第13話

真実の扉は何のためにあるのか。
扉の奥にあるのが悲劇だと知っていて、なぜ人は扉を開きたがるのだろう。
扉を開けばそれだけで決着がつくと本当に考えているのだろうか。『そんなわけないだろう?』
では、あなたの望む真の決着とはいったいなんなのだろうか、ヴィクトリア。
あなたの望んだ世界は“ここには無い”と知っていて、『それで一体何を望むというのですか』。


第13話 GIRL MEETS BLACK BLACK


ナースは静かに横たわっていた。怯えを孕む微かさではあるが、呼吸もある。命を奪われることからはなんとか免れることができていた。今、彼女は一つの机の下にいる。なぜそんなところにいるのか、もちろん必死に隠れていたからだ。
彼女の周りは荒らされつくしていた。報告としては以下のとおりになるだろう。「サンジェルマン病院の地下研究施設が何者かに襲撃され、研究用として保管された核鉄が『幾つか』強奪されました」。
目的を果たした“化物”の姿は、現場となった地下最深であるこの場にはない。
この場所を地上と繋ぐエレベーターの方から、ゴッ、ゴッ、と音が響く。化物が上へ上っている音だろう。

突如として病院の内部に響いた轟音があった。
その音を聞くや、単身先行して現場に駆けつけたのが剛太。“先輩がこの音を聞いていたら、間違いなくこの場に駆けつける”“先輩よりも先に現場に駆けつけることが重要”、そう剛太は考えたからである。現在、斗貴子はヴィクトリアと対峙しているのだが、剛太はそんなこと想像だにできていなかった。いや、想像を働かせる前にまず行動していた。それはある意味で、とても彼らしい行動だと言えるだろうか。
剛太が見た、敵が残した痕跡は暴力の爪痕だった。
「…ありえねぇ…。なんだコレは」
エレベーターの扉がひしゃげている。人間業ではない、つまりはそういうこと。
「ホムンクルスじゃなけりゃ、こんなのはありえねえ…か」
剛太は意識を戦闘へ向けて研ぎ澄まし、足元で回転しているモーターギアを手元に引き寄せた。
気配、来る。だんだんと足元の黒い穴からゴッ、ゴッ、と音が響いてくる。近づいてくる。そうしてまず見えたのが腕。
一本。
…二本。
――…そして三本目。
現れたのは人型をした、人ではないのだろう化物。
剛太は冷静に観察を続けた。
大きな西洋剣を抱えた三本目の腕が背中から生えた、恐らくホムンクルス。見た感じでは、それが武装錬金の特性なのか判断できない異形。三本腕なホムンクルスが、その腕をなんらかの武装錬金で覆っているだけなのかもしれない。
しかし、全ては参考程度である。選択肢を絞るような判断をしてはいけない。柔軟な対応が不可欠である戦場において、目視による情報に固執してはいけないのだ。戦士として、最低限の心構えである。
剛太は一歩後ずさると、気合を入れるように叫んだ。
「っバケモノが!!!」
―――この下で何をしていたか知らねぇが、ここから先は一歩も通さねえ!

「戦闘が始まったみたいね、病院の中でも」
ベッドの上で泣くのをやめない斗貴子を軽蔑したように見下しながら、ヴィクトリアが呟いた。
「お月様も足止めの時間を思っている以上には稼いではくれないみたい。あなたが落ち着くまでは待ってあげようかとも思ったけど、仕方ないわね。…そのままでいいから聞いて。忌むべき錬金術がつくりだした、ふざけた笑い話を」
今となっては笑うか、もしくは怒りしかないだろう物語。怒りを絶望に変換する直列併記の悲喜活劇。
「―――ママからはどこまで私たちのことを聞かされているのかしら。まあいいわ、どうせ同じ事よね。私しか知らなそうなことを話すんだから」
そう言ってヴィクトリアは、ふうっ、とため息をついた。
そのため息はどんな気持ちを吐き出しているのだろうか。幸せだった日々か、それともそれこそが思い出すのも苦痛の地獄なのか。幸せも不幸も知っている、だからこそ辛い。
今となっては、そんな彼女しか語ることができない真実がそこにはあった。


さて。この場は彼女の口を借りず、考えられる真実の紐を解くことにしたい。
ホムンクルス、ヴィクトリア・パワード。彼女の父である黒い彼は言った。“年端もいかぬ娘に責を負わせて化物にし”“化物にされた父親を討たせようとした”と。
だが、それはあくまで一方的な言い分なのである。冷静に考えてみるといい。そこにあるのが単に責任論の問題だけなのだろうか、と。
いや、それは違う。そこにあったのはきっと、もっと哀しい真実が隠されている。錬金戦団の業は、もっと遥か深く、まさに地獄の奥底にこそ存在し蠢いてきた。ならば目をそらすな耳をふさぐな、ここには善も悪もない。
想像力を働かせてみるといいだろう。ホムンクルスとの決戦で戦士が死んで、ヴィクターによってまた多くの戦士が死んだ過去の大決戦直後。そうした状況で、生きているだけで死を撒き散らすモンスターを殺すための追撃部隊を組織するために、まずは“あなたならどうすればよかったのだろうか”と。
ヴィクトリアから津村斗貴子にではなく、あの光景を知っているあなたに私から問おう。

『あの追撃部隊、ヴィクトリア以外のホムンクルスは一体どこから湧いてきたのですか』。

あの時代は、主力ホムンクルスがほぼ全滅してしまった時代である事はヴイクターの言葉から推測することができる。だからこその不可解、化物達の“出所”。錬金戦団に隷属し、主と仰ぐにこそ相応しいヴィクターに迫るホムンクルス達。『命知らずにして身の程知らずの狂者達は、一体どこから来たのですか』。『考える間でもないじゃないか、そんな答えなんてひとつぐらいしかないだろう?』
そう、たった最悪だけを想定してみればいいのだ。
―――あの時代に行われた悪夢はつまり、死に征く戦士に一番手っ取り早い“新しい命”を。あの時あの場にいたホムンクルスが、同時に錬金の戦士でもあったとしたらどうだろうか、と。
この仮説、過去に描かれていたのはきっと錬金の戦士のホムンクルス化という仮定を立ててこそ見える答えには続きがあるだろう。ホムンクルス化した錬金の戦士による、ヴィクター討伐部隊という絶望の布石にしか成りえない悲劇。ならばこそ、撒き散らされた多くの絶望がここに集約されるのだ。錬金術の世界が真実が、一時の簡単な絶望で済むはずでは無いのだから。
それは可能性のみの結果論かもしれない。それでも、ホムンクルスに傷をつけられるのは武装錬金だけである。ならば、ホムンクルス以上の存在にもダメージを与えられる可能性があるものも武装錬金しかありえなかったはず。―――それが絶望の仮説を補強する。
思い出してみるといい、あの時の追撃部隊には“武装”をしていた者がちらほら存在していたということを。『人間型ホムンクルスの“真の力”とはなんだ?』。…そうだ、核鉄を武装錬金として使えることだ。
あの場に居たのは人間型のホムンクルス。武装錬金を使う人間型ホムンクルス。彼らが、いったいどこから都合よく沸いて出てきたのか。そうした疑問の答えとなる都合を持つ組織には限りがある。当然、錬金戦団以外にはありえないということ。
これら仮説を強化する材料たちを総合すれば、悲劇も必然だと言えるだろう。
ヴィクター追撃の為に結成されたホムンクルス部隊の主力メンバーには核鉄が持たされていた。もしかすると、ホムンクルスを含めた世界中に核鉄が散らばってしまったのも、実はこの総力戦がきっかけなのかもしれない。
かつて錬金の戦士だった者から生まれた人間型ホムンクルス。哀れに等しい存在によって組織された追撃部隊。それでも、それだけがあの時に於いてヴィクターを斃しうる唯一の手段だったのだろう。
どうだろうか、『ちょっとは悲しくなったか、絶望したか?』いいや、まだ足りないに違いない。一番肝心で残酷な部分が、まだ明かされていないから、―――さらに絶望を尽くそう。
ホムンクルス化という本末転倒の手段に手を染める錬金戦団ならば、それでも手を尽くし足りなかったのが当時の錬金戦団である。ヴィクターという強大なモンスターを前にした当時の錬金の戦士が手に取った、ホムンクルス化という矛。それに併せて求めたであろう、今で言うシルバースキンの役割を果たす盾と言うべき存在もまた、強大すぎる相手に尽くす手としては当然なのである。『何が言いたいのかって?』『ここからの話はもう察しがつくだろう?』―――そうやって創られた彼らの切り札が彼らの過ち、矛盾の象徴たるヴィクトリア・パワードだった、と。


真実の扉から顔を出したのは、闇だ。過ちを隠すための、誤魔化す為の闇。その闇が少しずつ、払われていく。
「エネルギードレインはホムンクルスにも効果があるわ。だから本当は、ホムンクルスの大群をぶつけてもパパにとっては海中のプランクトンと同じ、とるに足らない存在だったハズなの。でもパパは大怪我を負ったわ。なぜ?―――…答えは簡単、私という存在がいたからよ」
絶対にして至高の存在であるヴィクターを縛る唯一にして絶対の鎖。それが愛の対象である娘、ヴィクトリア・パワードであった。
もしも目の前に気を抜けない敵の大群がいて、その中には愛する娘も居て、そしてエネルギードレインは止められない。ヴィクターがひとたび気を抜いては、か弱く幼く戦士ですら無いヴィクトリアはすぐにでもエネルギードレインによる犠牲となってしまうだろう。愛の盾が立ち塞がる。戦場で出会ってしまった娘を殺すことなく、それでも大勢の穢れた群れほ突破するには、さあどうすればいいというのだろうか?
正解はひとつしかなかった。エネルギードレインを最小限に抑えつつの短期決戦。向こう見ずの正面突破。なりふり構わずの、特攻。
だがそれは、息を止めて深海を目指し潜り続けるかのような無謀だ。どれだけ至高にして孤高の存在だとしても、奈落に堕ちてしまえば関係がないように。エネルギードレインも核鉄による回復も頼れない状況下で、闘争本能をささえるものは、つまり。怒りだ。怒りしかなかった。
「私も従うしかなかったわ。あの時は瞑っているママの存在がそれだけで人質のようなものだったから、ね」
年端もいかぬ娘に責を負わせた、そんなのはあくまでもヴィクターの想像に過ぎない。真実はもっと残酷で、そして生々しく。戦団が血に染めるべき存在として見出したのは、重傷を負ったアレキサンドリアよりも遥かに効率的な盾の素材であった。
愛の不幸は連鎖する。父の心を踏みにじる、愛すべき娘の地に落ちた尊厳。幼き娘の心を脅す、母の命と灯火の陽炎。戦士という言葉に抱かれる幻想さえも、悲劇の前では源泉に過ぎないという事。惨たらしい差し引き計算の繋がりは錬金術そのものと言えるだろう。
娘は全ての真実を実の母に語れるだろうか、語れるわけがない!
ヴィクターは他の誰に負けて日本へ落ち延びたのでも無かった。ヴィクトリアという娘の存在を守るために敗走したのである。
娘を抱き締め共に去る道も選べぬ彼の胸にどんな気持ちが抱かれることになったか、考えるまでもないだろう。考えたところで及ばぬならば、尚更だ。

戦場でヴィクターが冷え切った眼とともに言っていた言葉が唯一の絆、繋がりだった。
―――東へ向かうということ。
―――錬金術が生み出したモノは全て必ず始末をつけるということ。
―――錬金術の全てが、敵だということ。
だけど。そうだとしたら。
―――ねえ、パパ。私もパパと同じで錬金術の全てが嫌い。
―――だけど私も錬金術によって生み出された人喰いの化物だよ。
―――ねえ、パパ。パパはいつか私も始末するつもりだったの?
あの時のヴィクターの姿、ヴィクトリアはそれを脳裏から消すことができない。姿形が変わって、そして心まで変わろうとしていたヴィクター。そして、そんな父を止めることができなかった自分。エネルギードレインの苦しみすらたかが知れるほどに痛む胸、心を抉り抜く愛。

闇や静寂に似た重い言葉をヴィクトリアが静かに語る間、斗貴子は一言も口を挟むことができなかった。できるわけが、なかった。
だが、この話こそが、全てに幕を下ろすために欠かせない儀式だった。少なくともヴィクトリアはそう考えていた。

真実の扉は何のためにあるのか。
扉の奥にあるのが悲劇だと知っていて、なぜ人は扉を開きたがるのだろう。
扉を開けばそれだけで決着がつくと本当に考えているのだろうか。『そんなわけないだろう?』
では、あなたの望む真の決着とはいったいなんなのだろうか、ヴィクトリア。あなたの望んだ世界は“ここには無い”と知っていて、『それで一体何を望むというのですか』。

この世界はまだ、戦いが満ちている。
これから語られる戦いもそう。
望みなんて存在するかどうかすら疑わしい、そんな少年戦士達の戦い。
それでも、望む世界があると信じて、今はきっと戦うしかない。
たとえ心をどんな化物に身を堕としたとしても。本当に?

錬金戦団も再殺部隊も。そしてホムンクルスも。
「敵は殺す」
それを当たり前と考えて戦っている―――。
錬金戦団。ホムンクルス。ヴィクター。そしてムトウカズキ。
本当の化物は、どれだ。誰だ。

あの日少年が抱いてしまった疑念。
そして誰もが納得出来ていない今この状況だからこそ、答えが求められる。
夢物語で終わらせてはいけない。
もしもその答えを皆が見出せなければ、楽園はきっと夢で終わってしまうんだ。

その答えを求める心は待ってくれる事をせず、刻一刻と迫り近づいていた。








名前:
コメント:
最終更新:2010年06月06日 17:38
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。