第38話

剣持真希士は高校生活を楽しんだことがない。
中学三年のときだった
父の転勤で、生まれ育った茨城から引っ越すことになった真希士達家族は、羽田から旅客機で福岡へ向かっていた。あのときその旅客機に乗らなければ、あるいは真希士の暮らしはまったく別のものになっていただろう。
真希士達家族を乗せた旅客機は順調に離陸し、福岡空港へ向かっていた。
どれくらい経ったろう。水平飛行に入ってほっと一息つき、窓の外の雲を見るのにも飽きてきたころ。
事件は起きた。
旅客機の乗客二〇〇名は、ホムンクルス集団に狙われていたのだ。
その後の錬金戦団の調査でわかったことだが、真希士たち家族が乗っていた旅客機は、人間型ホムンクルス一体を首領とする10体ほどのホムンクルス集団に制圧されていた。
翼あるホムンクルスで構成されたその組織は、殺戮の限りを尽くすと飛行機を墜落させ、自分たちの捕食の痕跡を消すというのを常套手段とした集団だった。
最初は、何か危機のトラブルでもあったのかと真希士は思った。
しかし、翼あるバケモノ……まさに悪魔のようなそいつらが、乗客を次々と捕食していくさまを目の当たりにして、異常事態が起きていることがわかった。狭い通路を逃げまどう人々が引き裂かれ喰いちぎられていく。
真希士の両親は、息子たちを守ろうとバケモノとの間に立ちふさがった。
真希士はぎゅっと目を閉じ、耳をふさいで、嵐のような怒号と悲鳴が過ぎ去るのを待った。
だが、嵐は過ぎなかった。生温かい液体が、ボトッ、ボトッと降り始めの大粒の雨のように落ちてくるのが感じられ、次いで鉄のような生臭い異臭が鼻をついた。
おそるおそる目を開けると、一面は血の海。降り注いだのは血の雨だった。
両親は喰われてしまったが、それでも兄は気丈に、翼あるホムンクルスから弟を守ろうと手を広げている。
――真希士が助かったのはホムンクルスの気まぐれにすぎない。
真希士の兄を喰おうと、バケモノが巨大な嘴を向けたそのとき。首領と思しき人間型ホムンクルスがやって来た。
ソイツが、愉快そうに言った。
「そのへんでやめておいてあげなよ。必死でバケモノから弟を守る兄。美しいね。その美しさへのご褒美にさらなる恐怖を差し上げよう。喰われる恐怖の前菜から墜落の恐怖へのフルコースだ。味わい深いだろう」
その言葉で喰われずにすんだ。
しかし、命の危機が去ったわけではない。
「良い旅を……地獄行きのね」
ヤツは気取った口調でそう言うと、ハッチを開けて長い髪をなびかせ空へ飛んでいき、やがて雲間に消えてしまった。
旅客機はパイロットを失い、ダッチロールしつつ高度を下げていく。
「真希士ッ!シートベルトだッ!」
「兄貴……」
「諦めるな。オレたちはまだ、生きてる」
グンッと機体が揺れて、高度がますます下がっていく。固く目を閉じて、体を丸めた。
爆発にも似た激しい衝撃とともに方向感覚はめちゃくちゃになり、次いで、意識を失った。
どのくらい時間が経っただろうか。
真希士は意識を取り戻した。このときかなりの重傷を負っていたのだが、なぜか痛みの記憶はない。
ただ、体が動かなかったのだけは覚えていた。自分がどうなっているのかまったくわからず体も思うように動かせないまま、ただそのまま目に映るものを見た。
兄を。
兄は墜落の衝撃から守るように覆いかぶさっていた。
その背中には、いくつもの鋭利な破片が刺さっており、下半身は千切れてなくなっていた。
それは、兄がいなければ、真希士が受けていた傷だった。
その後。
奇跡的に唯一の生還者となった真希士は傷が癒えると錬金戦団の事情聴取に協力し、その過程で錬金術のことを識ることとなる。真希士は志願して適性検査を受け、戦士となった。


以上、集英社JUMP j BOOKS「武装錬金/Z 夢みた楽園」より抜粋、及び一部改変。
参考文献・同上


そして真希士は、復讐を果たし家族の敵をとり、その後も戦士を続け、とある任務で銀成市に派遣されて、ムーンフェイスに敗れて死んでホムンクルスとなる。
今剛太達に立ちふさがり死を望む元人間は、そんな人生を歩んで、享年十九で往ってしまったホムンクルス。



第38話 a BOY



死ぬことができたなら、どれだけ楽だっただろうか。
この背中からはえた武装錬金を本来の使い方そのままに自分というホムンクルスに突き立てることができたら、どれだけ楽だっただろうか。だができなかった。
お月様が決してそれを許してくれなかった。

病院で、武装錬金を駆る少年たちと対峙して、少しの日々が流れて。
それはムーンフェイスによって施された洗脳の期間を思えば僅かな時間だったが、徐々に確かに確実に真希士が自身を取り戻すきっかけとなっていて。そして段々と人間の人格が安定してきて、あのホムンクルスに成り立ての状態特有の飢餓感も終わってそして、人間型として自身の自我を保ったままホムンクルスと化して、そうしてようやく。
自身の存在に絶望した。
彼の望んだ楽園とやらが、遥か絶望の底へ堕ちてしまったことを理解した。

だが真希士が自身に始末をつける前に、ムーンフェイスが見せた、逆らうことのできない地獄という現実。死者にこそ地獄を見るに似つかわしい。
そして真希士は見てしまった。閉ざされた早坂の扉の母の愛を。
それこそが真希士が人間としての意識を取り戻して、それでもまだ剛太達に立ちふさがるその理由。
目の前に居並ぶは、「おなじにんげんのかたち」をした「ホムンクルス」達。お月様をそれを指差して、そしてこうささやく。『これと同じことをキミでやったっていいんだよ』、絶望ッ!そんなことを言われて逆らえるわけがない!
自殺すれば、自分の死体から大量に精製されたホムンクルスの本体を、また有象無象の人間達にブチ込んで悲劇が目の前の早坂という母の悲劇が再現されてしまう。故に自分で自分に始末をつけるわけにいかず。
裏切れば、自分の死体から大量に精製されたホムンクルスの本体を、また有象無象の人間達にブチ込んで悲劇が目の前の早坂という母の悲劇が再現されてしまう。故にムーンフェイスに歯向かうわけにいかず。
逃げる方法などどこにも無く。
まだホムンクルスではない戦士だった頃、真希士が望んでいたのは、ホムンクルスのいない世界だった。それが彼の夢みた楽園だった。
それが、自分がホムンクルスと化して楽園を食い散らす世界なんて、そんな話が、話が!

真希士に残された選択肢はひとつだけだった。
ホムンクルスとして、錬金の戦士に殺される。
ただそれだけの絶望が彼にとっての、唯一の希望。


はっきりと人間の意識を取り戻した真希士は、自身が閉じ込められた絶望の全貌を剛太達に語った。俺はもう諦めた、殺してくれ。と言いたげで。以上の絶望を。
時々言葉に詰まっていたのは悲しみからか絶望からか、それともホムンクルスとしての意識が顔を出していたのか。

その不安定な姿がとても悲しくて痛々しくて。
殺してやるのが優しさではないかと思えるほどで。
それこそが目の前で苦しんでいる男を救ってやりたいと思う気持ちに他ならなかった。

それで、あなたなら、殺しますか?






以下、集英社JUMP j BOOKS「武装錬金/Z 夢みた楽園」より抜粋、及び一部改変。
参考文献・同上。

オレ様には夢があったんだ。それはホムンクルスのいない社会……楽園をつくること。オレ様の社会とは、今現在のこの地球のこの社会だ。いつか来る漠然とした未来でもなければ、月の世界でもない。

ホムンクルスになっちまったオレ様には……もう……オレ様自身の楽園に……入る資格はねェ……。



嫌だ……ホムンクルスになるのは…嫌なんだッ!
―――喰いたい……喰いたい……喰いたい!


……コロシテ……クレ……。





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最終更新:2009年12月13日 16:39
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