたということでもあり、そしてそこに向かってもらう人間に桜花が含まれているということでもある。―――そして、『最後の任務』という言葉の意味もまた、はっきりと答えが込められた言葉であった。
残念そうな気持ちを隠すことなく少し出すことで、照星は正直な気持ちを桜花が真っ直ぐ察することができるように放つ。言葉は時として別れを紡ぐから。
「やはり、決心は変わりませんか」
「ええ。私に日常で生きるという選択肢を与えてくれたのは、武藤君です。だから…、短い間でしたが、私のような過去の人間を戦士でいさせてくれて、ありがとうございました」
早坂桜花は、「最後の任務」を最後として戦団からは距離をおくと決めていた。これもまた、非日常から日常へ。武藤くんが繋いでくれた自分の命、繋がりを今後の使い方を考えた時、それがきっと武藤君が一番喜んでくれる未来だと想って。『私はきっと、生きて幸せになる』。そうだ、日常を生きよう。守ってもらった世界に生きることも、きっと未来を護る戦いなんだから。
「―――わかりました。任務の詳細は戦士・剛太に伝えておきます。彼ももうすぐこの病院にくるはずですから、その時に確認してください」
「はい。必ず、パピヨンにもひとつの決着を」
背筋を伸ばし戦士らしく返答をする桜花を見て、ふっと照星は笑った。そして伸ばした背筋をそのままに、窓に背を向ける。長居をせずに立ち去る見舞い客は、桜花の躰を想うが故か。だがそこであっとドアの手前、立ち止まる。まさに思い出したように照星は上半身で振り返った。
「ああ、そうです。ひとつだけ、忘れるところでした」
先に続いた言葉。優しい言葉が暖かい空気がこもってそして、空気が張り詰めて凍ることになる言葉。言葉を贈られた相手が桜花でなければ、確実に空気が凍ってボロがでていたところだろう。
照星が吐いた、ひとつの言葉。それは全てを内包した未来を許容する響きでもあった。
「どうか、御前様によろしくお伝えください」
ざらい風が吹く。だが桜花は全てを微笑みで受け流す。
「ええ。私や秋水クンの力が必要な時は、いつでもご利用を」
それは、HAHAHAHAやあらあらといった笑い声が聞こえきそうな、大戦士長と早坂桜花による海千山千のやり取りであった。ベッドの下で、回収されずに済んだアナザーでタイプな御前様が、例の粗相をなんとやら。
しかし見舞われの早坂桜花。ドクトルバタフライの核鉄を所持したまま戦士を抜けようとする辺り、腹黒さは別格たる所以か。
だが優しさに便乗することで優しさを受け入れる、これもまた優しさの形なのだろう。


また、病院最深部。しかしムーンフェイスを再構築するためラボとはまた別室。
そこにあったのは剣持真希士を救うための空間。大人たちの責任が、ブラボーと千歳によって果たされようとしていた地下空間で穏やかに眠るホムンクルス・戦士・剣持真希士。その姿がそこにはあった。
「安定状態に入ったわ。これであとは、本当の意味で彼を救うだけ」
これまで、そしてこれからも誰も言葉にすることなかった可能性があった。それは、ホムンクルスがいつまでも人間に戻れないまま、人ならざるバケモノであり続けるバッドエンド。眠り続けるバッドエンド。だからこそ、そこに抗う決意を戦いを。これまで、悪い予感が予感を上回る形で現実になってきた錬金術の世界。だからこそ、そこに抗う決意を戦いを。
ブラボーは剣持真希士の眠るパピヨン謹製フラスコに、握り拳をコツンと当てる。そして、決意を言葉にする。それはまさに、錬金の戦士としてあるべき信念の形。各地でホムンクルスの制圧戦に挑む戦士たちを想い代表して、失われた命たちに贈る言葉。
「戦士・真希士。今、戦団は全ての戦いを終わらせる戦いを続けている」
この惑星の上で、まだ戦いは終わらない。戦いが終わらぬ日などない、だからこそ!活動凍結を前に、希望の未来を願い歌い。きっと優しさは形になって相手に届いて初めて形になる気持ち。
「約束するよ、戦士・真希士。次に目覚めた時は、お前に、戦ってよかったと思える世界を見せてみせる。世界にしてみせる」
どうかこの暖かい優しさが、全ての命に届く日がきますように。ここからの全てはそういう戦いの物語だ。だからこれは、いつかがきたときに向けて贈る信念の真っ直ぐな想い。
「―――だからその世界を護る時はまた、力を貸してくれ!」
まっすぐ貫き通そう。再会の時に、互いが笑って前を向けるように。闘いの後遺症は今でもブラボーの体にあり、それは恐らく一生癒えないだろう。
だからこそ、ブラボーにできる戦い。最前線から少しだけ退いて行う護る戦い。共に戦う戦士がいれば、きっと。
きっと。
「―――そろそろ、瀬戸内に向かいましょう。火渡君も向かっているはずよ」
各地、任務の状況が集う場所。
錬金術の始まりから数千年。いまだ賢者の石の完成は遠く、それどころから我々は今ある力すら使いこなせずに過ちを繰り返す。

さあ、一度、立ち止まってこれまでの歩みを振り返ろう。



秋風が全てを空で歌ってくれるから。
今は流されよう、ピリオドの瞬間まで。
絶対、辿り着いてやるんだと、
もうすぐ、辿り着くんだと。



津村斗貴子は静かに思い出す。坂口照星に直接与えられた任務を。
「この任務。あなたにやれますか?戦士・津村」
それは愚問。やれるか、なんて見当はずれもいい質問。
だがそれをあえて言葉にしよう。彼女も決意を言葉にさせる為に。
「了解しました」
この顔の傷が、私の戦士としての証です。戦わない戦士なんて、邪魔なだけ。
私がカズキを戦いの世界に巻き込んでしまった。今さら逃げるなんてありえない。
「それでは戦士・津村に大戦士長の名において、ホムンクルス・パピヨンの制圧を命じます」
できるできないは問題ではない。やるのです。制圧、ずるい言葉に逃げたものだと坂口照星とて自覚していた。だが、それでも。
制圧の先にあるのが再殺かもしれない。再殺、それは傷を負った少女にとって、過酷過ぎる言葉の意味を持つ。それでも斗貴子は決意を言葉に示した。それは、彼女も戦士にとって「任務」という言葉の意味を理解しているから、だから。
彼女は戦うのだ。決着の果てに、何があるとも知らずパピヨンと対峙して戦うんだ。
ピリオドの光景をビフォーピリオドの彼らは誰も何も知らない。
だから、教えてあげよう。皆に、幸あると。僕らの知っている未来を。
どうか皆に幸あれ。


全ては終ってから始まり、始まる前に終っていた物語。
だから祈りも願いも誓いも全て乗り越えよう。

三枚目に欠けること無き月を。二枚目に影薄き美を。一枚目に年老いた少女を。
主役不在だろうが、それでも物語はそこにあったのだ。

だから、語ろうじゃないか。
決着に至る、それまでを。
こうして物語は再び一枚目と二枚目と三枚目の花形たちが集結するあの瞬間へ。
引き継がれるのは過去かはたまた未来か永劫か。
心暖かき少年を。心優しき少女を。心輝く蝶々を。
あなたを。


カズキは、斗貴子を死なさない為に、月へ、月へ行った。
それは、辿り着いた答え。一心同体の誓いの結末。
ファイナルの顛末を思い出してみるといいだろう。二人の武装錬金がヴィクターを貫き、ヴィクターは第二段階に姿を戻した。「来るぞカズキ!」の声が空しく響いて「手を放すな!」の声が空だけを裂いて「キミと私は一心同体」という叫びが悲しく響いて「キミが死ぬ時が私が死ぬ時だ!」という約束が反故にされた、あの静寂を思い出してみるといいだろう。
あのカズキの選択の意味を、考えたことがあなたにはありますか。
あの時、ヴィクターはカズキと同じ姿になっていた。そう、一朝一夕で勝負をつけるのは難しい対等の関係。しかし、それは『いつかは勝負がつく』ということに他ならない。
そして斗貴子はカズキの勝利を信じた。
あの時斗貴子の「キミと私は一心同体」という叫びの本当の意味を想像してみるといい。思うにあれは無意識による覚悟の叫びであった。そう、津村斗貴子は覚悟してしまったのである、カズキがヴィクター化するということを!
あの叫びは言わば「促し」の叫びだ。エネルギードレインに躊躇いのあるカズキに、「一心同体」という言葉をもって、ヴィクター化することを『迫った』のである。あの海上、ヴィクターを斃すにはそれしかないという戦士の直感が故の、残酷な決断。あの至近距離でヴィクター化されたなら、斗貴子のみならず全ての戦士は命に関わる深刻なダメージを負っていただろう。それでいいと斗貴子は考えたともとれる言葉、カズキのエネルギーになれるなら、それでよかったのだろう、か。
勿論これは邪推。真実である保証はない。だが、真実がどうかはこの際問題ではないのだ。
この場合、考えなければいけないのはシンプルにカズキのキモチ。あの時、選択を迫られ、約束を破るという決断をしたカズキのキモチこそ、斗貴子さんを守りたいという少年のこころ。
一心同体の誓いが、彼にあの選択を選ばせた。カズキが死ねば斗貴子が死を選ぶ。たったそれだけが答え。斗貴子が死ねばカズキは死ぬという、あの誓いを。
あのままヴィクター化して、海上で戦っていたら斗貴子は、仲間の戦士たちは皆が死んでいただろう。だから、彼が選んだ戦いは、斗貴子を死なせないためのたったひとつの戦い方。
誓いを破り捨ててでも、護りたかったひと。その為の戦場天空月面。命なき、空中楼閣。
斗貴子はカズキの気持ちを受け止めることが、ようやくできた。そうして想いを決着という言葉に乗せて、歩き出す。

一歩、また一歩。

全ては、決着をつけることから、また歩きだそう。
過去の為に泣いたり、過去の為に笑ったり、過去の為に怒ったり出来るように。
過去の為に今を戦うのはもう終わりにして、今を明日の為に戦う為に。過去を未来に繋げる為に。



こうして、全ての物語が、ピリオドへ向けて走り出した。
これで何が変わるだろうか。きっと何も変わらない。
この惑星にまだ武藤カズキはどこにもいないし、錬金術が生んだ不幸は決してなくなったりしない。落ちた涙は盆へと帰らない。
だけど。この先に笑顔が待っていることを僕たちは知っている。僕たちが笑顔になれたことを、僕たちは覚えている。
だから、決して目をそらさないように、先を紡いでいこう。ようやく、ピリオドが見えてきた。―――最後(ピリオド)の戦いが、幕をあげる。

全てが始まる前から優しい風はこの大地を駆け抜けていたし、温かい太陽は僕らを見ていた。照らしたのはいつだって今で、だから未来を照らすのはきっと今の輝き。
月がこの惑星が太陽が、照らし照らして過去現在未来。いつかのうたが今になってようやく、今流れているうただと気がつくように。照らし照らして過去現在未来。まだ何も終わってはいない。

たとえば未来。ピリオドの時に斗貴子がパピヨンと対峙した夜の中で、その刃の色から殺意の割合がそれまでの彼女の煌めきと違っていたのには理由がある。
敵は殺す。人喰いの化け物は全て殺す。あの日の惨劇を忘れるな。あの惨劇を繰り返すつもりはない。私は1人でも戦える。―――『それだけの憎しみを抱えている』!だから、殺すのか!!

たとえば過去。武藤カズキが蝶野攻爵を殺したあの日、カズキにあった感情は全てが憎しみでは無かった。怒りはあったかもしれないし、もちろん人を食うという行為に対する憎しみ感情とてあったろう。
だが、蝶野を殺すカズキの背中を押したのは、たったシンプルに哀しみひとつだった。ふかい、ふかい、嘆きと慈愛に満ち果てた、絶望ひとつ携えた殺意。
『たとえ一生後悔すると知りつつも殺さなければいけない相手』。それが、生存闘争行為の本質。哀しみで殺せ、敬意を抱いて殺せ、感謝して殺せ、そして覚悟の無い者を殺す覚悟を決めろ。殺意を相手や憎しみだけのせいにだけはするな!憎しみで殺すから、過ちは止まらない。憎しみなどで動くから、正しいと信じていた世界が揺らいでしまった時、無様に泣いて喚いて戦慄いて、新たな憎しみを誰かに空の彼方に抱くんだ!
憎しみがいったい何人を罪と罰の奈落に人を突き落とした?!憎しみがいったい誰にとって優しい決着を与える結果に繋がった?!憎しみはいつだってそうだ、『優しい人に優しい決着をもたらさない』!そうだったじゃないか!そうだろう?そうなんだよ!!

だからこそ、ありふれたフレーズで歌を綴ろう。
精一杯の優しさをその手に込めて、今という1ページにピリオドを打とう。
大丈夫。たとえピリオドを打ったとしても。過去の物語は無くなったりはしないから。ピリオドは、其の先未来物語を描くための一区切りなんだから。
だからきっと、『ピリオドは、未来の為のひとつの足跡なんだよ』、―――きっとね。

ここからの物語はピリオドに描かれたそのままをなぞることにする。
そして、全ては最後の答えにたどり着くんだ。


月下、空を見上げて。
「――…、フン」
「――…月見をするなら他所でやれ。物を喰うなら他所で喰え」
風がコオォォ…と駆け抜ける。闇を月がぼうっと照らし出す。
「食べる?ママの味。正確にはママの出来損ないの成れの果ての味」
「食指も動かん」
「言ってくれるじゃない。百年近く食べてきた私の主食よ?」
ママの味。たった一つの大切な食事。心を無くさないための、絆。
「…食人衝動がないって聞いてたけど、どうやら本当みたいね。ママから聞いたことがあるの」
ホムンクルスの食人衝動の源泉は本体の犠牲になった「人間」の部分がなんとかして戻ろうとする「本能的な未練」ではないかって、一部の研究者の間では言われているって。
「もしそれが正しいのなら、あなたは既に人間や人間の世界・社会に何の未練も持たない…ホムンクルスとしては未完成、けどホムンクルスには成し得なかった脱・人間を完全に達成した…」
あなたは人間でもホムンクルスでもない全く別の新しい何か――――、文字通り“超人”なのかも。
それは、まさにヴィクトリアとは対極の存在。であるなぜなら、ホラ、ヴィクトリアには食人衝動があって、それが示す真実。ヴィクトリアは人間や人間の世界・社会に何の未練を持っているということ。

―――ねえ、ヴィクトリア
―――もし、パパに会えたら伝えて。
―――ママはいつまでも、パパのこと、愛していたって。

愛しているよ、ヴィクトリアは今も!パパを!ママを!大切な家族を!!


こうして、全てに幕を下ろすため、招かれざる客が現れる。
「決着をつけに来た、パピヨン。カズキの代わりに…!!」
「…代わり等いない。貴様にはいるのか、武藤カズキの代わりが――――」
さあ、ピリオドは始まった。


この物語の目的は、優しい者たちへ優しい決着へと向かうこと。
つまりは、たったひとつのシンプルなテーマに基づいて。
全ての憎しみに背を向けよう。優しいあなたに目を向けよう。
そして、憎しみのない日常を目指してまた一歩ずつ前へ進むために。

まずは、始まりの『さようなら(良い別れを)』。






→ピリオド.





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最終更新:2010年01月17日 09:47
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