第46話

新月。
惑星と太陽の狭間に立つ、不可視故に可視の月。
この月を斃さない限り、夜は明けても光は届かない。
奈落とは埋めるものではない。真に必要なのは希望へ向けた架け橋。
架け橋は、全ての力が支えあったときに始めて、陽の目を見る。
その為の手向けは、いったいどこにあるというのだろうか。



第46話 ホムンクルスのエンバーミング



撃ち上がった火渡を見て、ヴィクトリアが纏う空気を少しだけ、変えた。
「これで、ムーンフェイスの勝ちは無くなったわね」
その言葉に対し、決して二人の殺(や)り殺(と)りに口を挟むことをしなかった円山は、無言を保ちながらも当然だと言わんばかりに口元だけで笑った。錬金戦団最強の破壊力を誇る戦士長、待望の出撃。この物語はその瞬間こそをゴールとしてここまで進んできたのだ。
「でも、ムーンフェイスには負けも無いわよ」
安心を打ち砕くように、ヴィクリアが、決着に向けて添える最後の独り言を漏らした。
「だって、月は雲隠れしても気がついたときにはまた顔を出しているもの。たとえ強い光が昼間に似た光景を描いても、昼空にお月様が微かに見えているなんてよくあるコトでしょ?決してお月様は無になったりしないものなのよ」
ヴィクトリアの呟き、倒しても倒しても顔を出すお月様の評価。それは、ムーンフェイスの本質をついた言葉であろうか。ヴィクトリアは自身の直感に確証を持って発言しているわけではなかったし、病院でムーンフェイス“新月”による不死身劇を見たわけでもない。だがそれでも、ヴィクトリアはこの物語においてムーンフェイスが見せたありとあらゆる暴挙を目の当たりにしたところで、その評価に変化は加わらず、おそらくは決して驚くこともしないだろう。
ヴィクトリアは、この時においてはヴィクトリアだけが、ムーンフェイスの本質を見極めていた存在であった。


その手向けは、いったい誰に向けたものなのだろうか。
物語はどこか足早に十字路を駆け抜けて、ピリオド、終幕へ向かってきた。
だがそれはつまり十字路の先にこそ奈落が待つからに他ならない。
真実の手はいつだって、絶望を乗り越えたものにだけ差し伸べられる。


全ては壊滅した。
そこに存在するすべては焼き尽くされる。月の表面は荒れ果てて、月の内部に深く刃が突き刺さった。ムーンフェイス“真月”は、崩れ落ちて、それでも尚、月の瓦礫の中で立ち上がる顔無しの月。
月は満ちたり欠けたりすれど失くなるコトは決してない。それはまるでシュレディンガーの猫のように、曖昧な存在。彼はそこにいるし、彼はそこにはいない有名な実験。箱を開けて見なければ中の猫の生死はわからない。雲隠れ、闇夜の月のように。
30全てのムーンフェイスがムーンフェイスの本体なのである。だが、ならばオリジナルのムーンフェイスとは一体何なのであろうか。オリジナルのムーンフェイスとは、果たしてどの状態を指すのであろうか。どこにいるのかいないかわからない。だけどそこに存在している。つまり、“それ”に一番近い存在こそが新月であったということ。それはつまり、どういうことか。
「むーん、儚いね。果てしなく儚いね、人生!」
未だ、ムーンフェイス健在ッ!!その顔は無く、つまり新月!!!
「っ黙れよ!たった一度で月を焼き尽くせるとは考えちゃいねえ、溶かし尽くすまでやるだけなんだよ!」
犬飼が吼える。何度でも焼き尽くす(火渡が)。今欲しいのは、冷たい魔瘴を放つ月などではない。彼らが望むのは、眩しく暖かい星の輝きなのである。希望の炎が強く燃え盛る今の戦士たちにとって、何度でも顔を出す月はもはや、絶望のシンボル足りえなかった。この場にいるどの戦士もが戦意を解除せず、構え再び前を向く。火渡の参戦により、戦況が大きく戦士に傾いたのである。
しかしこの時、秋水のみ感じていた違和感があった。目の前のムーンフェイスから感じる、確かな違和感。それは、目の前のムーンフェイスに、追い詰められた者の悲壮感のカケラも感じられないことだと今になってなら言える。目の前の月が放つ暗い輝きは、彼がよく識るムーンフェイスが纏う、いつもの余裕のオーラであった。犬飼もその違和感をもしかすると感じていたのかもしれない。それが示唆することになる絶望的仮説がよぎるのを恐れて、どれだけ見苦しかろうと吼えずにはいられなかったのかもしれない。俺たちは勝てるんだという希望が揺らがないように。現実から目をそらすために。
「…秋水クン?」
秋水の刀を握る手が、わずかに震えていた。桜花の声で初めて秋水自身も自覚するほどの動揺が走る。漂い続ける、絶命的な死の匂いが奏でる戦慄の旋律。
秋水から、悲壮感が溢れた。それは絶望にも似た仮説に往き着いたが故の闇。桜花だけが秋水から零れ出るその感情を拾い上げることができたが、その感情が意味する原因までは察することができなかった。
―――秋水が抱いた疑念。それは全てを否定した上で成立する、残酷なテーゼ。
「…ムーンフェイス。戦いを再開する前に、ひとつだけ答えろ」
秋水が、いつも通り静かな自分を保ちながら口を開いた。そこから零れ出た言葉は、他の戦士たちの手を止めるに十分な重さを持つ言葉である。そして、月の表情にわずかな影を作るにも、十二分の刹那。この物語に訪れる、最後の絶望となるか。
秋水が抱いた疑念。それは全てを否定した上で成立する、残酷なテーゼ。
「貴様、不完全なホムンクルス、か?」


戦いの場に相応しくない沈黙が流れた。
その言葉の意味が理解った者、理解らない者。そうした中で真っ先に口を開いたのが、中村剛太。言葉の意味を全て理解した上で、まるで理解できないとばかりに絶句するように叫ぶ。
「何を言い出すんだ、早坂。ヤツの胸には間違いなく章印が…っ!」
「…ペイント、がある。章印はホムンクルスの証明とはなりえない」
秋水が経験者として気づいたそれは、まさに盲点とも言うべき着想。最期の、真実と言う名の仮説。
思い出してもらいたいのはあの日の、蝶野攻爵の最期。ブラボーやこの場の大半が報告でしか知らない事実であるが、恐らくはそれを知る者の誰もが感じていたであろう疑問の余地があった。
―――それこそがつまり、“パピヨンは、なぜ死ななかったのか”、ということ。
思い出してもらいたい。武藤カズキは間違いなくパピヨンの腹部を中心として、武装錬金を用いて貫き吹き飛ばした。かろうじて頭部だけは残っていたが、間違いなくその瞬間、胸部は砕けていたのである。通常のホムンクルスならば致命傷であろう。
だがパピヨンが死ななかった。それは彼が人間型にも関わらず胸部に章印を持たない不完全なホムンクルスだったことが大きいのだろう。そして、大量の人喰いの直後であったことも、修復を行ううえで大きかったに違いない。確かに、LXEに拾われた彼が修復フラスコにより再生能力を強化された場合、パピヨンの生存と再生はあり得ない話ではないだろう。
だが、それら全てはあくまでも結果論である。パピヨンが修復を遂げて復活したという一点のみを説明するにすぎない。そう、問題の根本はそこではなかった。
考えてもらいたい。人間型ホムンクルスの章印が胸部にあることを前提して。
ただ一点の疑念。


―――『胸部を吹き飛ばされたホムンクルスの修復をわざわざ行う者がいるだろうか?』


それは、考えるまでもないことである。
全ての設定を頭に入れていれば自ずと理解るだろう。胸部の破壊されたホムンクルスの修復を行おうとする錬金術師など、いるはずがないのだ。たとえ首から上に生体反応を発見したとしても、いずれ瓦解する命だと捨て置くのが、ホムンクルスなら当然の反応であるはず、なのだから。
章印を武装錬金によって破壊されたホムンクルスは死する運命である。それが常識ともいうべきホムンクルスの生態における絶対のルールだ。だが、知っての通り、パピヨンはパピヨンとして修復され、カズキしか知らぬ墓に眠ることもなく、現実の蝶人として今に至る生を続けている。
ならばこそだ。LXE内部に「不完全なホムンクルス故の可能性」に気づいていた者がもいたと考えるのが自然の成り行きなのである。
思うにその者こそが、ムーンフェイス。恐らくはパピヨンを拾ったのも彼。修復フラスコに放り込むことを提案したのも、彼。彼は同類項として、パピヨンに問うたのかもしれない。『どうだい、気分は?』
生きる尊さを何よりも知る、不完全なホムンクルスとして、生きるサイコーの気分を知るものとして。
生き賭死逝ける全ての命を嘲笑って。

人喰いが人間に戻りたいという願望の現れであるとするのであれば、章印とは一体なんであろうか。なぜわざわざそのような弱所を彼らは創造して体に焼き付けるのか。
思うに章印とは、人喰いと並ぶもうひとつの本能の現れ。思うにそれは、生命が抱く究極にして最終的な欲望。―――つまり、自殺願望。全ての生命は、究極的に死を望むということ。
章印とは、ホムンクルスが本能的に創り出した、死の為の器官なのかもしれない。
全ては本能の物語である。闘争本能と生存本能のせめぎ合い。そして、全てのゴールは、死に至る。
考えるほどにおかしな話である。“錬金術”とは不老不死を研究するものであるはずなのに、その集大成であるホムンクルスが、死を撒き散らすモンスターであり、自身もまた不死ではないのだ。
だが、そんな物語に踊らされた沢山の人間たちは多かった。その全て分の絶望を味わい生きてきた代表例が、ヴィクター・パワードであろう。思えば彼も、目覚めの時、手向けの言葉として呟いた。『死は、“錬金術”に携わった者全ての運命…』と。
章印とはつまり、ホムンクルスにとって精一杯の、エンバーミング。
歴史を辿った時、パピヨンの存在は明らかにイレギュラーと言える。病気の体を半不老不死の体に引き継いで。食人という衝動すらも感じないまでに人間であることを捨てた、蝶人。それはきっと不老不死に最も近い。あの日、胸部を吹き飛ばされても尚、再生してみせたのは、どこまでも生きたいと願った意志の成せた業か。
『生きたいね』『オレは自分が生きるためなら、どんな手段でも使う』『オレは超人になって生きる!!』
生への執着こそが、最後の最後、命を生かす。パピヨンならば、そうして彼が生きたいと願い続ける限り、生き続けるに違いない。
不完全なホムンクルスに章印が無いのは、本体が幼体であった故に『誰よりも何よりも生きたい』と願い果てて、“成長したい生存したい”との思いが、本来誰もが持ちうる自殺願望すらもを喰らい尽くした結果の産物だと考えられる。
ならば、不完全なホムンクルスにして死を願った剣持真希士はどうだろうか。しかしこれも、章印が死の為の器官とする仮説に矛盾しない。
彼は、人間の精神とホムンクルスの精神の同化に失敗した不完全なホムンクルス。死を願ったのはあくまで人間としての本能であり、その為、不完全にホムンクルスと化した肉体には章印が現れなかったと考えれば説明がつくだろう。彼は、死を望まなかったからこそ、二日間の死闘を繰りひろげた戦士である。不完全な幼体をブチ込まれても、不完全なホムンクルスとして再誕する可能性は、かなり高い。
ホムンクルスとしての真貴士はただ人間に戻りたいと願い食人願望に流れていた。そして、人間としての真希士は、ただただ死を望んだ。悲しい本能のサーガとそのせめぎあい。


子供が不完全でも、大人が完全であるという話にはならないように、ホムンクルスとしては完全であっても、不完全なホムンクルスの方が悲しくも優れている面があるということ。
秋水が導き出した仮説、つまりムーンフェイス新月とは無限に不死の存在でもなんでもなかったということ。
ただ、かつてヴィクターと呼ばれる存在が戦いの場で見せたことの真似事をしていただけ。それがつまり、自身と似た肉体を使っての修復。もしくは、無限に増殖するサテライト30の特性と併用しての芸当なのか。それが、この物語におけるムーンフェイス“新月”の種明かし。
いつだって最初に立つのは顔の無い新月であった。それはこだわりなどではなく、単に頭の再生を後回しにしているだけなのかもしれない。
これこそがホムンクルス・ムーンフェイスに負けは無いという、死への方程式とその解である。もしくは無敵の存在証明完了であろう。

不完全なホムンクルスたち。
パピヨンは、病気の体をそのままホムンクルスに引き継いだ。剣持真希士は、ホムンクルス本体との精神の同化に失敗してホムンクルスとなった。―――ムーンフェイスの場合も、剣持真希士と似ているかもしれない。
誰だって善い面があれば悪い面もある。多重人格など、性格毎に名前があるかないかの違いであり、あくまでも自身の魂は一人の人間である。魂は命に絶対的にひとつなのだ。魂の数こそが、命の数なのである。
ムーンフェイスは、人格がはっきりと30もの精神に分裂してしまったホムンクルスであった。そう、サテライト30によって分裂したムーンフェイスの人格が微妙に違うのもそのため。早坂姉弟を拾う気まぐれなムーンフェイスもいれば、真希士をホムンクルスに仕立て上げる残酷なムーンフェイスもいる。全ては表情ひとつ。笑顔の裏にある、でこぼこな表情。30もの人格全てに分裂してしまった、存在。
その魂はどこにあると言うのだろうか。

彼の悲しさは恐らく誰にも理解できないかもしれない。ムーンフェイスが動く全ての因果はこの一点にこそあり、月へのこだわりも同様である。
そうして彼は人間を捨てて、月を目指していた。ただ、月を。


ムーンフェイスは秋水の問いに対して、何も答えることは無かった。
否定の言葉も、肯定の言葉も吐かなかった。
全ての仮説は矛盾が無いように武装することが可能で、だからこそその中で突ける箇所がいくらでもある危うい論理。秋水が抱いた疑念。それは全てを否定した上で成立する、残酷なテーゼ。
そんな残酷なテーゼが導き出すのは、たった一つの答え合わせ。
ムーンフェイスは決して墜ちないということ。仕組みが知れても、倒す術が知れ渡らなければ意味がないということ。

こうして戦士たちが、最後の決め手を欠いたまま、それでも決して堕ちることのない新月との戦いを再開しようとしていたとき、ムーンフェイスは全てが思いのままに進んでいることを確信する。月の光に導かれて、これほどまでに沢山の戦士が核鉄を持って参戦した今に、心より感謝を天へ投げかける。
ああ、人生とはなんと儚く脆いものなのか!!
仕組みが知れたところで、月を完全に斃す手段を戦士たちは持たないのである。
永久に果てしなく、限りなく儚い!無から再生の術も持たぬ命よ!
嗚呼、儚き哉、人生!



そうして、ムーンフェイスは。
たったひとつの誤算の刃が今。
男爵様に付き添われ。
月影近くまで忍び寄っていることに。
気づいていなかった。


ねぇ、あなたへあたしの声は聴こえますか?
その心の奥へ届いてますか?
流れ星ひとつ見つけたら、願い叶うかな。
言えなかった言葉を、届けてくれるのかな。


結論を言えば、ムーンフェイスは斃される。
しかし、その結論を語るためには、ここまで先送りにしてきた、あの二人の決着を語る必要があるだろう。
これから語られるは、ヴィクトリアと津村斗貴子との決着とその顛末。
非日常の終わりは終わり、日常の始まりが始まる時へ向けて、ピリオドの始まりの始まりが始まる。



物語は、最後の巻き戻りをみせる。
撃ち上がった火渡を見て、ヴィクトリアが纏う空気を少しだけ、変えた。
「これで、ムーンフェイスの勝ちは無くなったわね」
それを聞いて、それまで決して斗貴子とヴィクトリアという二人の殺(や)り殺(と)りに対し口を挟むことをしなかった円山が、静かに口元だけで笑った。錬金戦団最強の破壊力を誇る戦士長、待望の出撃。この物語はそれをゴールとしてここまで進んできたのである。しかしヴィクリアの漏らした独り言は、その先の道を照らすための言葉であった。
「でも、ムーンフェイスに負けも無いわよ。月は雲隠れしても気がついたときにはまた顔を出しているもの。たとえ強い光が昼間に似た光景を描いても、昼空にお月様が微かに見えているはよくあるように、決してムーンフェイスは無にならないわ」
その言葉にきっかけがあったわけではなかった。偶然の木の葉が一枚と舞い落ちなければ、更なる不自然な爆音が続けて響いたわけでもない。
だが、津村斗貴子とヴィクトリア・パワードの動き出しは完全に同時であり、気がつけば二人はすれ違い互いの攻撃を交し合い躱し合った結果の体勢となっていた。
ヴィクトリアが、津村斗貴子にだけ聞こえる声量にて、耳元で囁く。

こうして物語はひとつの敗北をきっかけに、真の勝利へと向かう。
真の勝利とはつまり、明るい未来があるということ。
照らすのは、いつだって彼方。『あなたにとってそれは、誰ですか?』
ヴィクトリアが決着間際の交差で津村斗貴子に呟いた言葉。
「この戦いに決着が着いたら教えてあげるわ。ムーンフェイスの斃し方」

全ての決着へ向けて。
明日が今日として、始まる。






「ありがとう。」心から伝えたいこの唄を。
今だから気付けた想いは、ずっと忘れないよ。





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最終更新:2009年12月13日 17:55
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