第41話

俯くものに洗礼を。顔を上げた者には祝福を。
だから、もう少しだけ、このまま戦い祭り続けよう。
この夜を、征こう。



第41話 カーニバルにもしもはない



死はいつか誰にでも訪れるものであり、完全に逃れる術を持つ者など存在しない。
死とはつまり永遠であり、永遠の虚無であり、永遠の別れである。
だが、沈んだまま二度と昇らない陽もまた無いように、雲隠れ、たとえ月の裏側に隠れたとしても、また顔を出すのが陽なのである。
いつか来る空を願い、奇跡は必然として祝福は幸いになる。別れが常に永遠をさす言葉ではないということ。

この物語は希望が空の彼方に消え、不条理が地の底に堕ちた時に始まった。
希望は絶望によって絶たれ、絶望は希望そのものになり変わる。
人は絶望無しに希望を抱くことができない。
だから、永遠なんてなくてもいい。ただ、幸せがあればそれでいい。
絶たれたならば、また繋ぐまでだ。そうして希望は栄光を目指す糧となるのだ。
どれだけ辛くてもいい。泣くこともあるだろう。それでも。

みんなが苦しんだり悲しんだりする代わりだと思えば、大丈夫。
多分耐えられると思う。


夜の下がすなわち戦夜であるならば、戦場による分け隔てなど必要なく全ての戦士を戦友と言えるだろう。人を守るために殺す戦いや生かすために守る戦い、信念すらも凌駕したところに未来が待っているのだ。決して追いつかない理想郷が、決してあなたと競争するようなものではなかったことを知る時はまだ来ないとしても。きっと、戦いの価値はある。
闇を照らす人工灯の暗がりで、ブラボーは何名かの戦士達を指示し、“フラスコ”を真希士用に調整していた。―――ここは、聖サンジェルマン病院、最深部。
戦いの価値を知る者たちの、言葉以外に希望を持たぬ戦士たちの戦い。キャプテン・ブラボーが子供たちに同行しなかった選択の先にある、行動が背中で語られていた。

戦場からブラボーを遠ざける行為は、無謀の響きを内包する。特に、剣持真希士を止める戦いにおいて、ブラボーの存在は不可欠ともいえる意味を持っていた。それは、子供大人問わず選択されなかった、未来の可能性。
ブラボーのシルバースキンを裏返せば拘束具となる。それはまさに本来の用途、目の前で狂い死のうとしている者の命を救う道具にもなるだろう必然の武装。まさかブラボーほどの者が、目の前で狂い襲い掛かる戦士に動揺し、“とっさの反射行動”の選択を過(あやま)つ無様を犯す筈がないのだ。もしもブラボーが暴走する剣持真希士を前にしたならば、きっと持ちうる全ての戦力を使って、即座にシルバースキンを裏返しで射出し真希士を拘束したに違いない。ブラボーはまさに、剣持真希士を押さえつける上で、最適の人材と言えたのである。救いの手段がはっきりしていたからこそ、肝心なことは真希士を止めるコト。ブラボーはその作戦において最適な人材と言えたのだ。
しかし、ブラボーはあらかじめ同行を断った。また、以心伝心。剛太たちも頼むことをしなかった。
その理由のひとつは剣持真希士の精神に対する信頼にあったと言えよう。それは、剣持真希士が人間型ホムンクルスであったということによる覚悟的信頼。人間型ホムンクルスは精神を本体に殺されることが無いのだ。つまり、言葉が心へ届くということである。
絶望にこそ希望は見出される。言葉は信念は、貫き通されたときに届くということをブラボーは知っている。つまり、真希士を止めるべきは信念であり、拘束具であってはならないということ。命を運ぶものが届けるのはいつだって心であるべきなのだ。
敵は全て殺す、それを当たり前だと考えてしまった時、戦士は化物の世界へ堕ちることになる。誰もそれを悪とは言わない。ただ、ブラボーや剛太たちがカズキを知っていただけの違いかもしれない。敵は全て殺すという手段を当たり前と考えずに、苦しみながら戦い続けたあの少年を知っているから、だから。
彼が守ったこの世界を、彼の悲しむような苦しみで埋めてはいけない、それが守るべき信念。カズキの分も、カズキの戦い方で戦う。それが、真希士を救うという戦いの中で、剛太達がとった手段。儚くも優しく哀しくも空へ消えていった彼を思うキモチ。
そして、ブラボーがオバケ工場に向かわなかった理由がもうひとつ。キャプテン・ブラボーには戦ることがまだあったから。残った。ブラボーもまた、今まさに戦っていた。
それこそがすでに語られし、命を守る戦い。

救いの鍵は未来の鍵穴に合わなければ意味がない。
パピヨンが捨て置いたパピヨン謹製、新型フラスコ。この人工冬眠専用のフラスコは武藤カズキ、つまりヴィクターⅢにあわせてカスタマイズされたモノであり、真希士の為の者ではない。当然、真希士の為の調整改造が必要であった。
そう。その指揮の役割を、ブラボーはかって出たのである。

真希士の元上官として、真希士の師として、友として、キャプテンとして。部下にせめてもと与えられる安らかな眠りになるように心をこめて。身長から体重から知りうる在りうる全てのデータをブチ込んで、フラスコはホムンクルス・剣持真希士の為の棺桶となる。
「みんな、頑張ってくれ。夜明けに間に合うように。」
指示の合間合間に、励ましの言葉を挟む。その言葉は、協力してくれている名も残らぬ戦士達の心に届く温かさがあった。

あなたは知らない。この名も残らぬ戦士達、彼らの存在こそがピリオドを彩る支えとなっているということを、あなたは知らない。だが、彼らの存在こそは必然なのである。
彼らこそは、ヴィクターの存在に始まる絶望的事態に端を発する、ホムンクルスの再人間化を研究していた戦士だった。まさに未来と希望を繋ぐ、戦士たち。
戦いとは何も殺すことだけではない。殺すことを当たり前に生きてきた組織がピリオドのあの日、第戦士長の決断一つで変わるものとも到底思えないのだ。組織が変わるためには、どこかに先見の明を事前から持っていた者が必要となる。適材の人材がいなければ、組織の方向転換は不可能なのだから。
たとえそこが陽影(ひかげ)であろうが、いるところにはいたということだ。殺す以外の、武装錬金以外での、戦いの終わらせ方を模索していた者が。
彼らの存在は決して名前とともに語られることはなかった。が、その存在は間違いなく過去現在未来、錬金戦団に希望の蕾として存在していたのである。
また、これは後日譚にもなるのだが、全てのホムンクルスを月に送ってしまっては、再人間化の研究などできるわけがないのだ。ならば故に、言葉は悪いが、どうしても手元にもホムンクルスをサンプルとして残しておく必要があったに違いない。その最先端たる存在に抜擢されしが剣持真希士だった、勿論サンプルというのは建前上の話であり、実際は剣持真希士を人間化したホムンクルスの始まりにしたいという思い一つによるもの。剣持真希士は、全ての錬金術の希望となるやもしれぬ未来の日記。これは決して語られることのなかった物語ではある。だが、だからこそここで触れる価値はあるだろう。
剣持真希士を全てのホムンクルスの希望とする為に戦う戦士たちの物語。剣持真希士が人間を取り戻したとき、それが真のピリオドに向けた幸せな未来予想図のきっかけとなりますように。
だが、そうした戦士たちが主要派ではないこともまた事実だろう。しかし、頼れるキャプテンがいた。奔走し戦士達をキャプテンの名の下に集わせる事がはじまりとなる一大プロジェクト。これが、ブラボーの選択した戦いだった。
今まさに未来を希望に変えようとする為の現実。

いつしか、ブラボーは一段落していた。ブラボーは研究者ではない。既に指示を一通り出し終えて、応援の声を送ることしかできない状態に落ち着くこともまた、必然だっただろう。今は信じて待つことが、戦いだと信じる。後悔はない、いいや違う。後悔を抱えても尚貫く行為こそが信念。感情は時に人を惑わせ失敗に誘うこともあるだろう。信念と感情が相乗効果とは程遠い繋がりを持つこともある。だが、感情を否定するものに決して真実は宿らないのだ。無理やり戦いたい気持ちを押さえつけることは間違いではないということ。それもまた、信念を貫くための闘いなのである。


そうやって諦めていた戦いへ続く道が、ひとつの奇跡が現実としてあなたの前に現れることがある。
今にも消えそうな儚い声が、強く耳に響く時が訪れる事は偶然ではない奇跡なのだから。
「…ただいま、防人君」
窓の外に広がる闇を見据えて立ち止まるブラボーの耳に、優しい声が聞こえた。防人の名でキャプテン・ブラボーを呼ぶ女性は限られている。この病院にアンダーグラウンドサーチライト内部へ侵入していたはずの彼女がいるということはつまり、そういうことなのである。この先に待つ矛盾を乗り越えるための未来に向けて。
星が照らされるときが、星を照らすときが来たということ。こうして朝が確実に歩み寄る。
祭天の夜はこうして、長丁場の答えたる最終局面に到達するのだ。


風が吹いた。
雲が動く。
夜を止めないための月は既に顔を出した。

だがそれでも負けてはいけない。
こちらにだって仲間がいる。
月に負けない輝きをもつ、仲間たちがいるんだ。
こうして全ては複雑に絡みあい、一点への収縮をはじめる。
大丈夫、さっきより少し力が沸いてきている!


戦場、剛太たちの耳にも足音が辿り着く。
統率の取れていない軍隊のように、感情と欲望のリズムを鳴らす行為はまさに殺意。戦争の本質たる示威行為。
「来るぞッ!!!」
物語は最終局面へ向かい、そして今まさに絶望が鏖殺する為の夜を彩る。
月の引力に導かれて。月が堕ちる時間はいつだって、夜明け前。
月は気がついたときには既に空に輝くもの。だがその数。100を超える。
「やあ」
百のそれぞれが織りなすたった二文字の台詞に、あらゆるものを見下す月の響きが込められていた。

月が夜を駆ける剛太たちに到達する。コレから先の彼らの戦いは信じて待つ戦いになるだろう。ムーンフェイスは剛太たちの核鉄を回収することに専念している。その間に動いていた、仲間たちがいる。これからの戦いはそう、そんな彼らを待つ戦いを描けばいい。
目の前の月は、果てしなく高い。だが、それでも。どうか、命を大事に。
「さあ、戦ろうか」
今宵は戦いの夜。戦いに「もしも」はない。
カーニバルはクライマックスに差し掛かり、全てはフィナーレへと導かれていく。
戦いにもしもはない。なぜなら、もしもを拒否する意志と行為が戦いなのだから。
いつか、全てが終わったとき、もしもを考えてしまわないように。
これからは精一杯の戦いを。あなたに捧ぐ。






真の戦士は、必ず希望の為に馳せ参戦じ推して参陣る。





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最終更新:2009年12月13日 16:40
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