872 名前:名無しさん@秘密の花園 投稿日:2009/06/28(日) 21:54:13 2Xym6wAQ

「さ、帰りましょう?」
「…はい、キャプテン」
部員たちの返事は揃って重々しかった。
無理もない話だ。
伝統の風越と呼ばれてきたにも関わらず、去年は龍門渕に、今年は更に鶴賀と清澄という無名校に破れたのだから。
肩を落として、出口に向かおうとしたときだった。
「待って!」
張り上げられた声が玄関ホールの中に響く。
駆け寄ってきたのは、紛れもなくうちの部員が対峙していた相手だった。
「上埜、さん…?」
信じられない光景に、美穂子は戸惑いを隠せなかった。
肩で息をしながら、久は呼びかける。
「あなた、私と打ったことあるわよね?私は覚えていないけれど…!」
「……っ」
覚えていない。
あのとき言った言葉も、きっと覚えていない。
右目を綺麗と言ったことも、サファイアとルビーの話も。
3年間堆積し続けた感情が、まさに自らの胸を押しつぶそうとしていた。
俯いて黙り込んだ美穂子を横目に、久は言葉を続けた。
「でなければ私の前の苗字なんか知りっこないし、中堅にアドバイスするのだって無理」
「キャプテン…そう、なんですか?」
華奈は怪訝そうな顔で美穂子の顔色を伺った。
他の部員たちも妙な顔でこちらの様子を見ている。
知らん振りをして逃げるのはた易いし、その方が部員たちから変に思われずに済む。
目の前にいる久は、真っ直ぐに美穂子を見つめていた。
こくん、と唾を飲み込む。
「ねえ。上埜さん」
青い右目を開くと、美穂子はいつも通りの笑顔を浮かべた。
「日を改めて会えないかしら」
その目を見て、久はそれこそ目を見開いた。
が、すぐさま口元に笑みを含ませる。
「ええ、いいわよ」

県予選も終わり、束の間の休息が与えられようとしていた。
空が高くて、入道雲は連なったまま流れていく。
久は鞄を揺らしながら足早に駅に向かっていた。
蝉の声が鬱陶しくて、日差しも強い。
ハンドタオルで額を拭きながら、一息吐いた。
先程まで、部室では先日の県予選についてミーティングをしていた。
きっと自分が居なくても、後はまこが何とか纏めてくれるだろう、と抜け出してきたのだ。
しかしながら、よくやった。
部長として、それ以上の言葉が見つからないと思った。
去年の優勝校たる龍門渕と互角に争い、風越を負かしたのだ。
風越、か…。
かたん、かたん。
気が付けば、電車の音がすぐ側まで近付いていた。

列車に揺られながら、久は遠くを眺めていた。
先程のうだるような暑さとは打って変わって、車内の冷房は適度な涼を与えてくれる。
同じ車両内には誰も居なかった。
まあ、こんな時間帯だから当たり前かもしれない。
ああ、そうだ。
あちらにメールを入れておかないと。
携帯を取り出して、「あと10分程で着きます」と簡潔に送った。
すぐに返事が着た。
どうやらあちらは待ち侘びているのだろうか。
『すぐに駅まで迎えに行きます』
物好きな人間もいるものだ、と久は首を竦めさせざるをえなかった。
複雑な気持ちを取り残して、窓の外では太陽が暑く照りつけていた。
やがて到着のアナウンスが響き、鞄をむんずと掴んだ。
開いたドアからは外の熱気が伝わってきた。
あわよくばすぐに涼しい場所に行けますように、と久は切に願った。

改札を抜けると、相手はすぐに見つかった。
白のカットソーと淡いピンクのキャミソールに、黄色のフリンジのついたスカート。
なによりも特徴的なのは開かれた、閉じられた右目。
「先日はどうも」
深々と頭を下げると、あちらもそれに応じた。
「こちらこそ。それより我が儘を聞いて貰って申し訳ないわ」
「いえ、とんでもない」
社交辞令とも呼べるやり取りを済ませると、美穂子はにこやかな顔色になった。
「さ、行きましょうか」
アスファルトは太陽の熱を一心に降り注がれ、空気中に熱気を振りまいている。
すっかりへこたれた風に、久はため息交じりに嘆いた。
「こうも暑いと夏が嫌いになりそうだわ」
「夏があるから涼しさに有り難みが出るのよ」
そう言って、美穂子は涼しそうな顔で答えた。
全く暑そうに見えないのは気のせいだろうか。
磁器のように白い肌が、日差しの下に晒されているのを見て、なんだか痛々しく思えた。
少し進んだ所で、美穂子は足を止めた。
どうやらここらしい。
「上がって。まだ家族が帰っていないから、他に誰もいないのだけれど」
「そう。では遠慮なくお邪魔するわ」
中に招き入れられると、無意識に久は家の中を見回した。
玄関には綺麗に調度品が整理されており、家主の性格が現れていた。
「飲み物を用意するから、階段を突き当たった所の部屋で待っていてね」そう言って、美穂子は奥のキッチンらしき場所へ姿を消した。
久はというと、真っ直ぐに階段を登り、突き当たりのドアノブに手をかけた。
部屋は適度に冷えていた。
恐らく駅に迎えに来る先程まで、美穂子はこの部屋に居たのだろう。
白い壁紙に一点の汚れもなく、部屋のベッドも、木机も綺麗に整えられている。
床の丸テーブルには読みかけだったのか、麻雀雑誌がちょこんと置かれていた。
久は既に目を通したものだったので、特に触れることもなく、それよりも机にあるものに興味が向かった。
対戦校の牌符、予備校の問題集、部活記録と書かれたファイル、日記…。
その中で、久は部活記録を手に取った。
別段人様のものを物色する趣味は無いのだが、同じ麻雀部の部長として部活記録というものは気になってしまう。
ファイルを開くと、半年分の校内ランキングの順位の変動や、各部員の改善点、OGとの対戦結果などが細かく書かれていた。
流石風越、徹底的しているといったところだ。
恐らく部員としてはとてもやりがいを感じているに違いないだろう。
自分がここに居たらどうなったのだろうか、と久はふと思った。
きっと麻雀尽くしで、楽しい日々が過ごせただろう。
自分の実力ならば、県予選も一年生のうちに出して貰えたかもしれない。
…いいや。
久は首を振って、静かにファイルを閉じた。
丁度、ドアが開く。
「おまたせ」
美穂子はアイスティーとゼリーが乗ったトレーを丸テーブルに乗せた。
「アイスティーで平気かしら?」
「ありがとう」
礼を述べて、ファイルを先ほどの元あった位置に戻す。
美穂子はそれに気づき、若干自嘲気味に言った。
「そのファイルは、単なる自己満足の塊よ」
「そう?これだけきっちりした記録を付けられる人がいるのは良いことよ」
尤も、うちにはつける記録も無かったんだから、と久は苦笑した。
笑って肩を竦めると、すぐさま目を細めた。
「…にしても、こんな形でまたあなたに会えるとは思わなかったわ」
実際、久はすっかり美穂子のことを忘れていたぐらいだった。
けれどあのときの子だと判った今となっては、嬉しいこの上ない話だ。
青い、綺麗な右目を持った子。
この子と一緒に麻雀をしていたら、楽しかったかもしれないけれど。
丸テーブルに頬杖をつくと、久はどこか懐かしいふうに言った。
「本当はね、私も風越に行きたかったの」
「……ほん、と?」
「でも叶わなかった。経済的な理由でね」
てっきり風越に来てくれるのではと思っていたし、あるいは県外に引っ越したんだと思っていたので、美穂子は急に居たたまれなくなった。
どうしようもなくて、下を向くことにした。
すかさず久は美穂子の肩を軽く小突く。
「そんな顔しないでよ。今は素敵な後輩達に恵まれて、楽しくてしょうがないんだから」
後輩たち、という言葉に美穂子はふと思い出す。
そういえば、清澄はメンバーのうち3人が1年生だ。
勿論3人が強いのは認めるけれども、まさか、という言葉が美穂子の脳裏をよぎった。
「まさかあなたは県予選に出るために、2年間も待ったというの?」
自分が全国に行ったあの年も、龍門渕に奪われた年も。
涙腺が弛みかけ、それを抑えようと美穂子は口元を覆った。
一方、当の本人は何事も無かったかのように、アイスティーを啜った。
ああ、美味しい。
などと呟いている。
「いいじゃない、結果として出られたんだから」
「本当に、悪い待ちね」
「うん、まあ。あなたと打っていたときも悪い待ちしかしなかったし」
そう。あの時と比べて、自分が全く変わっていないことに、久自身が一番驚いていた。
氷がからん、と冷ややかな音を奏でた。
「こうしてまたあなたにも会えたんだから、役満ね」
かああぁっ、と美穂子は自身の頬が紅く火照ったのを感じた。
恥ずかしさのあまり、視線を宙に泳がせる。
「そ、そう…」
「それで、一つ聞きたいんだけど」
「なにかしら?」
「あなたは3年間、私に会えるのを待っていてくれたの?」
久は興味津々といった面持ちで身を乗り出した。
小首を傾げて、相手の様子を伺っているようだ。
「それとも、それは私の単なる自惚れかしら」
突拍子もない問いに、美穂子は頭が真っ白になりかけたが、なんとか首を横に振った。
「い、いいえ」
「そう。じゃあ、単に私の打ち筋が気になっただけ?」
「……ええ、まあ」
美穂子は顔にどこか暗い影を落とす。
ばれかけている。
あるいは既にばれている。
美穂子は瞬時にそれを悟った。
だがここで認めた途端、手のひらを返されるかもしれない。
嫌われるのが怖くなって、口を噤んだ。
それをいいことに、久は更に追及する。
「そうなの?私より面白い打ち筋をしている人間はゴマンと居るじゃない」
やはりばれている。
もう隠しきれないぐらいに。
美穂子は瞬時に右目を開き、両手は久の肩を押した。
華奢で大して力もないが、倒すぐらいは簡単だった。
ベッドの上に仰向けに倒された久は、そういった行動さえも予想していたのか、口元の笑みは全く崩さない。
あたかも試合の最中のようだった。
「いいえ。私は嘘を吐いたわ」
微かに震えた声音が久の耳元に届く。
温かい滴が頬の上にぱたぱたとこぼれていった。
「好きになってしまったの。私の右目を、綺麗ってあなたが言ってくれたときに」
美穂子は久の顎に右手を添えて、唇を重ねた。
「んっ……」
この柔らかい感触が余計に、自身の胸をちくちくと突き刺す。
きっと、この後自分は拒絶される。
もう二度と右目を綺麗とは言ってくれないだろう。
惜しむように唇を離すと、頬の滴が自分のものではない指に拭われた。
「泣いたままキスしたって辛いだけでしょうが」
全く予想していなかった事態で、美穂子は何が起きたのか理解が出来なかった。
久は頭を優しく撫でて、頬へ口付けを落とした。
すっかり狐につままれたような顔をしている美穂子にくすくすと笑いかけ、耳元で囁いた。
「好きよ」
扇情的な表情に、いつしか取りつかれていた。
美穂子は溶けた瞳で久を見つめ、深く深く唇を重ねる。
舌を割り入れ、口内を満遍なく弄り回す。
「っ、あ…ふ……」
指先は白い首筋をなぞりあげ、これから徹底的に久の身体を物色しようとしていた。
互いに紅潮しきっていて、どちらがという風も無く、うっとりとした表情で唇を離した。
「…っは、随分と激しいキスがお好きなのね」
「3年間、あなたを待っていた分だと思って?」
「成る程」
セーラー服の留め金を、ひとつずつ、細い指が外していく。
蛍光灯の下に、傷ひとつない白い肌が晒される。
息を呑み、美穂子は呟いた。
「綺麗…」
「冗談。どこぞのキャプテンの方がうん十倍綺麗な肌してるわ」
「そんなことないわ。私はあなたの肌が好き」
久の首筋に顔を埋め、軽く口付けをした。
くすぐったいような、心地いいような感覚に少し戸惑う。
「物好きね」
そうは言いながらも、久は美穂子の髪を撫で上げる。
「痕、つけていい?」
「我慢できないならどうぞ」
大して驚く様子もなく、嫌そうにも思えない返事だ。
寧ろ久の返事に驚いたものの、またもや尋ねる。
「好きな所に?」
「差し障りの無い位置なら」
「そう、なら…」
指が体の下へ下へと降りて行き、スカートの中へと向かう。
軽くスカートを捲りあげ、指を止めた。
そこに口をつけ、強く吸いたてる。
自らの太ももに紅い痕が浮かび上がったのを見て、久はため息を吐いた。
「ギリギリのところを狙ってくれるじゃないの」
「普段隠れるからいいでしょう?」
特に悪びれる素振りも見せず、美穂子は久の腕の中に飛び込んだ。
「好きよ、久」
「私も美穂子が好き」
吸い込まれるかのように、右の青い瞳を覗き込んだ。
それから愛おしげに頬に触れ、ゆっくりと呟いた。
「綺麗な目」
はっ、と久の台詞に、美穂子はあの時のことを思い返した。
身体を少し遠ざけると、間を置いて口を開く。
「ひとつ、聞きたかったことがあるの」
「うん?」
久は首をかしげて、美穂子の話に耳を傾ける。
「あのときあなたが言った、サファイアとルビーの原石の話」
聞いた途端、ああ、と久の口から声が漏れた。
「あれはね――」

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最終更新:2009年07月11日 15:59