第39話

たのむ。人間として、戦士として殺してくれ。
せんしとして、にんげんとしてシなせてくれ。
―――ふざけるな。

怒りは天を突く。



第39話 黒く死に熱く死に甘く死ね



堰が切れたかのように剣持真希士の理性が溢れた。犬飼の怒号が人間の心を突き刺したのかは判別らないが、はっきりとしたきっかけであったことに間違いはないだろう。豹変という言葉が相応しい、変化。それは目の前の化物が人間に戻ったと錯覚するほどに不自然な違和感。
続いた言葉は、化物が振り絞る単調なものではなく、はっきりと人間の口調で零れた想いの欠片だった。
「…たのむ、ころしてくれ」
真希士は必死な表情で決定的な言葉を綴る。はっきりとした諦めの言葉を。
「…たのむ、せんしとして殺してくれ。…戦士として、人間として死なせてくれ」


前置きも少なく、強調される渇望。ホムンクルス・真希士もまた、人の言葉を吐くことで理性を取り戻し、戦意を諦めに変えて死を救いのように望む人間。
真希士の中にあるホムンクルスの衝動をわずかに人間の意志が、上回りを見せる。そうして見せた饒舌に乗ったのは、人間らしく見苦しい潔さで語られた諦めの意思だった。
「今なら人間の心を持ったまま逝けるんだ。だから頼む。今ならオレの中の人喰いを抑えていられる。だから今のうちに、オレが誰かを食べる前に」
誰もが口を挟めない、怒涛の諦め。絶望は既に折れた心、繋ぐ言葉がなければ相手に希望は届かない。戦士たちに、じわじわと狂気のみが届けられる。
―――ふざけるな。
目の前にいる、死を渇望する相手。真希士を前にして剛太に湧き上がる感情が歪む。覚悟していた本当の戦い。だが既に偽善だけでは片付かない領域まで踏み込んだ、この戦いの終着点はどこにあるのか。
剣持真希士の言葉はすでに、心ある人間の言葉と同じであった。
「…わかるんだ、それもじきに限界がくると。もしも目の前に欲情を煽る存在が現れたら、きっともう我慢できないから、だから」
戦士たちは剣持真希士の眼が死のうとしているのをはっきりと感じる。拒絶が必要だった。諦めの意志なんて言葉を徹底して断つ信念が必要だった。
剣持真希士が叫んだのは、一切の矛盾なく運命に対して敗北を持って応えようとする論理だった。それは戦わぬという、一種の決意か。
「殺せ!錬金の戦士ッ!!ホムンクルスを、死をバラ撒くモンスターを!!」
その言葉が致命的、これを言われては殺すしかないものは多いだろう。だが全てをかき消す勢いで、剛太が爆発した。死を望み全てをただかなぐり捨てようとしている相手を止める言葉は、そう。怒りだ、もう怒りしかない!
「てめえ、ッざけんなよッ!!!!」

剛太には、真希士の言葉に怒る理由があった。怒りを止められないだけの、理由があった。あわや特攻せんとする勢いの剛太の手を、秋水がなんとか掴み止める。
それでも剛太には止まらない怒りがあった。全てを諦めた者に対する、純然たる怒りが!
剛太に見えていたのは、もはや真希士だけであったのかもしれない。わき目も振らず叫ばずにいられなかった。怒りが、彼を叫ばせていた。
「ッオレの戦友に!殺しても死なないバケモノになったヤツがいる!それでもそいつは自分に人間が残っている限りあがき続けると決めて、最後の最後まで足掻き戦い続けたぞ!!」
静寂の中で、ただ剛太だけの声が響く。口を挟める者などこの場にはいない。
そうして幕を上げた言の葉の一枚一枚はまさに、彼がずっと溜め込んでいた気持ち、そのものだった。


あの日、抱いた疑問。敵は殺すと当たり前にしている錬金戦団。
俺たちとどちらがバケモノか。
その答えは見つかったのだろうか、どうなんだろうか。
それを剛太は口にはしない。決して。
だが、口にしないと収まらないこともある。あるんだよ、くそったれ!
「あんたは今、人間の心が残っているまま死にたいと願い、俺たちに殺すよう望んでいる。ああ、理解できるさ!確かにそれであんたは救われるかもしれない。確かにそうすればあんたが食うであろうはずだった、そんな人たちの命も救われるかもしれないさ。なあ!」
それがきっと戦士として当然の選択。ホムンクルスは、誰であれ罪。有無を言わさず殺す。誰であれ、人間でなくなった者に容赦はいらない。殺す。殺す前に殺す。殺す。殺す。殺せ!
剛太は顔に血管を浮かべたまま前のめりで首を振る。
「それでもオレはっ、オレはそいつを許すわけにはいかない、いかないんだよっ。オレは、それを許すわけにはいかないんだよ!……もう一度よく考えてみろ…。お前はそうやって死んだとして、それで…残された者はどうなるかわかるか?!!」
それは剛太だからこそ吐ける言葉だった。彼は、あの少女をいつだって胸に秘めて想い慕っているんだから。あの残されたかなしいひとを。だってそうだろう。残されたひとの悲しみに、救いなんかはどこにも無いってことを剛太はよく知っている。もしも救いがあるってんならだれか教えてあげてくれよ、きっと彼なら今すぐにでも実行するからさ。でもないんだ、ないんだよそんな方法!ないんだよどこにも!
「オレ達はもうアンタの事を知ってしまった。あんたが俺達をどこまで認識しているかは分からねぇが、オレ達はアンタを知っている!ブラボーにだって報告してる!剣持真希士ッ、銀成市へL・X・Eを解明し破壊させる為に派遣された戦士、ムーンフェイスに敗れて殺された錬金の戦士がアンタだろう!?」
それは誰の為の叫びなのだろうか。無力にあがく姿そのもののように、ただ響く声。
「…アンタを救うために今ここでこの手にある武装錬金で殺したとして、残るのはホムンクルスと化した哀れな戦士を殺したという記憶だけだ。オレやそこの早坂の姉弟や御前様や、…それにキャプテン・ブラボーはどんな悲しみを背負うことになると思ってやがる」
剛太が呟いたブラボーの名が、さらに真希士の表情を悲しみで彩った。それだけで、真希士のブラボーへの気持ちが表に出る。キャプテン・ブラボー。ブラボーは、真希士の上官でもあり師匠でもある、尊敬に値する漢だった。
ブラボーは家族を無くした戦士の拠り所であろうとする優しさがあった。だってそれが、守るということだから。守れなかった真希士、戦士にとって死は当然の運命。怒ってなどいない、きっとブラボーはまた悲しくて今にも泣きそうな顔になるだけ。真希士とて錬金の戦士。ブラボーのことはよく理解している。だからこそ!
「なおさらだ!ブラボーにホムンクルスになっちまったオレ様なんか見せたくねぇんだよ!頼むよ、殺してくれ!!それがオレにとって今ある、唯一の救いなんだから!!」
「良いから聞け、剣持真希士!!人を救うってのはそんなに優しい、甘っちょろいもんじゃあないんだよ!」
救う厳しさと辛さと悲しさと。涙と。出会いと別れと。涙と。
「オレは、俺たちは知っているんだ!一人の戦士の決断によって、救われた多くの命がうつむき悲しんでいるのを知っている!!聞けよ!別れに…、別れに救いなんてありえないんだよ!」
別れに救いなんか、ない。
ずっと、戦士達は皆、死ぬことの覚悟が戦士にとって当たり前のものだと思っていた。そして、戦士が死んでいくことに対する覚悟もまた、当たり前のはずだった。でも違うんだ。違うんだ。違ったんだ!断じて!
「このオレの命だって今なら戦団に救われたものだとはっきり言える。オレの家族はホムンクルスに殺されて、オレは一人残された。だから、夢も希望も願いもなく、ただ救われただけの命だって、ずっとそう思っていたよ!」
自分以外の“死”が、残された剛太にとっては重すぎた、とても重かった。…だけど、それでも剛太は立ち上がった。立ち上がることができたのである。それは。
「俺には、立ち上がることを教えてくれた人がいる。俺を救ってくれた人がいたんだ。だから俺でも、こんな俺でも立ち上がることができた」
救ってくれたのは他の誰でもない、“斗貴子先輩”だ。剛太は止まらない。そしてここにいる誰にも彼を止める理由なんかなかった。
「思い出せよ剣持真希士!!今のお前に必要なのは安らかな死でもましてや美しい死化粧なんかでもないだろ、戦士・真希士!!お前にとって倒さねばならない存在はなんだ?!どうしても守りたい存在はなんだった?!お前は非力じゃないだろう、強いだろう!!だったら戦士として今やるべきことはなんだ、諦めて死ぬことか?違うだろう!!!立ち上がれよ、真希士!!戦士ならば、立ちふさがるすべてに立ち向かえ!!戦え!!!戦え!…逃げずに戦えよ!!!」
もう論理も何もないかもしれない。ただの叫びだった。善か悪かの問題ではなかった、ただ叫ばずにいられなかったんだ。
あの夏、目の前で一心同体の二人を見ているのは辛かった。その二人は全てが上手くいかなかった時、互いが本当に死ぬ覚悟をしていた。自分がどれだけ覚悟を重ねようと、二人の間に入れないのが辛かった。できたことといえば、傘に割り込むことぐらいだったよ。
それでも。
それでもっ。
それでもっ!
真希士も叫ぶ!二人はただ言葉で殴り合う。人間の心をさらけ出して。
「だが、オレはもうバケモノなんだぞ!既に死んでしまった命でもあるッ。もう人間には戻れないんだ!!」
剣持真希士も自身が信じる救いを諦めない。今の彼にとって唯一の希望は死にあるんだ。
「あんたはまだ、バケモノじゃない。人間の心が残っているだろうが!」
「その心がもうもたないから言っているんだ殺してくれと!!頼む!殺してくれよっ!」
真希士は泣いていた。涙を流していた。声がうわずっていた!!
「もうオレはすでに一度ホムンクルスに負けて死んだ命なんだ!お願いだから、殺してくれ!!頼む、錬金の戦士っ。それがお前たちの使命じゃないのか!?」
死を願う戦士の姿があった。
違う、それは戦士のあるべき死に様なんかじゃない。戦えよ、希望を手放すなよっ。どれだけ絶望が重くのしかかろうとも、そこで俯いたら何も始まらないんだ!幇助してもらっての自殺を「戦って死んだ」なんて言う者はいない。戦って死ぬとはもっと罪深くて、暗い闇に包まれた底にある絶望的な結果なのだから!死を覚悟するとは、死を望むこととは意味が違う。死ぬために戦う者を誰も戦士とは呼ばない。戦士にとって死とはあくまでも、結果論であるべき物語なんだ。だから。死を望み全てをただかなぐり捨てようとしている相手を止める言葉は、そう。
怒りだ、もう怒りしかない。
「馬鹿野郎!!!お前は!負けを悟ったらすぐ死を選ぶのか?!本当にそんなくだらねぇ潔さがお前の信念か!!答えろ、剣持真希士!!!!お前はそんな諦めのいい戦士だったのか!?」
いつだったか、ブラボーとムーンフェイスのやり取りの中を思い出そう。
―――…諦めが悪いね。そう言えばホラ。最初に始末した君の部下も諦めが悪くて難儀したね。
―――そうか。アイツは諦めが悪かったか…。最後まで強き意志で戦い抜いたか!
そうだ、思い出せ!!そしてふざけたお月様に今度こそ思い知らせてやれ!!!錬金の戦士がただの戦士ではないことを!!!!
「戦えよ、全ての衝動と戦えよ!確かに残酷かもしれない、救いがないかもしれない。けどな、戦士は人間として死ぬもんじゃないんだ。バケモノとして死ぬんでもない。戦士は戦士として死ぬもんだ、そうなんだろ?!」
剛太がうつむき、拳を握る。きっと哭いているのだろう。思えばあの海の日から今日まで、彼もまたとても辛い思いを抱えてきたのだ。
言葉が途切れる。静寂が流れる。心音だけがこだまする。
剛太が許せなかったのは、真希士が諦めていたことだった。
「…諦めるな、武藤が言ってくれた言葉だな」
心を打つ言葉がある。秋水にとってのその言葉は、今呟いたあの日の言葉だった。
剛太が、搾り出すように言葉をつむぐ。
「頼むよ、オレもつきあうからさ…。取り返しがつかなくなるギリギリまで…、もう少しだけ頑張ろうぜ……っ」
もう非力に涙するのは嫌だから!!



ドクン。



鼓動が脈動が耳を塞ぐ。その先にあるのは、罪深いだけの衝動。
「それでもオレは…ッ!!」
そのとき、新たな乱入者が丸腰で現れて叫んだ。
「罠よっ!ムーンフェイスは、入り口に!!」
「ッ姉さん!?」
ここで桜花の到着。桜花が伝えた言葉の意味することを居並ぶ戦士たちが理解していく中で、御前様のいない姉を秋水が気遣う中で、…真希士は目の前の桜花というニンゲンが意味するモノを衝動として理解していく。

ホムンクルスの好みも人間と大差なくてな。より瑞々しく若々しい方が美味しいとかなんとか。


それは、最悪のタイミングだった。葛藤する真希士の視界に現れたのは早坂桜花。
そのとき、ひたかくしにしていた願望が欲情が再び揺り起こされる。


とてもやわらかくて、おいしそうなおにく。おんな。くいたいな。


視線を感じて、桜花の体が強張る。
全身を視線で嘗め回されているのを理解する。
足を腰を躰を指を胸を顔を唇を耳を瞳を髪を。


ドクン


喰いたい。

ドクン。

喰イタイ。喰いたい。

ドクン。ドクン。

喰いたい。喰いたい。喰いたい。喰いたい。

ドクン。ドクン。ドクン。ドクン。


あの足をしゃぶり尽くして腰に手を回して躰を弄んで指を舐め輪姦(まわ)して胸を揉みしだいて顔を苦痛に歪ませて唇を奪って耳を甘く噛んで瞳を閉じて髪を優しくすいて。犯したい。

喰わせろ!!!






言葉では救われない。救われない行為がある。
救いはいつだって、過ちの先にあるとしても。
罪深いほどに、黒く甘く熱い味わいを味わってはいけない。
欲望への敗北それは、死ねと言われても仕方のない過ちか。
魅入られてはいけない、虜になってはいけない。
犯した先に、幸せな結末は決して訪れない。





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最終更新:2009年12月13日 16:40
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