第/Z話

ナースはメガネを外し、目頭を押さえた。
ふう、とため息をつき、再びメガネをかけなおす。その間に、チンッと軽い音がしてエレベータのドアが開いた。エレベータに乗り込むと、専用のカードを操作パネルの脇についているカードリーダーに差し込み、暗証番号を押す。
グオ……ン。
わずかな振動とともにエレベータが動き出した。
乗った階は三階。エレベータの現在位置を示すデジタルの数字が、2……1……と、下へ降りていることを示していた。そしてB1……B2……エレベータは地下へ潜る。この病院には地下二階までしかないはずだが、デジタル表示はおかまいなく、B15、B16と、どんどん常識ではありえない数字を示していく。エレベータも一向に止まる気配もなければ、ナースにもあわてた様子は見受けられない。
サンジェルマン病院。
この病院の地下深くには、錬金戦団の研究施設があった。
先ほど彼女が使ったカードと暗証番号は、錬金戦団に属する研究者にのみ与えられたものだ。
エレベータはB50と表示された階で止まった。再びチンッと軽い音がして、扉が開く。錬金戦団の研究者たちのためだけに開かれる扉だ。彼女は慣れた足取りで研究室へ向かおうとした……そのとき。
ドォォォォォォォ―――――ンッ!
大音響に、地面が揺れたような錯覚を覚えた。いや、揺れたのは錯覚ではなかったのかもしれない。
事故!?
反射的に振り返る。
そこには、さきほど自分が乗ってきたエレベータの扉があるのみ。
ぴったりと閉ざされたその扉の向こうから確かに音がした。まるで、上層階から、何かが落ちてきたような音だ。
ガタリ。
何かが動く、かすかな気配。扉の向こうからだ。
「!」
瞬時に緊張が体中を走った。身を硬くして、耳を澄ませる。
ドンッ!
鈍器で殴ったような音とともに、エレベータの扉が、何かとてつもない圧力をかけたように、内側からひしゃげた。緊張が地鳴りのように押し寄せ、全身を支配する。
扉に、わずかな隙間が開いた。中に、何か動くもの。
彼女はへたりと床に座り込む。
そこから出てきたものは、手。
人間の、手だ。
それがゆっくりと突き出て扉をこじ開けようとしている。

緊張が激震となって彼女の心を貫き、意識を地の底のような闇へと叩き込む。
腕の記憶を最後に、彼女の意識は途絶えた。



スラッシュゼータ 夢見た楽園



夜。オレ様は目を覚ました。
全裸で。


………。
あまりの異常事態に、これは夢かもしれないからもう一回寝なおそうかと思った。だが、なにか胸騒ぎがするので起きることにした。
剣持真希士、十九歳。職業、錬金の戦士。
大戦士長、坂口照星さんから直々にこの任務の辞令が出たときには、天にも昇るほど嬉しかった。
なにしろ、戦士長、キャプテン・ブラボーのさらに上の人からの命令だ。ブラボーだってスゲー戦士なのに、照星さんはさらにスゲーらしい。どうスゲーのかはまだ知らないがうわさではスゲーデカイらしい。デカイことは尊敬に値する。オレ様はこの任務に誇りを持っていた。
なのに。
どうしてオレ様は今、フルチンでこんなところにいるんだ!?
オレ様はあたりを見回した。どうやらここはどこかの放棄された研究施設のようだ。
結局どれほど観察したところで、オレ様がなぜここにいるのか、なぜ全裸なのかの手がかりはつかめなかった。
自分で自分の事情がまったく飲み込めん。
……だがッ!
オレ様は体の中心部に手をやり、ギュッと大事なものをつかんで気合を入れる。
タマは無事。コイツさえあればオレ様、男ッ!怖いもんはねェ!
オレ様は体の各部分をチェックした。
どこも痛くないし、傷もついていない。まったく異常はねェ。
異常なのは、この状況だけ。
いったいなぜ、こんなことになったのか。よくよく思い出してみることにした。
まず、オレ様は錬金戦団の任務で銀成市に来た。この街に現れたというホムンクルスを斃すためだ。憧れの照星さんからの直々の任務に浮かれて、意気揚々と銀成市に乗り込んだところまではよーく覚えている。
で、変なホムンクルスと戦って……。
あッ!
オレ様の中で豆電球がピカッと光った。思い出した。
そうだ。変なホムンクルスと戦って……負けた。
うわっ、オレ様、負けて身ぐるみ剥がされたんだ。カッコ悪ィ。
おそらく戦って身ぐるみは剥がされたが、なんとか抵抗して命からがら逃げ出したのだろう。記憶がところどころ飛んでいるのはその戦いの後遺症だ。
戦って負けたのはカッコ悪い。
さらに身ぐるみ剥がされたのはちょっと人には言えないぐらい情けない。
だが、進展はあったともいえる。だいたいこういう任務は、ホムンクルスを探すまでが大変なのだ。これはかなりラッキーなことだ。
オレ様はとりあえずのところ、そこそこの成果に満足した。なにしろホムンクルスがいたことはこれで証明されたのだ。あとはもう一度そいつを見つけて、ブチのめせばいいだけ。
こうなったら、早くキャプテン・ブラボーに連絡をとったほうがいい。
オレ様は、別働隊として動く予定だと聞かされている、キャプテン・ブラボーのことを考えた。なんでも、ここ銀成市にいる戦士と合流予定らしい。
ブラボーは、オレ様の上官でもあり師匠でもある、尊敬に値する漢だ。
上官や師匠だからって、自動的に尊敬できるわけじゃない。ブラボーを尊敬するわけはスゲー硬ェからだ。
『シルバースキン』の固さは錬金戦団最強、守りの要と言われている。オレ様は守るより攻めるタイプ。自分にない能力を持っていて、しかもそれが錬金戦団最強だというブラボーはスゲー戦士だ。早くご機嫌な報告をして、ブラボーにほめられてェ!
そして、ブラボーと一緒に変なホムンクルスをブチのめす!
だけど。
そいつを見つけてブチのめす前に、オレ様にはやらなきゃいけないことがあった。
まずは、どうにかして服を調達しないと。

オレ様は体の中心部に手をやり、大事なタマを握りしめた。
――核鉄。
財布や携帯は失くしても、身ぐるみ剥がされても、これだけは死守した。
コイツさえあればオレ様、男ッ!怖いもんはねェ。

戦士・真希士は核鉄を、シリアルナンバーがはっきり見えるようにかざした。
その番号……52。



以上、集英社JUMP j BOOKS「武装錬金/Z 夢みた楽園」より抜粋、及び一部改変。参考文献・同上。




さあ、ここで演奏されたのは正統を継ぐ詩の調べ。
十篇に及ぶ物語では深く語られることはなく、全てが後付けて陽の目を見た真実の音符たち。
そこにあったレクイエムは、誰もが望んだ楽園の歌は絶無の手向け。
皆が俯き悲しみを背負うことになる、仄暗い井戸を覗くように辛い旋律。

だからそんな楽譜は一度破り捨てる道を選びたい。
与えられた真実に違う答えを重ねて奏でたい。

もしも既に鎮められてしまった魂があるのならば、再び呼び起こせばいい。
ただひたすらに、あなたの夢が叶うことを願って。
最期の言葉なんか切り裂いてしまえばいいように。
ここから演奏されるのは、他の誰でもなく、私が夢見た楽園の物語。
あなたの夢物語を喰らう、敵意ひとつの真っ向勝負。
それでも願わくばあなたが祈った楽園の夢に救いの光をもたらすものでありますように。そう願わずにいられない、だから。

狂った歯車が加わって、物語が軋みながらまた廻りだす。
真実の詩を知っている人も、そして知らない人も。
あなたが想像だにしなかった闇がまだ残っている。
まだまだあなたの知らない真実がきっとある。

最後の文字が綴られる前に、物語を切り裂いて最後の演者が割り込んできた。
だが、これでようやくという言葉に至る。
この悲劇を演じる役者は揃ったのだ。ならば残るはひとつひとつを明らかにして行くだけであろう。
物語は決して止まらない。止まりっこない。ピリオドまでは、決して止まれない。
だったら、前へ進むだけ。そうだろう?

じゃあ、征こうか。
真実の扉の奥にあるものとやらに逢いに。
まずは彼女の地獄へ、飛び込もう。

夢見た楽園が壊れてしまった世界のひとつへ。








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最終更新:2010年06月06日 10:50
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