第26話

もしくは麗しの蝶々を。



第26話 ミッドナイトホムンクルスVS.ミッドナイトホムンクルス



パピヨンとムーンフェイス。LXE以来の再会。先に動いたのはムーンフェイスだった。
「急くことは無い。むしろ少し、話をしようか」
パピヨンの表情がさらに曇るのも気にかけず、ムーンフェイスは武装を「完全に」解除した。

パピヨンの目の前に現れた顔は、人間の顔だった。目の前にいるムーンフェイスは、これまで見せていたどの顔とも違う顔をしていた。その顔を「醜い」と言ってしまうのは簡単だろう。だがあまりふさわしいとも思えない。
ムーンフェイスは自身の顔に、そこまで「こだわり」を見せるのだろう。その答えが、この顔にあった。
無重力下で人間におこる現象がある。血液が頭部に集まり顔がむくんだような状態になってしまうらしい。それが、ムーン・フェイス。今パピヨンに見せている、ムーンフェイスの「素顔」だった。
このような芸当が可能な武装錬金を、実のところ我々は知っている。そう、フェイタル・アトラクションこそがそれである。特性は、重力操作。ムーンフェイスとヴィクターの因縁、その始まりであろう。
「ヴィクターの武装錬金の特性を知っているかな?彼の特性を持ってすれば、これぐらいの芸当は可能なのさ」
未だ語られぬ二人の関係。ヴィクターとムーンフェイス。ここで彼らの過去を推測してみよう。
ムーンフェイスの本名は「ルナール・ニコラエフ」、ロシア系である。彼は錬金術師だった。ならばそんな彼とヴィクターが出会うとしたらいつになるだろうか。
それは、やはりヴィクターがヨーロッパから日本へと向けて走り続けた逃避行のさなかのロシアのはずだ。それが自然であると考えられる。
ではヴィクターと出会ったムーンフェイスは、何を考えてどうするだろう。目の前のヴィクター、それは錬金術師にとって掛け替えの無い「サンプル」である。特にムーンフェイスのように自身のホムンクルス化をもくろむような術士にとっては、どれだけ生唾を飲み干しても足りないぐらいの幻だ。
当然、ルナール・ニコラエフはヴィクターを手中に収めようと考えたはず。しかしヴィクターはその性格上、懐柔策が通用する相手ではない。ならば、戦うしかない。幸いヴィクターは既に負傷が極限に達しつつあったこともある。核鉄を手にするルナール・ニコラエフが戦闘を挑んだとしても何一つ不自然はないだろう。そして、ルナール・ニコラエフは敗北した。残ったのはムーンフェイスたる顔形のみ。
その後、ヴィクターのお供として日本へ渡ったとまではさすがに考えにくい。ならばこそ、以下はさらなる仮説である。
冷戦時代のロシアといえばやはり宇宙開発が有名だ。故に、月にこだわりを持つムーンフェイスが錬金術の力を宇宙開発のために応用しようと考えてもおかしくはない話である。しかし、宇宙開発の歴史に「ルナール・ニコラエフ」の名前はない。また月へ先に到着したのは(オカルト染みた真偽の議論はともかく)アメリカだとされている。
ここで不自然となるのは、ムーンフェイスが憧れの月に挑むこともせずただ指をくわえているだけであるかのように、宇宙に挑戦することもなく闇の世界に潜んでいたことだ。ならばこの五十年間百年間、ムーンフェイスはどこで何をしていたのだろうか。
おそらくこの期間こそ、ムーンフェイスは自身の目指す高み、つまり月たるムーンフェイスにとっての太陽、ヴィクターを探してLXEに合流したのではないだろうか。宇宙に抱いたはずの興味を全てヴィクターに注ぎ、50年以上かけてLXEに到達した。ヴィクターの足跡はエネルギードレインによる怪現象の痕跡を辿れば、銀成市に行き着くことは可能であろう。
全てはあくまで推測や邪推の域を出ない。だが、物事には語られてこそ価値が生まれるものもあるのだ。例えば真実と似たようなものである。

「醜い、顔だな」
あらゆる方面に対する配慮などせず、パピヨンはただ自身の価値観に従って、思ったままを口にした。醜いからどうとかいう意図の一切ない声で、ただ見て感じた思いのままを口にした。
「そうだろうね。そして私は自分の醜い姿から決別するために、そのシンボルとして月を選んだ。言ってみればキミの仮面と同じさ。それ、華麗なる変身の象徴なんだって?」
「…貴様の珍妙な月面も、人間をやめた証、というわけか」
「そうさ。似ているのだよ、私とキミは」
ムーンフェイスの言葉にパピヨンは、心底不愉快そうに空を見上げた。ムーンフェイスはそうしたパピヨンの反応を確かめた後、静かに心のうちを言葉にする。
「…彼ならどんな醜い月でも輝かせてくれる。私の王は、彼以外にいない」
これが、ムーンフェイスの真実だった。パピヨンがその病から逃れる術として錬金術に新しい命を見出した様に、ムーンフェイスもまた錬金術に新しい人生を見出していたのだ。醜い月が輝くためには太陽が必要なのである。ムーンフェイスには、ヴィクターという王が必要だったのだ。
ムーンフェイスの背中が語るのはムーンフェイスの人生だけ。故に、ルナール・ニコラエフの人生は推測する以外にない。
それでも。王たるヴィクターの傍らで輝ける存在を考えてほしい。ヴィクターはエネルギードレインを生態として行う。そんな存在の傍らで輝ける存在を、考えてもらいたい。それはやはり無限にも似た存在でなければ務まらない役回りに違いないだろう?
たとえばそう、永遠に満ち欠けを繰り返す、月のように。

「錬金戦団の所有している核鉄も、全て私が頂く。数えて百に近い核鉄があれば、きっと私の掌は月にだって届くだろう」
そしてそれこそが現在におけるムーンフェイスの目的だった。
「今の貴様の望み、核鉄か」
「そうさ。核鉄の力を借りて、私は月の高みへと辿り着く」
現在ムーンフェイスは、核鉄集めに狙いを絞っていた。その為に必要なもの、それがアジトだった。自分を狩りにくる錬金の戦士たちを一網打尽にするための、アジト。罠のほこら。
「その為にも、ここは使わせてもらう。いくよ(征く夜)、サテライト30“死魄”!」
30もの月の掌で煌いていた月牙が、ひとつに集まり、複雑な曲線美を描く巨大な矛を形成する。月の名の下に全てを貫く矛盾なき矛だ。
サテライト30が武装ではなく武器の一部という特殊な形状をしていたのには理由がある。つまり、全は一、一は全。サテライト30とは、30の月牙であると同時に、30でひとつの武装なのである。月牙の用途の数だけ、その姿も変えることができる武装。それがサテライト30の真実だった。そして。
「むぅん!!!」
病院でも見せた合体して巨大化をここで見せる。ムーンフェイス“真月”。影が月の表情を30色に彩って。
「なるほど、それが貴様の全力か」
まさに死魄の名に相応しい禍々しい曲線美。たったひとつの核鉄によってうまれた真月でさえこの高さだ。核鉄の数さえそろえば、神の領域に手を伸ばすことも十分に可能だろう。
だが。
「高みへは翔ぶものだ、手を伸ばすものではない」
そう呟くと、パピヨンは自身の核鉄へ手を伸ばす。
「貴様も、やはりご先祖様と同類か。星の光に惹かれてうろつくだけ。月は月なりに光の周りを飛べて、その程度で本当に満足か?」
空気が冷たく凍る。夜の月の温度は、限りなく低い。
「戦るなら来い、一人では光も満足に放てないお月様。オレはそんな光には興味がない」
蝶は蛾のように松明に飛び込んだりする真似はしない。ただ風気ままに、ひらひらと舞うのみ。
月の重力が、風を呼んで波を生む。ムーンフェイス“真月”の影が限りなく黒く輝く。
「いいやあまり月を甘く見ないほうがいい。そして私こそが、月になる」
ムーンフェイスは、パピヨンが開けた穴から見える空を指差す。天井にはパピヨンが空けた、月見のための大穴が闇にまどろんでいた。ムトウカズキがいる宙空。そこで月が煌く。
「違うな、貴様は月ですらない。月とはあれだ、太陽の光を借りて空に輝くただの石だ」
ムーンフェイスの顔に影が増し、そして憎悪の笑顔が光る。
「戦ろうか」
戦らいでか。

パピヨンの放つ閃光が月を照らす!!
カラリと石が転がった。風が駆け抜けて、空の色は変わらなくて。
「…フン」
勝負は一瞬でついた。
爆発が煌いたかと思えば、ムーンフェイスは30に分かたれた姿で地面に堕ちていた。動けないムーンフェイスもちらほらといるが、大半は健在といったところか。
しかし、ムーンフェイスには、パピヨンに襲い掛かる気配が失せていた。
「…なるほど、的確だね」
ムーンフェイスの一体がいつもの裂けた口で笑う。白旗を掲げるように、両手を挙げて。
パピヨンはこれまでの戦いを通じ武装錬金での戦闘における、最も大切なことを学んでいた。それは誰もが知っていること。そして一番難しいことだった。どんな戦士も、そして人型ホムンクルスも、武装錬金が無ければ当然その特性は発揮できないということ。それをパピヨンは誰よりも理解していたのである。
パピヨンは武装錬金における戦闘の核点が武器破壊にあることを確信していた。
激戦のような武装錬金があるということは、つまり逆に短期間での修復が可能な武装錬金が少ないということを意味している。他にはできないからこそ特性と言うのだから。
通常、多くの者が「武装錬金を潜り抜けて相手本体を狙う」ことが合理的だと考えている。だがそれは、実は違っているのだ。実際、武装錬金は武装錬金で破壊ができる。津村斗貴子のバルキリースカートにしてもそう。戦力を奪えば戦いのすべはおのずと限定されてくる。武装錬金を使用した戦闘において、もっとも冴えたやり方が、武器破壊であった。
あらゆる手とはひとつの目的のためにこそ尽くされるべきである。勝つためにあらゆる手を尽くすのではない。合理的に勝つためにこそ手は尽くさなければいけないのだ。
パピヨンのニアデスハピネスこそは、武器破壊を狙うのに適した武装錬金だった。決して武器破壊されることのない武装錬金、その戦力はあなたが思う以上に圧倒的なのである。故にパピヨンは言ったのだ。「我ながら、強いよコレは」と言ったのだ。

ムーンフェイスが合体を解除したのも、「これ以上サテライト30を攻撃されては破壊されてしまう」と判断してのことだった。30の姿に分かてば、武器破壊にも30の手間を要するという計算。それでも、30の武装錬金もろとも爆破されては再生も合体も分裂もできなくなるという事実。無敵にも思えたムーンフェイスだが、その弱点はサテライト30にあったのだ。
もちろんムーンフェイスもそれを理解している。だが、この時の驕りがあった。病院での緩みそのままに、サテライト30“死魄”という無敵の矛を見せ付けたかった傲慢。
この場は、それを的確に見抜いたパピヨンに勝利の軍配があがった。


かに思えた。


「う・し・ろ」
ムーンフェイスが、いつものムカつく三日月の笑顔でパピヨンの背後を指差す。
パピヨンの背後には白い核鉄を精製するために製作したフラスコがある。故に、ムーンフェイスの想定以上にこの一言には、パピヨンに焦りの感情を埋め込む威力があった。
そして。
振り向いたパピヨンの頬をかすめるかのように、サテライト30の一本がすり抜けていく。まるでそう、ブーメランそのままに。狙いは蝶々の覆面!!
「引き分けだね、“蝶野攻爵”クン?」
ムーンフェイスがニヤリと笑った横顔を存分に見せ付ける。しかし、パピヨンは最大限の屈辱を甘んじる意志はなかった!!
「俺をその名で呼ぶな」
爆発がパピヨンの眼前で起きた。それはまさに自爆的防御。守り通すべきは自身ではなく、自身のプライドだという選択肢。自らの意思で選ぶ未来。蝶々からすれば月も所詮は同じ石ころである。目は口ほどにものを言う。華麗なる変身もできないお月様が!
月の逆鱗がざわついた。
「生意気だね、蝶々は月の光の下でひらひらと舞っていればいいと云うのに」
「たまたま退屈を満たす花の頭上に座していただけのお月様風情が、笑わせる」
目は口ほどにものを言う。月に対する敬意ゼロの虫が!!ならば望み通り、陳腐な欲望を抱いて死ね!
ムーンフェイスは核鉄を掲げた。
「渾身で死を選ぶか。仕方ないね、望みを叶えてあげよう」
言うやムーンフェイスはその手のサテライト30を再び発動させる。
「知っているよ、君の弱点。不完全なホムンクルス、君の欠陥は持久力に乏しいところだったかな。ならばたまにはマラソンマッチもどうだい?!」
そびえ立つ真月!ムーンフェイスが迫ったのは、ムーンフェイスの核鉄の破壊が先か、パピヨンに限界がくるのが先かという方程式!
差し引きの結末によって求められる解は常に一つである。パピヨンは無音無動作で、黒死の蝶を無差別展開した。それが決戦の答え。
「ひとつ、教えておいてやろう。今の俺は、来るべき武藤カズキとの決着だけを思ってここにいる。理解できるか、ムーンフェイス。俺の望みは今、ただそれだけだ」
言うやパピヨンは、先ほどの倍以上の蝶を展開して見せた。即ち破壊を示唆する黒死の蝶々が四次元空間を覆う。
「いつかも使った言葉だが、まあいいだろう」
生への執着が、闘争心を二乗する。
「ムーンフェイス、貴様は化物になって死ね。」
彼方の限りを照らす絶対の巨星真月と、暗雲が如く虚闇を拡散する黒死の舞空蝶々。万物を背景とし夜の世界を気ままに舞う絶対的高さの差。だがそれでも、来たるべき武藤との決着の時を想像すれば。この闘争心、いくらでも昂ぶる!

にらみ合いがしばらく続いた硬直状態の果てに、先に矛を収めたのはムーンフェイスだった。
「やれやれ、核鉄を奪うための戦いで核鉄を破壊されるリスクを負うなんて話にならない。心残りだけど今夜は退散させてもらうよ」
場は白け、気がつけば戦闘の空気ではなくなっていく。その去り際、思い出したようにムーンフェイスがいつもの笑顔で振り返り言葉を残した。
「あれ以上戦っていたら、果たして負けたのはどちらだったろうか。それは少し心残りだね」
ムーンフェイスの呟きはパピヨンをざらつかせる。その感情を抑え込むようにパピヨンは無視した。これ以上に意味は無い。 白い核鉄を守るため、今の彼はプライドすらも自分で踏みにじる。
「待て、ムーンフェイス」
「むぅん?!」
月が言葉に反応してこちらを向く滑稽的状況。パピヨンは微笑だに手打ちの提案をした。なんともパピヨンらしくない。だがパピヨンからすれば、これ以上の面倒は御免だった。
「アジトを探しているなら、いい場所があるぞ」

この戦いは、痛み分け。言わば語らなくてもいい話だった。だが、語る価値のある物語でもあっただろう。
余談だが、この戦いをきっかけに、パピヨンは予約のない客に相応の出迎えをつくりはじめる。もうこれ以上外の世界の変化に煩わされたくないからだ。

この後のムーンフェイスに、もはや驕りは無くなる。
全力で願いを叶えるための努力をしてくるだろう。それでも勝たなければいけない。
どれだけ真月と化したムーンフェイスが強大で、そしてサテライト30の全てを破壊することが難題だとしても。勝たなければピリオドは打たれないのだ。
月と蝶の邂逅。影重ね遊び。

それも全ては、ピリオドを打つための物語。








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最終更新:2009年12月13日 16:35
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