第19話

騒がしい夜が終わろうとしていた。
既に異常事態。錬金戦団も、一般人のいる病室には催眠ガスを散布するという最悪に近い判断を下していた。
たとえ朝になれば忘れるか、覚えていても夢だと思うかのどちらかだとしても、心には無意識なりに恐怖やキズが残る。心に残ったキズは戦士を生むかもしれない。だけど、それは取り返しがつかない世界だ。そしてそれが、この世界なんだ。
負けちゃ、駄目なんだ。


第19話 終結の夜と新たなる負の世界の夜明け


再殺部隊の目の前に、再び月が立っていた。顔のない月が、当然のように。犬飼が吠える。
「馬鹿な…、確かに貴様は全て…。オレ達が殺したはず!!!!」
「キミたちはまだ月というものを理解できていないようだね」
ムーンフェイス新月を滅すことなど不可能ということか。違う、そうじゃない。
全ては既に語られていた。
月は満ちたり欠けたりすれど失くなるコトは決してない。それはまるでシュレディンガーの猫のように、曖昧な存在。彼はそこにいるし、彼はそこにはいない。有名な実験、箱を開けて見なければ中の猫の生死はわからないという例のアレ。
30全てのムーンフェイスがムーンフェイスの本体である。
だが、ならばオリジナルのムーンフェイスとは一体何なのであろうか。
オリジナルのムーンフェイスは、いるのかいないかわからない。だけどそこに存在している。つまり、“それ”に一番近い存在こそが新月。どういうことか。
「馬鹿な…。ありえない、確かに殺したハズだ…!!」
根来さえも驚愕し硬直するような状況下で、やはり頼りになる男が猛然と駆け出す。
「何も変わらぬ!何度でも殺すまでだ!次は仕損じぬぞ!!」
戦部が駆け出した時、空気の色が変わった。ここにいる戦士の誰もが感じ取った。歴戦の戦士にだけが理解る感覚。全身が泡立つなんて優しいものではない。全身が波打つような、そんな感覚。
まだ決定的なことは何も起きていないというのにこの悪寒、この絶望感っ!!
「教えてあげるよ、本当の月の戦い方というものを、ね」
戦士・戦部はこの時、ホムンクルス以上の存在と対峙することとなる。
ヴィクターではない。武藤カズキでもない。ましてやパピヨンでもない。
この時、ブラボーを含めたかつて再殺部隊に所属していた面々は驚愕することになる。
戦部を片付けたのは、まさに月そのものであった。

「―――サテライト30」
サテライト30の特性により、ムーンフェイスが再び30顔を出す。しかし事態はそれでは終わらない。何かが始まろうとしている!
「月がどうやって誕生したか知っているかい?引き寄せたんだよ、自分と似た星たちをこうやってね!!」
30に分かたれた月たちが再びひとつになる。
共喰い?いいや違うっ!!この現象を、我々は知っている!!!
「合体して巨大化したァ!!」
「この姿になるのは何十年ぶりかな。まあ喜ぶといいさ、月の真の姿を見れることをね」
ブラボーは戦慄していた。なぜ自分はあの時このお月様を「生け捕り」などで済ませてしまったのかを。月は二つもいらない、いてはいけない。空にひとつ輝いていればそれで良かったのに!!
月が二つもいては波が乱れる。海が狂ってしまう。
「私が、月だ。月そのものだ。おののけ人間たちよ」
地終わり海が始まった世界で、存在すら許してはいけない月があらわれようとしていた。

かつてドクトル・バタフライは言った。彼にとって、修復フラスコが錬金術師として唯一のオリジナルだと。ならば「人型ホムンクルス“蝶”成体」はどうなる、オリジナルではないというのか?
そういうことで、なんてことはない真実が如き物語。ヒントはムーンフェイスのこの姿に。
合体して巨大化する人型ホムンクルスのオリジナルこそが、このムーンフェイスだった。サテライト30の特性ゆえの絶技。消滅する前に分裂増殖した自らと再融合することで、たとえ限りなくゼロに近い状態からでも再生が可能となる魔景。
そして新月という概念。限りなくゼロに近い状態でも、ホムンクルスなら活動ができる。ヴィクターに最期の言葉を贈ったドクトル・バタフライを思い出せば判明るアンサーソング。
武装錬金の特性発動に必要なのは完全な肉体ではない。決意と理解だ、言葉さえも必要はない。そして、根来はムーンフェイスの核鉄を砕くには、至らなかった、それが致命的だった!
月を滅することは、ヒトの仔には不可能なのである。恐らくは太陽に似た灼熱の炎でもない限り、ホムンクルス・ムーンフェイスは決して砕けない。
「む~ん。儚き哉人生」
相手が儚い人間なら物語のほとんどはここで決着がついたのに!!

そびえ立つバケモノは巨大なムーンフェイスという言葉では片付けられない存在感だった。
その顔は、まるで影のように次々と表情を変える。
「私は、ムーンフェイス“真月”。こんばんは、それでは良い夜を(おやすみなさい)」
そんな紹介の言葉の後に放たれた一撃、受けたのが戦部でなければ確実に死人の欠片が転がっていただろう。
まさに、絶望のものだった。

どこかの窓が割れる音がガラスと共に地を刺した。
剛太のモーターギアが、ホムンクルス・剣持真希士を引き摺り落とす音である。
「…どうやら、今日はここまでのようね」
世界の騒がしさから目を背けるように、二人の少女は窓の遠奥くを見ていた。
学校が見える。町が見える。学校の裏には山があってオバケ工場がある。
この部屋から見える景色がどれだけ優しくて、どこまでも残酷なことか、それがヴィクトリアにもなんとなく察しがついた。それでも、気を利かせて立ち去る前に、まだ言いたいことが残っていた。
「錬金術の全てがね、私たちを不幸にしてしまったのよ」
錬金術は二つだけ、常識では測りきれない超常の成功を収めた。それが、人造生体と武装錬金。つまり、ホムンクルスと核鉄である。ヴィクトリアにとっての喜劇的悲劇。全ての不幸の始まりがまっ黒な核鉄によって引き起こされ、ホムンクルスという存在にされてしまったという不幸な結末。誰が誰を笑うことができるのか。
「パパが日本に来るまでに負った傷。それは私がつけたと言ってもいいかもしれないわね。ええ。似てるのよ、ムトウカズキとパパは」
「…何を言っている?!」
もはや、斗貴子に、ヴィクトリアと眼を合わせる覇気は失われていた。ただ、憔悴し果てた少女であるがまま。それでもヴィクトリアはあくまでも冷たい視線を突き刺す。
「あなたという存在がいたから、ムトウカズキは月へ消えたわ。守りたいものがあったから」
「だから何を言って…」
「あなたがいなければムトウカズキは月へ行ったりしなかったかもしれない。守りたいものが無ければ、月へ行かなかったかもしれない。ムトウカズキが一人で生きていたら、きっと月へは往かなかったハズよ」
そのあまりに冷たく残酷な言葉に斗貴子は凍りついた。ヴィクトリアはそんな斗貴子を見て、冷やかに笑うと、顔を上げて言葉を続ける。
「だから、私は一人で生きていくの。守るものなんていらない。大切なものなんていらない。必要ない。私は、もう何も支えにはいらないから」
大切なものが壊れた状態でこの百年間生きてきたヴィクトリア。
「あなたにできることはふたつ。大切なものに代わりを当てがうか、それとも過去の希望に必死にすがりつくか。私やママには、後者の選択肢しかなかったけどね」
二人ぼっちで生きる道を選んで、そして今は一人ぼっちになってしまった。まるでりんごが腐り堕ちるように、世界はいつだって当たり前に悪い方向へ転がっていく。
「私はこれから、一人で退屈な人生を生きるわ。あなたは、どうするのかしら?」

この問いが、どうしても言いたかった。
斗貴子は答えない。答えなんて、どこにもないんだから。
ヴィクトリアが、ふっと笑った。
「また、会いに来るわ。次は、ニュートンアップル女学院で会いましょう。他の人たちにもそう伝えて頂戴」
そう言い残すと、ヴィクトリアは窓から飛び降りる。それは一枚の絵のように美しく、とても脆そうで、儚げに。
そして窓から飛び降りたヴィクトリアを見てムーンフェイス“真月”も、残念そうに口を開く。
「むーん。どうやら今日という夜は、ここらで引き上げみたいだね」
皆が皆、凍り付いていた。戦士たちは一歩も、動くことができなかった。
ただ一人、ブラボーを除いて。
「…逃がすと、思うのか?」
「受け入れたまえ、この場にある目先の勝利を。そうすればココは私の負けということで退いておく。だが、まだ戦るというのなら容赦はしない。真っ先にこの病院を壊しにかかってあげるよ。それでもいいのなら、是非」
圧倒的な自信と存在。
その言葉に戦士の誰もが言い返さないことを確認すると、ムーンフェイスは残念そうな表情を見せる。
「心残りだけど今夜は退散」
そして真月は再び30に分かたれ、夜空の星にまぎれて散り散りに隠れていく。
ヴィクトリアも闇に紛れ、真希士もそれに続く。
ふと足元を見ると、剛太のモーターギアが地面の上で空回りしていた。
からからと。くるくると。


静寂の中で、犬飼が空に吠える。
「これが、オレ達が望んだ勝利だとでも言うのか…ッ?!」
確かに戦闘には勝利した。
確かに病院は守られたっ。
確かに誰も死ななかった!!
それでも、月を捕まえるには至らなかった。それだけのことが、なによりも悔しい!!重い!!辛い!!
「答えろムーンフェイス!!これで何が変わる、お前は何を望む!!」
ブラボーの言葉にも、月は決して答えない。月の返事を聞ける人間など存在しない
人はむなしくただ風の声を聞くだけだ。

月が高らかに笑っているような、そんな気がした。
闇が晴れて夜が明けていく。
それぞれの報告をまとめれば、この夜に何が起きていたのかを戦士たちも知るだろう。
それは何も終わっていないということ。
謎は残されたままだし、真実への決着もまだついていない。






物語の始まりが、終わった。





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最終更新:2010年11月07日 16:28
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