177 名前:へたれ[sage] 投稿日:2009/05/16(土) 13:34:52 ID:H+AQNXcU
「じゃあね、咲。全国大会がんばってね」
「うん。ありがとう。また、明日ね」

 新校舎の出口で、掃除当番が一緒だったクラスメイト
と手を振って別れ、旧校舎の古ぼけた階段を駆け足で上
って行く。県大会からひと月ほどすぎた初夏。強くなり
だした日差しもこの時間ではやわらぎはじめていた。

  部の扉の前で少し息を整える。全国大会まであと一月
しかない。もう、みんな先に打ち始めてる頃だろう。

 軽く扉を開くと、うっすらと汗ばんでいた頬を風が撫
でて行った。いつもなら聞こえてくる、牌を切る音が聞
こえない。不思議に思いながら室内に入れば、雀卓で眠
り込んでいる原村さんの姿が目に入った。

(原村さん…)

 柔らかそうな髪がふわりと風に舞っている。

(いけない…)

 ドアを音が出ないように静かに閉める。

(みんなは?)

 その場から周りを見回しても誰もいない。室内は静ま
りかえっていた。

 カバンを近くの椅子に置き、原村さんの所に行く。

 麻雀部に入るまでは、彼女は学園の人気者だというこ
とを私は知らなかった。
 綺麗な外見から冷たい印章を受ける人もいるみたいで、
時折彼女の悪口も聞くけど。本当はとても優しい、でも、
芯の通った、とても強い人。そして、ペンギンのぬいぐ
るみを抱いて寝てしまう少女らしさのある、かわいい人。
 県大会で優勝してからは、ますます彼女の周りは賑や
かになって。雑誌や新聞のインタビュー、市長への表敬
訪問にも、部長とともに行かされたと聞いている。

(疲れてるんだね)

 胸元にいるエトペンを見て思わず笑みがもれる。
 ふと、数本の髪が頬にかかっているのに気がついた。
きっと、わたしが部屋に入ってきたとき乱れてしまった
のだろう。

 自然と手がのびる。

  指が髪に触れそうになったとき、きめの細かい白い肌
に目を奪われた。柔らかな髪に、長いまつ毛に、息を奪
われた。
 今まで見てきた、彼女の表情が幾重にも心に浮かんで
は消えていった。最初に会ったときの泣き顔。卓を囲ん
でいるときの真剣な表情。何気ない会話の中で見せてく
れる笑い顔。そして、県大会を優勝したときの、頬をピ
ンクに染めて見せてくれた笑顔。

 思わず手が止まる。

 彼女の髪に触れる前に、その直前に。

(えっ…?)

 ただ彼女の髪を直そうとしただけなのに。

(それなのに…)

 急に胸がドキドキしてきて、頬に熱が集まってきた。

(なんで…?)

 指先が震え出していた。

(どうして…?)

 自分の変化にとまどい。力の入らなくなった手を胸に
抱く。目を閉じると心臓の鼓動がより一層強く感じられ
た。

 どのくらいそうしていただろうか。やがて鼓動も収ま
りだし、指先の震えも治まってきた。

 目を開けて原村さんを見ると、あいかわらず、穏やか
な寝顔の彼女がそこにいた。
ふと視線を感じた気がして目線を下にやれば。原村さん
に抱かれているエトペンに睨まれている。

 柱時計の秒針が時を刻む。

 数秒後…。

 軽く溜息をつき。


(ごめんね…エトペン)



 やるせない思いとともに、エトペンの頭をなぜて許し
を乞う私がいた。


おわり

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年07月11日 14:30