198 名前:名無しさん@秘密の花園 投稿日:2009/07/05(日) 21:38:36 EL00E71C

映画館の外は、容赦なく太陽の熱が照りつけていた。
焼き鳥状態になるのはまさに避けたいところだ。
ここを出る前に、ひとまず次の行き先を決めることになった。
そういえば、先週映画を見に行った咲と和が、かき氷を食べに行ったと言っていた。
久は頭を上げると、早速尋ねてみる。
「かき氷、食べに行かない?」
「…かき氷?」
やや不思議そうに、美穂子は聞き返す。
「近くにすっごく美味しい宇治金時のお店があるの」
「いいわよ」
半ば得意げに言った久の顔を見て、にこやかに頷いた。
「よし、じゃあ決まり」
久は美穂子の片手を取って、映画館から飛び出した。

ちりん、ちりん。 軒先に吊るされた風鈴はこの上なく涼を伝えてくれる。
風鈴の隣には白波と千鳥の絵に、赤字で『氷』と大きく書かれた旗が下がっていた。
だがどう見たって外観は甘味処ではなく和菓子屋だった。
「ここって…」
目を瞬かせて、美穂子は暖簾と久を見比べた。
「そ。ごく普通の和菓子屋さんね」
鼻歌混じりに暖簾をくぐっていく。
美穂子も手を引かれるまま店に入ると、仕切りのついた喫茶スペースがちゃんと設けられていた。
すると、奥から店員が顔を覗かせた。
「喫茶の方をご利用でしたら、お好きな席をどうぞ」
夕方になりかけの半端な時間ということもあってか、他に客は見あたらなかった。
二人は窓際の日陰の席についた。
テーブルに備え付けられているメニューを横にして、2人でめくる。
次第に久は深刻そうな顔で唸り始めた。
「やっぱり宇治金時アイス乗せかしら、でも白玉が…」
両方乗せたら駄目なのかしら、と美穂子は尋ねたくなったが、敢えて聞かないことにした。
久の肩を軽く叩くと、小さい子を宥めるように言った。
「じゃあ、私が白玉乗せにするから、白玉を半分あげるわ」
「…う」
ちょっぴり情けない顔をして、体を硬直させた。
美穂子は久を見つめて、顔色を伺った。
「駄目、かしら…?」
「そ、そうね。それでいいわ」

しゃりしゃり、しゃり。
繊細に砕かれた氷の粒と、ふっくらと炊きあげられた粒餡。
二人揃って、匙で掬い取って口へ運ぶ。
口の中目いっぱいに抹茶の香りと、氷の冷たさが広がっていく。
「美味しい…」
「でしょう?和菓子屋さんが作ってるからね」
店によって氷やシロップなど拘る点は違うけれども、餅は餅屋と言うように、餡ばかりは和菓子屋でなければ拘り切ることが出来ない分野だからだ。
一般客としては、餡とシロップの味、氷の細かさで判断する他ないのだが。
「はい、口開けて?」
「え、ええ」
久はひと掬いして、前に突き出した。
溶けて零れ落ちる前に、美穂子は急いで口を開けた。
口の中で抹茶とアイスの味が相まって、なんとも言えない。
「ん…、美味しい」
「顔、真っ赤」
「これは、その」
他に客が居なかったのが唯一の幸いだった。
目を細めて、久は美穂子の頬を突っついた。
「かわいい」
何かリアクションを返したほうが良かったのかもしれないが、それすら恥ずかしかったので、白玉を差し出して、話を流すことにした。
「はい、白玉」
「ん、ありがとう」
どうやら別に、話を流されても構わなかったらしい。
代わりに久はひな鳥の如く、幾らか咀嚼して飲み込んで、再び口を開けた。
「もっと」
「あらあら」
またひとつ、美穂子は白玉を口元に運んでやる。
本当に、餌付けをしているかのように思えてくるのが不思議である。
椅子の背もたれに寄りかかると、久は満面の笑みを浮かべた。
「あー、幸せ」
「そう?」
「ええ、当然」久は辺りを見回して、他の人が居ないことを確認した。
「こんなに美味しくて冷たいかき氷を、あなたと一緒に食べられるんだもの」
「…もう」
なんでこんな、恥ずかしいことを言うのだろう。
美穂子は口を尖らせると、かき氷を一口含んだ。
かき氷の冷たさは、顔の火照りまでは取り除いてくれなかった。

会計を済ませて外に出ると、道行く人々は足早に去っていく。
ぽつり、と肩に滴が零れ落ちた。
思わずしかめっ面で、久は空を見上げて小声で言った。
「夕立かしらねえ…」
横からすかさず、美穂子は広げた折りたたみ傘を渡す。
「とりあえず、駅まで行きましょう?また酷くなるかもしれないわ」
にこやかに提案した美穂子自身としては、帰りたくなかった。
一秒でも一分でも長く久と一緒に居たいのだが、二人揃ってずぶ濡れになるのは避けたかった。
自分より背の高い久に合わせて、美穂子は傘を少し上げてさすことにした。
「あら、流石。じゃあ駅まで行きましょうか」
まず久は傘を持っていたことに感心し、次に美穂子の提案に頷いた。
降り始めで路面はまだ大して濡れてはいないが、そのうち土砂降りになってもおかしくない。
左の手のひらを傘の外に出して、久はぼやいた。
「駅に着くまで、酷くならないと良いんだけどねえ」
「そうね。でも雨が降らないと今年の夏は断水だらけになるわ」
それは困るでしょう、と一言付け加えて美穂子は笑った。
「ああ、それは困るわ」

他愛もない会話をしながら、しばらくして二人は駅に辿り着いた。
駅では人が立ち止まり、駅員の言っていることに耳を傾けていた。
どうやら送電線が切れ、更に雨が降り出したため上下線とも復旧が余計に遅れているという。
「あらあら…」
美穂子は時計を確認し、このままでは帰るまでにかなりの時間を要することを悟った。
外に目をやると、先程の雨は駅に着いてから一層強さを増していた。
傘をさしたところで飛ばされるのが関の山といった様子である。
「困ったわね…」
美穂子は呟いて久の方に顔を向けると、目が合った。
「ねえ、うちに泊まってく?この様子だとしばらく復旧は遅れるだろうし、こんな雨の中じゃ帰るの大変でしょ」
願ってもない誘いではあるが、ふと浮かんだ疑問に美穂子は首を傾げた。
「でも、どうやって?」
ひと駅ではあるが、久もこの電車を使わなければ帰ることが出来ない距離だった。
「タクシー捕まえるわ。ここからうちまでなら車で20分ぐらいで済むし」
ね、と久は美穂子に笑いかけた。
明日の部活は午後からだったので、特に首を横に振る理由もない。
それどころか久と一緒に居られる時間が増えるなら、と美穂子は思った。「じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「ええ。今日はうちの親が帰って来ないから、遠慮しないでね」
何気なく久の言った一言に、美穂子は期待せざるを得なかった。
タクシーの料金は、二人で割り勘をすればそれ程でもない額だった。
この雨の中を思うと、まだ安いものだと思うほかない。
車のドアを開いて貰い、ざあざあ降りの中に傘をさす。玄関まで数十歩だというのに、殆ど意味を成さなかった。
「お邪魔します」
「どうぞ。あ、タオル持ってくるからちょっと待ってて」
玄関に鞄を放り投げて、洗面所らしき部屋に入った。
バスタオルを二枚掴んで、うち一枚を美穂子に渡す。
「あー、あと着替えね。こっち来て」
髪を拭きながら、2人は右手の部屋に入って行く。
久の部屋は、質素と呼ぶに相応しかった。
白い壁紙に、ベッドと机とクローゼット。
床には淡いピンクの絨毯が敷かれている。
「あ、鞄は机の所の椅子にでも置いといて」
美穂子は鞄の水滴もタオルでふき取ると、言われた通り椅子に置いた。
久はクローゼットを開けてTシャツ、ジーンズの繋ぎスカートを掴んできた。
「これ、あんまり服の趣味が合わないと思うんだけど…」
おずおずと久は美穂子に服を差し出す。
そこまで合わないというわけではなかったし、美穂子は彼女なりの気遣いを感じた。
「ありがとう、お借りするわ」
頷いて、美穂子は服を脱ぎ始めた。
晒された肌は蛍光灯の白を反射して、いっそう白く感じられた。
頬を赤らめて、久は目線を逸らした。
まさかそのような行動を久がするとは、美穂子は予想さえしていなかった。
少しばかり、意地悪がしたくなった。
「もしかして、恥ずかしいのかしら?」
上半身がブラジャーのまま、わざと久の方を向いた。
「…え、ええ。そうだ、私も着替えればいいのよね」
動揺を隠しきれないまま、慌ててクローゼットから別の服を取り出した。
黒い細身のカーゴパンツに、青いタンクトップ。
美穂子は既にTシャツを着終わって、繋ぎスカートに手を伸ばした。
視界の隅に、着替えている久の姿が映る。
そこで美穂子は、以前、自分の家に久が来たときのことを思い出した。
初めて交わしたキスは驚く程甘かった。
何より、すべすべした肌理の細かい肌、柔らかな感触、仄かに火照った色、自分を包み込んでくれる優しい匂い…。
また触りたい。美穂子はおぼえず息を呑んだ。
「それで、お願いがあるの」
不意に声をかけられて、うわずった声を上げた。「な、なにかしら」
変な返事をしたせいか、久は一瞬妙な顔つきになった。
が、すぐににこやかな表情になって、おねだり声をあげた。
「晩ご飯を作って欲しいの」
なんだ、と美穂子は胸を撫で下ろした。
微笑むと、先ほどとは打って変わって落ち着き払った声で返す。
「ええ、いいわよ」
「いいの?」
「料理は嫌いじゃないわ」
寧ろ、好きな人に料理を食べてもらうのは嬉しいことだと思った。
自分の作った料理が、やがて目の前に居る人の血となり肉となれるのだから。
「そう、じゃあ有り難くお願いするわ。冷蔵庫の食材は自由に使ってね」
箪笥から久はエプロンを引っ張り出し、手渡した。

洗濯物を干し終えて久がリビングに帰ってくると、テーブルには所狭しと皿が並べられていた。
「うわ、あの冷蔵庫の中身がまさかこうなるとはねー」
久は信じられないという風に、食卓に並べられた料理を眺めていた。
「適当に作ってしまったんだけど、大丈夫かしら…?」
不安げに久を見つめたが、本人は目を輝かせていた。
「とんでもない、どれも美味しそうだわ」
「そう、良かった」
エプロンを解いて畳み、椅子の背にかけた。
早速久は椅子に腰掛けると、勢いよく手を合わせる。
「じゃあ、いただきます」
「ええ。いただきます」
煮物に箸を伸ばし、一口含んだ途端に目を丸くした。
「美味しっ…!」
感嘆とも捉えられる反応に、美穂子は安心する。
「よかった」
あれもこれも、と久は箸を進めていく。
茶碗の米粒が空になって、久は顔を上げた。
「あなた、絶対良いお嫁さんになれるわねー」
「…およめ、さん?」
初めて聞いたとでも言うように、美穂子は聞き返す。
だが、あっけらかんと久は笑ってみせる。
「ええ。私のお嫁さんね」
美穂子はおかげで危うく人参を落としそうになった。
そんな事は露知らず、久は一人で唸り出した。
「でも、私も女だから…どっちもお嫁さんになるのかしら?」
口元に笑みを零し、美穂子は箸を止めた。
目を瞑って、穏やかな口調で言った。
「あなたのお嫁さんなら、なってもいいわ」
心を奪われたのか、久は面食らってしまった。
頬をうっすらと紅く染め、間をおいて口を開く。
「じゃあ、私もあなたのお嫁さんになろうかしら」
熱に浮かれたらしく、ぺらぺらと話し始めた。
「まあ、そんなに私は家事とか得意なほうじゃないけどあなたのお嫁さんになるんならちゃんと家事の一つや二つ…」
がたっ。
話の途中で美穂子は椅子から立ち上がった。
テーブルを挟んだまま、久と唇を重ねさせた。
「…せっかち」
口ではそう言ったものの、まんざらでもないように笑った。
「ごめんなさい、食事中に」
椅子に座りなおして、美穂子は箸を取った。
「いいえ。それより、今日はさっさとお風呂入っちゃいましょうか」
「ええ、そうね」

久は風呂から上がり、パジャマに着替えて自室に行く。
時計はまだ夜の9時を指していた。
しかしベッドには美穂子が自分に背を向けて横になっていた。
「うん?」
寝てしまったのだろうか。
何気なく顔を近づけると、振り向いた美穂子の手が久の頬を捕らえた。
やられた、という表情で久は肩を竦めさせた。
「…まったく」
「ふふ。好きよ」
悪びれるふうも無く、美穂子は笑った。
そのまま軽く触れる程度のキスをして、ベッドへ手招きした。
久もベッドに上がると、腕を伸ばして美穂子を納めた。
美穂子は上目がちに久の顔を覗き込んだ。
「なあに?」
「私も。私も美穂子が好き」
「んっ……」
唇はすぐに離されることなく、濃密なやり取りが交わされる。
舌先が口内をなぞり合い、熱と熱の交換が行われていく。
いとおしむように髪を撫でながら、互いを貪る。
「…っはぁ」
つっ、とどちらのともつかない唾液の線が引かれた。
久はすっかり上気させた顔で尋ねる。
「私のこと、いつまで好きでいてくれる?」
「あなたが死んでも、よ」
青い右目はきらきらと光を宿し、優しげに微笑んだ。
また手を伸ばして、久の髪に触れる。
それから手繰り寄せ、深く抱きしめた。
鼻腔に満たされる石鹸と、シャンプーの香り。
あまりにも心地よくて、美穂子は久の心音を聞きながら眠りたいと思った。
その後も、二人は抱き合って長い夜を楽しむことにした。

翌日の朝、美穂子は部活のため、早めに久のもとを後にした。
わざわざ自宅で制服に着替えるのは面倒だったが、あれだけ楽しめたのだから美穂子は良しと思うことにした。
部室のドアを開けると、真っ先に黒い猫耳をぴょこぴょこさせた後輩が飛びついてくる。
「キャプテン、おはようございますー!」
「おはよう」
穏やかに微笑むと、美穂子は部員全員に挨拶をした。
横を美穂子が通り抜けたとき、華菜はいきなり目を見開いた。
「…あれ?」
「どうしたんですか、先輩」
文堂は訝しげな顔で華菜に声をかけた。
部室の隅に墜落すると、華菜はがっかりした様子で呟いた。
「キャプテンすごく機嫌良さそうだし…、なんか違うニオイがする…」
「はあ」
わけがわからないと言わんばかりに、文堂は首を傾げた。
そこで勢い良く部室のドアが開け放たれ、コーチが上がりこんできた。
辺りを見回して、何かを探しているようだ。
「おはようございます、コーチ」
口々に挨拶する部員たちには目もくれず、視線は部室の隅に向かった。
部室の隅では、華菜がまだ何か一人で喋り続けている。
「まさかまさかキャプテンっ、私というものがありながら…っ!」
「池田ァ!部室の隅で何ウジウジしてんだァッ!!」
「ひゃあっ!?」
背後からまさか一喝されるとは思っていなかった華菜は、慌てて横に飛び退いた。
コーチは華菜の首根っこを掴むと、ずいっと顔を寄せた。
「おい池田ァ、ちょっと付き合えッ!」
「は、はいぃぃぃ!!」
呆然と部員一同、二人のやり取りを眺めていた。
「あらあら、随分と幸せそうね」
ただ一人、美穂子だけは相変わらずにこやかに、そんな二人を見送っていた。

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最終更新:2009年07月11日 16:02