第37話

死にたいのなら死ねばいい。殺したいのなら殺せばいい。
だけど、本当に死にたいのか。本当に殺したいのか。

望む結末と描かれる結末は違うかもしれない。
それでも、人は誰しも未来を描く夢追いだから。
その未来が現実のものとなるように、絶望を希望に変えて。
まずは死を。



第37話 沸き立つ死(後編)



さあ、墓を掘るときである。全てを踏まえた上で墓を掘るときがやってくる。
救いは彼に無く、見つけたはずの希望も彼の者には届かない。然らば抗(あらが)え愚かな人間たちよ、逝きとし生ける運命の踊り手人形たちよ。
「待たせたな」
犬飼が仲間に見向きもせずに声だけを届けた。答えて剛太、これも必要最小限の返答で応える。
「いや、そうでもないさ、助かった。あとも頼む」
それは事前に争案が固められていたからこそのやりとりであった。開戦前、剛太が圧倒的なホムンクルス・真希士に対して見出した勝機の要が、犬飼であったのである。それも、犬飼の武装錬金、キラーレイビーズではなく、犬飼という戦士。
かつて、犬飼は彼の武装錬金を語るとき、こう言った。「さっき安全装置を解除した。こうなったらもうボクにも止められない!」
そう、彼は制御していたのである。あの狂犬を二匹も!!
そうだ。勝機は、ここにあったんだ。

しつこいかもしれないが、犬飼は強い。
彼の武装錬金、キラーレイビーズ。高速で動く狂犬二体の動きを把握し、そして並列して状況の先読みができなければ、それを駆ることはかなわない。だが、制御不能であるがゆえに犬飼は狂犬達に安全装置を施し動きに制限をかけていたと考えるのは少し浅はかであろう。
安全装置。その本質は、キラーレイビーズの動きに制限をかけるものではなく、むしろその逆だった。つまりそれはキラーレイビーズの動きに幅を持たせるための工夫なのである。
近くにいる者全てをかみ殺す狂犬とは、言わば行動パターンの決まった機械にも同じである。いくら凶悪でも対策をとられてしまえば、いとも容易く狩られる側へ追いやられるハメを味わうことになることは避けられない。事実、カズキと剛太とを相手にした戦いがそうであった。
夜討ちに万全の警戒を施された状況下に、うっかり飛び込んだ上での失態と敗北。それは、負けて当然の状況だっただろう。だがしかしそれでも犬飼は、その状況に合わせて最善に近い行動をとって戦った。夜討ちに失敗した上で、それでも戦士としての本分を果たしたのである。死を覚悟で。


思い出そう。確かに“Rabies”の意味は“狂犬病”かもしれない。キラーレイビーズの基本状態はまさにソレかもしれない、だが!
ミリタリードッグの意味を言ってみるといい、ああそうだ軍用犬だ!!
ならば、戦士が戦場で最大限の力を発揮するために必要な存在はなんだ。訓練されてこそ戦士、この戦いの狩場にふさわしい駒となり独楽となりうる。だからこそ。
断言しよう。狩りに必要だったのは、優秀な指揮官である。優秀とは強さのみを指す言葉ではない。強い指揮官は確かに優秀であろう。だが真に強き指揮官とは、弱さを知っているものだ。
水魚の交わりを得て初めて蛮勇は豪傑と化す。同様に、豪傑を得て初めて隠者は賢人として顕れる。賢人が求めるのは豪傑であって、狂人ではない。

振り返ればこの状況。
まさにこの状況は、仲間という豪傑を駒として得た負け犬と呼ばれし隠者の顕在。隠者の独りよがりな独楽遊びは今、仲間を得て盤面を支配する駒死合へと繋がる。犬飼の能力は、狩る立場にいてこそ最大限に発揮される。いや、もはや無限大と言うべきだろう。
犬飼の強さは、キラーレイビーズという武装を乗り越えたところにあった。故にもう一度ここで言おう。勝機は犬飼にあった。ホムンクルス・剣持真希士を狩る要石は、犬飼という名の戦士であるのだ、と。
犬飼の指揮は、戦士の戦士としての力を最大限に引き上げる。その存在はまさに、狩りにうってつけ!

狩りとは酷いものである。
手駒と道具をいかに活用し、いかに温存するか。狩りの本質は相手を捻りつぶすことではない。相手を消耗させて、疲弊させることなのだ。
あの敗戦の日の犬飼にあった不幸はふたつ。軍用犬の戦力に対して武藤カズキというヴィクターが猛獣にも値する強さを誇っていたこと、中村剛太という悪天候にも似た場を乱すことに長けたイレギュラーがいたこと。そのふたつが手を組んでハメてくるのだから、狩りを行う上で、敵の組み合わせとしては最悪の条件下に近いと言わざるをえない。
剛太は作戦前、犬飼に見出したこの勝機を仲間に語るとき、確信を持って以下のように言ったという。もしも再殺部隊のリーダーが犬飼だったならば、確実に逃避行は失敗に終わっていた、死んでいた、と。そう。犬飼に武装錬金など、そもそも必要なかったのだ。
ちなみに犬飼には弱点がもうひとつある。それはつまり武装錬金発動中の無防備さ。だが、それも戦略と適切な人員配備でどうにでもなる。ほら、犬飼の横に一人の戦士が仁王立ちしているだろう?


つまり、整理すると以下のようになる。
手駒となる狗として、中村剛太と早坂秋水を配置。さらに犬飼自身を守る防壁としては戦部という貫かれても立ちふさがる無敵の盾を配置。安全圏から、的確な指示を出して追い詰める、それはまさに狩りだ。
ホムンクルスという種の獣を狩る、大がかりにして本気の狩り。
犬飼は本来、最前線よりも、前線に指示を出す中間管理職といった立場が向いているのかもしれない。彼が真に得意とするのは、場に応じたノータイムでの状況把握と的確な指示。それはまさに二匹の猛獣を制御してきた犬飼ならではの芸当であったのだろう。
事実、戦士たちは水を得た魚と成り、犬飼の合流以後、それぞれ各々最大限の力を発揮し始める。
剛太は時に、自身の速さを持て余す事があった。なぜなら考えるよりも早く動けてしまうから。だが犬飼がそれを補う。道を教える。誘う。
また犬飼という目は、秋水の無駄を最大限に省く。思考はいらない。全ての活動を総て犬飼に預け、秋水はただ動く刹那に備えるだけでいい。
戦いにおいて言葉はか弱い。なぜなら音の速度は光のそれに遥かに劣るのだ。言葉が届く前に、死ぬのが当然の現実。ソレを知る犬飼に言葉は少ないものであった。そもそも狗に贈る言葉に飾りはいらないのだから。
最低限の言葉を、死の光が放たれる前に届けてやればそれでいい。それが、狩りだ。備えあれば、狩れぬ存在などいない。

「うおっ」
剛太が思わず漏らした呟きは、真希士を壁際まで追い込んだことによって発せられた。
自身が剣持真希士を追い詰めているという実感を感じていなかったからである。気がついたときには、剣持真希士が追い詰められていた、それが予想範疇の驚き。
ここにきて、いける、と誰もが確信が強くなる。それは、まるで、簡単に進みすぎている現状を誤魔化すかのように広がる確信か。
だからだろう。
犬飼が突然キレ出した時、現実という状況が今どんな景色を描いているのかわからずに呆ける間抜けを誰もが犯してしまうこととなった。
時が止まる。


「ふざけんなよてめぇ!!」
犬飼が確信と共に吠えた。というかキレた。キレてた。キレていた。
そのありえない言葉に、真希士を囲んでいた全ての戦士が手を止める。いや、それだけではない。真希士までもが、その四本の腕を止めていた。犬飼がその後に続けた言葉は、彼らの時を止めるのに十分な言葉だったからだ。
「てめぇ、生きる気ねぇだろ!死ぬために戦ってんじゃねえよッ!!」



確かに違和感は戦っている全ての者が感じていた。そして犬飼の言葉でこの場にいる誰もが、その違和感の正体に気がつくことになる。
狩る立場にいる時にだけ理解る感覚があった。今の真希士にはないもの、それが猫を咬む窮鼠の気配。
死に物狂いの悲壮がどこにもないのである。ただ感じるのはひとつ、『雄雄しく死のう』とかそういう一番かっこ悪い言葉。
こうして物語はひとつの地獄を先に語ることで再び巻き戻る。今行われているのは、狩りではない。ただの自殺幇助だったという行為の失墜。
犬飼は、そこに気がついたのだ。戦士としてそんな不愉快は無いだろう。

真実それは、剣持真希士の正気。
その時、戦士たちの前にいたホムンクルス・真希士は、正気を取り戻していたということ。
そして同時に彼は、ホムンクルスと成り果てた自ら存在という業を理解してたということ。
故に、故にだ。
彼が望むのはただひとつ。
死。


「……コロシテ……クレ……」
人間として精一杯の意識をふりしぼったか……真希士は搾り出すように懇願した。
剣持真希士は不完全な正気を取り戻した上で、それでもこれまでは何も語らずに戦っていた。ただただ戦って死のうとしていた。

全ては彼なりに救いと信じた、エンバーミングを求めて。
ここから、あの正当なる続きを騙る物語を、本格的に殺そうと思う。
剣持真希士という人間の、死を添えて。








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最終更新:2009年12月13日 16:39
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