第33話

花は桜、桜は散る花。
闇の中で見つけた光は、闇すらも照らす。
さあ、救いはどこに咲き誇る。
花は桜、桜は散る花。死は世界中で咲く花。
死から逃れることはできても、死から逃れきることはできない。
不死の存在とて、いつかは追われ殺される運命だ。
華は、散るから美しい。

永遠なんて、どこにもない。



第33話 大事な存在を再殺せんとする強い意志



「なあオイ。本当にアレでよかったのか?」
駆けながら犬飼が戦部に声をかける。
「さあな。戦(や)ってみなければ何もわからんものさ」
戦部の返事にあった色は、桜花に対する信頼も、ましてや応援の意思も感じられないものだった。戦部にあったのは礼義という観念。戦う覚悟を決めた者に贈る言葉はいらない、それが美学。それこそはまさに戦士と呼ぶにふさわしい価値観なのだろう。
勝つ者が戦士なのではない、負けた者が戦士なのでもない。戦う覚悟を決めた者、それこそが戦士なのだ。
「それよりも急ぐぞ犬飼。あの新米(ルーキー)が言うに、勝機はお前にかかっているらしいのだからな」
「ああ、わかってるよ」
勝機とはつまり、真希士に対する勝機。
犬飼こそは、真希士の狩人。バケモノと化した士を狩る、その為に彼はここにいる。
残酷な判断。バケモノは、狗に追い立てられる姿こそが似つかわしい現実。



死よ、存分に舞え。
悶え狂死め、大切な人達から別たれた咎人達よ。
罪とは何だ、罰とは何だ、因果とはなんだ、運命とはなんだ。
決意とはなんだ、覚悟とはなんだ、信念とはなんだ。
世界とはどこにある、心はどこにある、命とは一体どこにある。
絶望したのはいつだ、哭いたのはいつだ、終末が来るのはいったいいつなんだ!!


ピリオドの本質は別れ、別離の記号。
この物語は別たれた人々を繋ぐ物語。
何の為に。
再び、別れるために。
別れは出会いの始まり。
その幕開けは、やはり死によって生まれる。



「うわぁああぁぁぁああああああああああ!!!!!」
エンゼル御前、咆哮!
叫ばねば殺ってられない。殺ってられるはずがない!!
死が次々と母娘を別ちあっていた。
その天使の矢は断罪のものではない。ただの、殺す矢だ。
何度でも何度でも、大事だった母を殺す矢だ。

健やかなる時も、病める時も。喜びの時も、悲しみの時も。富める時も、貧しき時も。
これを愛し、これを敬い。これを慰め これを助け。
死が二人を別つまで、共に生きることを誓いますか?『誓います』

そして死は二人、いや三人一緒の約束を別ってしまった。
それでもあの時は、“死”とか“生きる”とかほんとうによくわからなかった!

「…今なら、わかるわ」

静かに桜花は、母を殺す手を下ろした。
命の大切さを教えてくれた人がいる。捨てる命と拾う命。命っていったいなんだろう。
桜花は姿勢を居並ぶ母たちの方に向きなおし背を伸ばし、顔を上げた。
その姿はまさに、威風堂々。桜花はいつだって、望みを叶えるためなら、どんな労苦だって厭わない、そんな女性だった。だけど今の桜花の姿に、無様などは微塵も無かった。
なぜってほら、誇りと信念がそこにはあるのだから!
「お母さんはお母さんじゃなかった。…でも、今私たちに立ちふさがるあなた達は、そのお母さんじゃない人でもない」
今ならはっきりとわかる。
“死”とか“生きる”とか、とてもよくわかっている。
「あなたは死んだわ、早坂真由美さんだった人。そして生き返れてもいない。今のあなたに名前はあるの?あなたに叶えたい望みはありますか?大切な人はいますか?」
「…ソトはアブないかラ……デチャだメ…よ……」
目の前の母の形をした存在に言葉が届かないことは理解している。それでも桜花は思いのたけを全て、言葉にした。かなしくて、言葉にせずにはいられなかった。
「あなたは私達のお母さんじゃない。私のおかあさんだった人は、とても優しい人だった。私達のために朝早く仕事に出掛け、ずっと働いて夜遅く帰ってくる、私達を心から大切に思ってくれている人だった。日に日に細く細くなってしまうまで、必死で生きて、そして死んで逝ったわ」
父親は、いない。知らない。わからない。
桜花と、母さんと、秋水クン。「早坂家」は三人と、1DKのアパートが全てだった。
大好きだったケッコン式ごっこ。締めは決まって“母さんと三人一緒”。
「でもね、もう母さんと私達の世界は別たれてしまったの。母さんの死によって。だから、もう一緒にはいられない。だって今ならはっきりと分かっているもの。死とは、別つもの。会えるはずがないのよ、死んだ母さんとはっ」
それだけを理解していれば、目の前の「ホムンクルス」とだって戦える。たとえ母の形をしていようとも弓を引ける。天使の笑みをもって矢を放つことまでできるんだ。それでも今は感情を、おもいのたけを全て前へ出す。この気持ちはそうだ、感謝っ!!
「あなたは死んだのよっ、母さん!そして生き返れてもいないっ。今のあなたに名前はある?!あなたに叶えたい望みはありますか?!大切な人はいますか?!私には全部あるわ!!私の名前は早坂桜花!早坂真由美の娘だから、早坂桜花!望みもある、秋水クン以外にも、大切な人が出来ました、出会うことができました!!」
あの日から今日まで、そしてあの日から今日まで。桜花は色んな信念に出会うことができた。

それはたとえば、命を大切に、切り捨てない強さ。
またはたとえば、人を守るため、断固として敵は殺す優しさ。
一人でも多くの人を守るために、自身にさえ始末をつけんとする悲しさ。
みんな大切な人たちが教えてくれた、大切な信念だ。
「…お別れです、おかあさん」
あの日あの時、さよならを言うことができなかった。だから、今もう一度、ここで別れるんだ。
そして再び桜花は弓を構える。御前様が、桜花に代わって弓を引く。
ありがとう。心から。


愛ゆえに殺そう。愛しい母を。
こんな形でも、出会えてよかったと思えるように、この眼に焼き付けよう。
天使のような微笑みで、その腕から全方位無差別に矢を放とう。
愛ゆえに殺そう。母の命の誇りを守るために。
早坂真由美は、子供たちのために生き、そして死んだ。その後のことも、その前のこともどうでもいい。早坂真由美は、心から私達のことを愛してくれていた。そこには偽りなんか何も無かった!
「さようなら、おかあさん。…そして、ありがとう」
矢が放たれた。次々と母の形をしたものたちが死んでいく、殺されていく。
桜花は笑っていた。満面の微笑みで母を見送っていた、笑って母を殺していった。
だけど御前様が泣いていた。泣いて、泣いて、泣いていた。
思えばいつも彼女はそうだった。笑っていてもどこかで泣いていた。泣いているくせに、いつも笑っていた。なのに、目だけはいつも笑うことができなかった。あの眼ができなかった。
御前様から涙が止まらない。
御前様は、桜花の代わって泣くために、泣くことができるんだと今なら思える。
「…ありがとう、御前様も」
桜花はわかってたつもりで全然わかってなかった。信念を最後まで貫き通すことが、これほど辛いことだったなんて知らなかったんだ。
これが戦士というものなのか。だったらそれはあまりにも悲しすぎる。
死に逝く者の魂を救って何になる?
これでいったい誰が救われるというのか。

殺したくなんかない!殺さなくてすむ方法は本当にないのか!?
これが本当に正しいのか、いいやそんなはずがない!!
だって、こんなに悲しい辛い嘆かずにはいられないんだ!!
殺す、殺す、殺した、殺した。殺すんだ、殺したんだ、まだまだ殺すんだ!!
他の誰でもなく、母を、母を。母をっ。母を!この手で!!

今なら理解できる。
死によって救われるものなんて何もない。
生きていて、それで人は救いの存在になるのだから。
そうして、いつかくる死によって、感謝の気持ちは永遠になる。そうだ。
「あなたはいつまでも永遠に、私たちのおかあさんです。…本当に、ありがとう」
自分がたとえ母殺しを演じる状況下でも、こうして笑うことができるようになったのは、どれだけ辛くても子供の前では決して笑顔を絶やさなかった優しい“おかあさん”の影響だと思う。
だからたとえ心から笑えない時があったとしても、決して悲しむことはないよ。
それでもきっとおかあさんは、わらってくれるから。


風の吹かないこの閉ざされた部屋の中で、それでも桜花は誰の後押しも必要とせず、再び歩き出す。一歩、また一歩と。
「…これでいいのよね、…秋水クン…」
これから先に待つ全ての決着がつくその時、きっと桜花は心から笑うことができるのだろう。きれいにあらわれた、まっしろなこころで。武藤カズキのように。
だから今は、泣いてもいいよ。立ち止まって。
瓦礫と化した母の上で。母なる大地の上で早坂桜花は膝をついた。



「うわああぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ」



たとえいつか仮面の微笑みを取り戻すとしても。それでも、だ。
辺りに響くその哭き声は御前様のものではなかった、とだけは言っておこう。






ここから全てが、さあ。壊れていく。
死闘が、母の死によって、幕開ける。
幕が開けた先には、正装姿で立つ月が一人。

正装とはつまり、礼服。礼服とはつまり、冠婚葬祭。
さあ。死ぬのは、だあれ?





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最終更新:2009年12月13日 16:38
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