第16話

桜花が選んだ道は対話の意思を示すことであった。
「意識が、人間の意識があるのか…。いや、戻ったと言うべきか?」
剛太が、受け入れたくない現実から目をそらすように、いまさらなことを呟く。
もはや人格交代と言ってもいい。雰囲気が変わり、言葉を発した眼前に立つ化物。バケモノを見るかのような視線を剛太たちに突き刺す剣持真希士の瞳はまるで人間のよう。
剛太の背後で秋水が口を開いた。
「奴は、剣持真希士。錬金の戦士で間違いないんだな…」
それは本題に入るためのつなぎの言葉に過ぎないはずだった。だが、その確認のために発せられた言葉が、失敗だった。
もはや前途多難どころの話ではない。


第16話 偽善逃避


ほんのささいな確認のはずだった言葉。だがその確認が、困惑の表情をしていた真希士の表情を決意の色で染めあげてしまったのである。
剣持真希士は錬金の戦士。そこに間違いはない。だが錬金の戦士である真希士に、目の前に武装錬金を向ける見知らぬ三人が立っていたならば、それは戦士・真希士の目からすればそれはどう映るだろうか。
きっと答えはいつだって、いたってシンプルなのだろう。“彼らはホムンクルスだから自分に武装錬金を向けているに違いない”、“それも人型ホムンクルスだ”。“人間型ホムンクルスの真の力は武装錬金を人間同様に操れることなのだから”。
ホムンクルスや信奉者は章印やそのペイントによって互いの身分を証明する。錬金の戦士の場合を考えたとき、その証明の役割は核鉄が果たす。世界にたったひとつずつしかないこと証明するためのシリアルナンバー。錬金戦団は、戦士たちが互いの身分を証明するための手段としてシリアルナンバーの固定化というやり方をとっていたのである。
事態があまりに唐突に転がった影響は大きく、事実重大なミスを剛太たちは犯していた。核鉄による自身の身分証明を忘れてしまっていたのだ。真希士にはそれが身分の偽装をしないスパイのようにさぞや滑稽に映っただろう。
だがそんなミスすらも霞むほど、根本的な問題があった。簡単なことである。剛太が錬金の戦士になったのは今夏。早坂姉弟が錬金戦団と本格的に関わりだしたのも、剣持真希士死後の話である。中村剛太という戦士がシリアルナンバー55の核鉄でモーターギアという武装錬金を使うことも、早坂姉弟の核鉄や武装錬金にしても同じこと、全てはなんの証明にもならないのである。核鉄そのものは、この場において何の証明にもならなかった。
いつの間にかを数えるまでもなく、真希士が剛太たちを敵と認識する要素は十分すぎるほどに揃っていた。
ホムンクルスは殺す、真希士の眼は決意色で染まる。『違う、待ってくれ。バケモノは彼らじゃなくて、キミ自身なんだよ。本当はっ』。
「ちょっと待て、話を聞いてくれっ」
「問答無用だ。…敵は、斃す」
純然たる殺意。戦士が放つホムンクルスに向ける憎悪が、突き刺さる。合理的に見えて短絡的。だがそれでも、論理的な思考。
問題にすべきは、ありえないほどの不安定な精神である。
そこにもまた、深い理由は存在していた。

今、剛太たちの前にいる三本腕のホムンクルスが人間だったころの名前が、剣持真希士。
彼がまだ人間だったころ、錬金の戦士としてこの銀成市にやってきて、そしてムーンフェイスによって殺された命。キャプテン・ブラボーの部下で、最後までちゃんと強き意志で戦い抜いた、ブラボーな男。
その彼は、ムーンフェイスの手によって、ホムンクルスとしてこの場に再誕していた。その再誕は、『不完全なホムンクルスとして』。
察するにこの惨状の凶源たるムーンフェイスは、パピヨンと同じ不完全なホムンクルスをつくりたいと思ったのだろう。未熟な胎児を使い、食人衝動を持たぬ不完全なホムンクルスとなったパピヨンの存在を知ったムーンフェイスの残酷な好奇心から作られし不完全なホムンクルス。
それが、剣持真希士だったのである。
だが、結果を言えばムーンフェイスの実験は、パピヨンとまったく同じにならなかった。人だって喰うさ。パピヨンとは少し違う、「不完全なホムンクルス」として、ホムンクルス・剣持は誕生を果たす。

さて。
ホムンクルス本体は生物の細胞をベースにして造られる。サイズは約3cm、密閉フラスコなどの狭い閉鎖空間の外では一日と持たない脆弱なモノだ。だが、その脆弱な本体が人間の脳に寄生すると肉体を奪い取り前身を変質させ、ベースとなった生物を模した強靭な人喰いモンスターと化す。ホムンクルス本体にとりつかれたら、人間は精神を殺され肉体を奪われてしまうのだ。
しかし一つだけ例外のホムンクルスがあった。それが人間型ホムンクルス。自身の細胞を基盤に使ったいわば分身ともいうべきホムンクルス本体、その分身との合体ならば精神は同化して殺されずにそのまま残る。――だがそれも、ホムンクルス本体が完全だったときの話だ。
剣持真希士と合体したホムンクルス本体は、ムーンフェイスの企みにより不完全な幼体を使用されていた。そうして彼もまた、不完全なホムンクルスとなってしまったのである。それではどのように不完全というのか。
―――パピヨンと違い、食人衝動は残っていた(悲しいことに)。彼が不完全ゆえにできなかったこと、それは“精神の同化”。彼の精神では、人間とホムンクルス、二つの精神がせめぎあっていたのである。
それは二重人格と言ってもいいかもしれない。だがそのどちらの人格も剣持真希士そのもの。例えるなら、月の顔が30あったとしても、それが月だということにかわりがないようなもの。

信念と欲望がせめぎ合う、人間の醜い側面を極め果てたような一個体の矛盾。
この「ホムンクルス・剣持」という存在は、カズキが秋水と戦っていたあの頃には既に完成していた。だが、この「精神の同化」に失敗していたことにより、LXEのメンバーとして戦闘に駆り出されなかったのである。ムーンフェイスが「ホムンクルス・剣持」の存在をバタフライにはぐらかしていたのもあるかもしれない。
その彼がこの夏も終わった時まで眠っていたのは、ムーンフェイスが戦団に捕縛されていたこともあるだろう。しかしむしろ、ムーンフェイスの秘密研究所で「洗脳」を施され続けていたからという理由が大きかった。
月が綺麗だと誰もが言う。だが実際の月は岩だらけで命の煌かない、とても醜いものだ。あなたが月を美しいものだとすり込まれてきたように、真希士は自身を忠実な月の僕たるようにとすり込まれてきたのである。
月にとってとても都合のいい手駒として、剣持真希士はこの病院にいた。
そして夏の終わり、剛太たちの前に立ちふさがっていたっ。

戦闘では反射的思考がとても重要になってくる。
その肝心の思考が、常にムーンフェイスにとって都合がいいよう働くよう、そんな洗脳が施された存在。それも何ヶ月にも渡って、延々と、必要以上なまでに。本能レベルで。
洗脳を解くには根気よく説得することが求められるという。眼をそらすように仕向けられた不都合に眼を向けさせるのだ。それは生半可にできるものではないことは容易に想像がつくだろう。
当然として、そんな作業を行う時間も余裕も真希士は与えてくれなかった。さらに、抵抗や反論を受け止めるための戦力が、残念ながら剛太や桜花、秋水には欠けていた。聞く耳を持たない相手をねじ伏せられるような状況では、もはやなくなっていたのだから。

「武装解除―――、そしてW武装錬金アナザータイプ。」
ホムンクルス・剣持がムーンフェイスから受けた命令は核鉄の強奪。そして彼が地下で奪った核鉄は自身のものを含めて三つ。病院に保管されていた核鉄は、ブラボーが使用していた剣持真希士本来の核鉄、ムーンフェイス本来の核鉄、そしてやはりサンジェルマン病院近辺で回収された核鉄であった(武装錬金ドラマCD第一弾参照)。

真希士はひとつの核鉄を回復にあて、そして残る二つを武装した。
コレで腕は四本。剣は二本。絶望するには十分すぎる、圧倒的戦力!!!
「お願いですっ、話を聞いてください!!」
「…取り乱すか、見苦しいな。錬金の戦士とはもっと凛然としているものではないのか?」
まるでヴィクターのような物言いで真希士は切り替えした。
真希士は何ひとつ疑問に思わない。自身が複数の核鉄を所持している成り行きがあったかのように、さも当然のようにW武装錬金を発動させる。なんか、とても悲しい。それが洗脳というものがもたらす不幸というものだ。
誤解や洗脳を解くために、最も必要なものがある。致命的に欠けていたもの、それが情報。もはや三人には、真希士を止める力も言葉も持ち合わせてはいなかった。だから殺すしか、ないのか?


死は連鎖する。

今一度、戦士としての自分を揺り起こせ。
でないとキミも敗けて死ぬことになる。
今一度、戦士としての自分を―――。

戦士ならば仕方がないとわかっていても、やっぱり子供が死ぬのだけは、なんとしても避けたいトコだな…。

善でも、悪でも。
最後まで貫き通せた信念に、偽りなどは何一つない。
俺の信念は、一人でも多くの命を守るコト。
そのためなら、戦士殺しも厭わない。
俺は悪にでもなる。

自分自身に始末をつける。

死は連鎖する。
死が死を呼んで死を繰り返す。
そんな不条理に立ち向かう術はひとつではない。
その拠り所が、信念だ。

善でも、悪でも。
最後まで貫き通せた信念に、偽りなどは何一つない。

今一度、戦士としての自分を揺り起こせ。

それが、信念だ。
戦士がそれぞれ持っている、不条理に立ち向かう術。
覚悟とは諦めの境地。
信念とは、立ち向かう意志。

信念は、連鎖する。

剛太は、これ以上の戦闘は不可能だと悟った。
もう皆が皆、満身創痍だった。
「モーターギア!!!ッ射出!!!!」
モーターギアを敵の足をめがけて射出する。
敵を倒すためではない。短期決着が不可能だと判断したが故の、戦場を変える行為。
御前様も剛太の狙いを察し、そして叫ぶ!
「そのまま窓の外へ突き落としちまえ!!!!スカイウォーカーモードだ!!!!」
下には再殺部隊がいる。
彼らと協力すればまだ勝機はあるっ!!!
たとえその行いが逃げや偽善染みていたとしても。
諦めるな!!!!
大地では血湧き肉躍る。
空では月が照らされる。

剛太は知る由もなかった。
同じ時、再殺部隊の人間が味わっていた「勝利」の味の苦さを。
誰もが見なければ良かったと思うことになる月の「真の姿」なんて。
空に煌く美しい姿だけ知っていれば良かったと。
その絶景を、剛太は知る由もなかったのだ。

誰も知らない、本当の月の戦いを語るときがとうとうやって来た。
称えよう。讃えよう。
月の高さを、月の醜さを、そして月の美しさを。

勝たなければ月は墜ちない。
だが月が墜ちれば惨劇が起こる。
それはとても、辛い勝利だ。

今宵、月が墜ちる。








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最終更新:2010年06月13日 15:08
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