第18話

闘いに負けないために。
自分の勝機を見出すだけではまだ足りないときに。
まずは敗北を知ることが求められる、そうした矛盾こそが攻めと守りの要の定石であるならば。
もしも自分の敗北する瞬間を知ることができれば、そこに対策を張ればいい。
りんごが落ちないために、木に袋をかけるように。
勝つ者とは、自分が負けるときにこそ勝機を用意している者である。
勝機とは、敗北の中にこそ存在している。
落ちたりんごに目を向けて、噛みしめろ。


第18話 ニュートンアップルエモーション(後編)


心を殴る視界。再びの月が30と、そして「激戦に腹を貫かれた」戦部の姿。
「何だ、コレは…。この様はっ??」
犬飼が目の前の状況を理解できずに、呟く。また、円山もとまどいを隠せない。
「なんで、あんなコトに?まさか自分で刺したの?何のために!?」
確かに戦部が自身の腹を貫く行為は、理に適う行動と言えなくもない。その狙うべき真意は、自身の負傷の強制破損認証である。これならば、腹部に伽藍の洞が空くほど臓物をブチ撒けをされない限り、十文字槍は本人の手元に残り損傷を認証するに違いないからだ。
だがこの時起きたのは、そうではなかった。既にお月様との間合いは、これ以上ないほど詰められているのだ。一瞬で大振りな十文字槍を腹部に突き刺すという行為はあまり現実的でないと言える。それでは肉は裂かれ槍は奪われる、という結果が待つ必然は覆らない。そもそも戦部は確かに武装解除をしていた。故に答えは“再武装”の拠り所に限定される。どういうことだ?
「…むうん?」
戦士たちと同様に、さらには余裕の意図も込めてムーンフェイスさえも首をかしげていた。
戦部が腹の槍を引き抜きながら口を開く。
「オレが望んだ“それ以上の存在”との戦いは、オレが思った以上のものだった」
ヴィクターは強く、真っ向からでは到底届かない、それほどの強さだった。戦部は負け戦を嫌うほど子供の戦士ではない。だが、だからといって自身が弱いと簡単に認める男でもなかった。
「誰とでも戦える、オレはそんな戦士でありたかった。ヴィクターの届かない強さに、どうしても俺は届きたかったんだ」
なんだろうか、この口ぶりは。まるで人間を止めたとでも言いだしそうな、そんな語調が強まっていくぞ昂ぶっていくぞ。
「まさか、戦士・戦部?!」
千歳が声を上げる。まさかあなたは人間を止めたとでも言いたいの、そんな語調で。
だがそれを戦部が背中で笑い飛ばしす。
「…安心しろ。オレは人間のままだ」
力を蓄えておけ、あの日蝶々が言った言葉。
そして再殺部隊として臨んだヴィクターとの決戦と敗北。あの後、戦部が更なる力を求めるのは必然だった。ホムンクルス化ではない。ヴィクター化でもない。ただ、ひとつの力を埋め込む行為を男は選んでいた!!
「…オレは核鉄を喰ったのさ」
答えは“再武装”の拠り所に限定される。混乱の夜に静寂を呑み込む暴言が、戦部の口から飛び出した。

軽く、時が止まった。そんな気がした一瞬の静寂だっただろう。
「ええええーーーーっ」
あまりの衝撃発言に円山がマヌケた叫び声をあげる。何をやってるんだ目の前のお馬鹿さんは、とでも言いたげに、だ。
だが戦部が行ったと言う暴挙は、実際にはとても理にかなった無二の一手だったのである。
戦部の体内を核鉄が転がっているとしたら。先ほどの刹那、激戦を形作っていた核鉄は戦部の体内へと武装解除されたことだろう。その上で武装錬金をすれば、腹を食い破る激戦再武装は果たされる。この二段構えこそ、どんな劣勢からでも激戦は損傷を認識し絶対修復を行う荒業であった。
なんというカルマだろうか。戦部が単独行動時に行っていたのは、闘争本能を高ぶらせるための儀式なんかではなかった。強くなるための、純粋な摂取だったのである。武藤カズキやヴィクターのことを知らなければ、到底至れない発想だったであろう。
風が駆け抜ける。
空が高い、だが今、月は手の届く高さまで降りてきている。戦部がニヤリと笑った。
「…それで根来?いつの間に俺の内に潜んだ!?」
「無論、貴殿の気づかぬうちに」
戦部のその言葉が合図。初めからそう予定されていたかのようなタイミングで、目の前の月たちが一斉に崩れ落ちた。ぼろぼろとおちた。
「分身の術、とはいかなかったか」
くだらないことを呟きながら、シークレット・トレイルについた血を拭いつつ、根来がムーンフェイスの一体の中から現れる。
「何何、どういうこと?!」
完全に円山はピエロ状態だった。そして犬飼も似たような顔をしている。まあ無理もない。ブラボーですらイマイチ状況を把握できていなかった。

この時起きた殺戮の解説をしよう。
まずは思い出してもらいたい、ムーンフェイスの武装錬金。サテライト30の特性を。
そう、その特性は分裂である。これが実はムーンフェイスにとって最大の弱点だったのであった。戦部を思い出しながら考えてもらうと理解りやすいかもしれない。
分裂とは、一体が二体に。もしくは一体が三十体に、個体を増やす行為である。分裂している「最中」は個体数は一にして二、もしくは一にして三十である。もしもそんな分裂の始まりの一体に根来の刃が生えていたらどうなるだろうか?
そう、この時おきたのは、言わば分裂失敗である。破損の事実を認証しなくとも、月牙は分裂を続行する。分裂を行うということは、同じ個体が同じ姿で複数に分かたれるということだ。二体が一体でもあるタイミング、即ち刹那を斬れば同時に複数個体を殺ることと同義になるだろう。
かつてブラボーは、ムーンフェイスを一体づつ片付けることに集中していた。だからムーンフェイスを斃しきれず、一時間以上も足止めを食らってしまったと言える。月牙の武装錬金は無敵ではない、それは分裂という言葉の意味を考えてみればわかる。分裂を行ったムーンフェイスが負っていたダメージは他の分裂体に引き継がれるのだ。分裂という言葉の意味はそういうものだ。ここにあるのは遺伝子の問題ではない。コピーの定義に迫るテーゼであろう。
もちろんホムンクルスの修復力を持ってすれば、多少のダメージは問題にならない。だがホムンクルスが武装錬金によってうけたダメージは回復が遅く、さらに人間型ホムンクルスの章印が左胸にあることは戦士ならば当然知っている。それは致命的だ。
根来は戦部からムーンフェイスに潜り移り、ムーンフェイスがサテライト30の特性を発動させた刹那に顔を出して人間型ホムンクルスの章印がある胸部含めて全身くまなくを切り裂いた。そして再びムーンフェイスに隠れたのである。まさに仕事人とも言うべき速さ。
彼はいつの間に戦部からムーンフェイスへと潜り移ったのか。もちろん、ムーンフェイスが戦部の中に同化しかけていたときだ。
こうしてつぎつぎとムーンフェイスの体が、同じ切断面をなぞって崩壊していく。

「むむむううううんんんっ!?」
もちろん戦部と同化してサテライト30を発動したムーンフェイスが都合よく「ラストの一体」だった、なんてこともない。戦部に紛れたムーンフェイスの無限増殖が行われる前から、既に健在だったムーンフェイスたちは無事である。数を大きく削ったとは言え、当然、ここでサテライト30を発動されては-全ては水面に移った月のように-簡単に水泡に帰してしまう。
だが、ここまでお膳立てされた勝機を逃すほど再殺部隊は甘くない。なめてはいけないのだ。
「軍用犬の武装錬金、キラーレイビーズ」
二体被食。
「風船爆弾の武装錬金、バブルケイジ」
一体のムーンフェイスに十発以上の風船爆弾を一斉に叩き込む。一体消滅。
「忍者刀の武装錬金、シークレット・トレイル」
真・鶉隱れ。的確に一体を仕留めるっ。
「十文字槍の武装錬金、激戦」
投げ槍。一体を撃破っ!!
「レーダーの武装錬金、ヘルメスドライブ」
撲殺。一体にシンプルな鈍器による凶刻を打つッ。
残るムーンフェイス、数にして二体!カウントダウンゼロは目の前!!ムーンフェイスは当然、サテライト30の分裂を図る。
「それを、このオレがさせると思うのか?」
この声、ここでブラボーっ!膝を突き、今にも倒れてしまいそうな「生身」の姿で力を声を振り絞る。そうだ、邪悪を弾く銀の肌はすでに射出されている!!!
「防護服の武装錬金、シルバースキン」
以前、カズキと斗貴子の二人を一枚のシルバースキンでまるごと包んだことがあった。つまり、たとえ標的がお月さまでも押し込めば二人までならなんとかなる!
「ガスマスクの武装錬金、エアリアル・オペレーター」
そのシルバースキンに僅かに開かれたスキマ、そこへ毒島が至近距離からダイレクトに毒を流し込んだ。これならば最低限少量の毒を精製するだけで殺せる。シルバースキンリバースは毒を決して外へは逃がさないっ!
戦部が激戦を拾いながら呟いた。
「コレで、再殺完了だな」
ムーンフェイス、ここに殲滅完遂!!!

柔らかい風が吹いた。これで夜もなかなか悪いことばかりではない。
「どうだ、根来。共闘というのも、悪くはないもんだろう」
戦部が笑いながら根来に話しかける。そもそも戦部は独断専行が過ぎるだけで、共闘するのもアリと考える主義思想の持ち主だ。事実、武藤カズキと共闘の約束をしたりもしている。
「戦闘において最優先の任務は勝利ただ一つ。その為ならば一切、手段は選ばぬ。それだけだ」
戦部の言葉に対し、根来は素直には答えなかったが、声の含みがすべてを言葉に込めていた。
「…イマイチよくわかんないままノリだけで勝ったような気分なんだけど、戦士・根来が素直じゃないことだけはよく理解できたわ」
円山があきれたように笑う。犬飼も苦笑いだ。
だが、これは戦部と根来だけの勝利ではない。円山や犬飼、千歳や毒島、ブラボー。彼ら全員がいなければこの勝利はありえなかった。
勝利とは何だ、何より最優先すべきはなんだ。
そう、被害者を一人も出さないことだ。彼ら全員が集って、はじめて病院は守られた。誰も巻き込まれることなく戦いを終えることができた。ブラボーだ!
ムーンフェイスの撃破は、いまここに完了した。間違いなく。

こうして月は、堕ちた。


だが。


どこからか聞こえるはずのない声がした。
戦いは終わった。だが、まだ夜は終わっていない。
まだまだ、月の時間。

月は唯一、落ちるりんごの気持ちを理解しない。
月はまた昇り、繰り返す。
昇るために、月は沈んで墜ちる。
だけど今度の月は誰も知らない、醜い姿を携えてやってくる。
月は満ちたり欠けたりするけど失くなるコトは決してない。

いつだってりんごたちは風に立ち向かう。あがく。
月はそんな姿をいつでも眺めてる。
りんごは墜ちるか、もしくはもがれるか。
月はそんな姿をいつでも眺めてる。

誰も知らない、本当の月の戦いを語るときがとうとうやって来た。
称えよう。讃えよう。
月の高さを、月の醜さを、月の美しさを。
今宵、月が墜ちる。
月を相手に、勝つとか負けるなんて言葉は何の意味も持たない。
所詮月にとっては、「敗北」すらも「びっくり」にしか過ぎなかったんだから。
ムーンフェイスは、堕ちるりんごの気持ちを知っている月だった。

ついに今、ムーンフェイス“新月”が、“顔を出す”。

新月。
惑星と太陽の狭間に立つ、不可視故に可視の月。
この物語は、太陽色の暖かい光が届かなくなって始まった物語。
故に、ここで新月が割り込むことは必然だった。
そう、斃すべき敵はここにいたのである。
この月を斃さない限り、夜は明けても光は届かない。


「む~ん、儚き哉人生」
どこからか聞こえるはずのない声がした。








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最終更新:2010年11月07日 15:37
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