乙レデス誕生秘話
- 本作品は原作4~8巻のネタバレを含む、翠星石視点のお話です。
オリジナル展開も含みますので、お嫌いな方はスルーされるよう、お願いいたします。
(以下、本文)
またアリスゲームは終わらなかった。
だというのに、こみあげる、この安心感は何だろう。
『やっと止まれる』
ネジが止まるというときに、私はそればかり考えていた。
だって、もう戦わなくていいから。
アリスゲームは、とても怖い。
ネジが巻かれたら最後、私たち人形は動くしかない。
動いて、走って、互いを傷つけるまで止まることが許されない。
いっそ止まってしまいたかった。
蒼星石。私の大切な半身。あの子さえ無事なら、それでいいのだから――
*
「――翠星石、翠星石」
「……んあ?」
こり、という感覚。久々に巻かれたネジが、私の意識をこの世へと呼び戻す。
目の前には蒼星石の、いつも通りの真面目な顔。
なんだか、せかされてる気がして、慌てて辺りを見回した。
目に映るのは、一面の薔薇、薔薇、薔薇。
巨大な温室のガラス張りに沿って、たくさんの薔薇が咲き誇っている。
私は、こんなに大きな薔薇園を見たことがなかった。
「この子が君の姉さんかね?」
「ひっ!?」
私の真後ろに、上品そうなお爺さんが座っていた。
……カシミヤのセーターに、おいしそうなセイロン紅茶。
優しそうな声に、思わず喉が、こく、と鳴る。
「はじめまして。私は君のマスターだ」
「はっ、はじめましてですぅ。私は――」
「いいよ、もう紹介したから」
「……蒼星石?」
声をあげずにはいられなかった。
私たちには慣習があった、アリスゲームの前には互いの無事を喜び、互いの無事を願った。
彼女の微妙な表情の変化も知っていた、いつだって真心から心配してくれた。
今日の蒼星石は、なんだか怒っているような気がする。
私は少しだけ首をすくめて、お爺さんの顔を見上げた。
「アリスゲームの前に、やってもらいたいことがある」
「な、なんですぅ?」
「ある女の心の樹を、倒して欲しい」
開いた口が塞がらない。
確かに私たちには、その力がある。
でも、それはマスター自身に使うべきもので、アリスゲームに使うものだ。
私はうろたえて蒼星石を見た。
こんなことを言われたのは初めてで、一人では、どうしていいか分からなかったから。
「マスターの命令だよ、翠星石」
「その通り。君たちにとってアリスゲームが重要なのは理解した。
しかし、君たちに力と住居を提供するのは、マスターである私だ。さあ、やってくれるね?」
「ちょっと! ちょっと待つですぅ!」
私は蒼星石をつかまえると、鞄の中にひきずりこんだ。
「痛いな……なんだい、翠星石」
「こっちの科白ですぅ! なんですか、あいつ!?
あれが今回のマスターですか!?」
蒼星石は、そうだよ、と簡単に言う。吐息のかかるほどの距離が、遠い。
「ねえ、翠星石。僕たちが生まれた意味って、何だと思う?」
「そりゃアリスゲームに参加して……」
違う違うと蒼星石は、狭い鞄の中、器用に指を立てる。
「僕ら一人一人に与えられた意味のことさ。天命とでも言えばいいかな」
「……それが、何ですぅ?」
「キミは、それが何だか分かるかい?」
私が目をパチクリさせていると、彼女は寂しそうに笑った。
「そう、僕たちはアリスゲームしか目的を知らない。これは滑稽なことだよ。
でもマスターは僕に意味をくれた。
彼の願いを果たしたとき、僕は違う自分になれる気がするんだ」
違う、間違っている。そう直感しているのに、その先が続かない。
だって私はそんなこと、考えたこともなかった。
「さあ、翠石星。キミにも手伝って欲しい」
「……い、嫌ですぅ!」
私は鞄を開けると、テーブルの上に飛び出した。
キン、と澄んだ音。
さっきのお爺さん――いいや、極悪爺が、ティースプーンを取り落とした。
「やい爺、妹に何を吹き込んだですぅ!?」
「何とは? マスターとして命令しただけだ。君も従ってくれるのだろう?」
「ふっ、ふざけんなですぅ! まだ契約は完了してないですぅ!」
鞄から出てきた蒼星石が、呆れ顔で聞いてくる。
「ちょっと、翠星石、何を言っているんだい?
そんなことをしたら、キミのネジは止まるじゃないか」
「止まるけど、止まったほうがマシですぅ!
蒼星石、こんなヤツの命令、聞いちゃいけないですぅ!」
その途端、蒼星石の目がすっと細まった。
見たこともない彼女の顔に、私は、一歩あとずさる。
「そ、蒼星石?」
「マスターの命令だ。従ってもらうよ、翠星石。拒否すればキミを壊す」
「!?」
なにが何だか分からない。
何? なんで蒼星石が? 私を壊そうとしてる?
「良くお考えよ翠星石。契約も無しに戦って、勝てると思うのかい?」
「う、あ……」
わかるよね、と極上の笑顔。
「うあ、うあああああ!!」
「!!」
私は鞄に入ると、温室のガラスを突き破り、蒼い空へと飛び出した。
「この……!!」
「待ちなさい、蒼星石。お前の鋏があれば、心の樹は倒せるのだろう?」
「……はい」
「なら追うんじゃない。あれよりも、お前のほうが優秀そうだ。
お前一人でもやってくれるね?」
「はい、マスター」
翠星石は大声で泣いた。蒼星石が居ない。
姿かたちはそのままに、心だけが居なくなろうとしている。
ローザミスティカを奪われることは、何度か想像したことがあった。
なのに、こんなのは計算外で、その考えが行き着く先はアリスゲームより怖かった。
鞄はひたすら飛び続ける。行くあては無いけれど。
巻かれたネジも、いつ止まるか分からないけれど――
*
「いやああああああ!!」
「おや、お目覚めかい? 翠星石。夢の感想はどうだった?」
私は茨のベッドで目を覚ました。
体中に巻きついた蔓は、ローザミスティカを吸い出そうと、万力のように締め上げてくる。
すぐ目の前には蒼星石――別人になった蒼星石。
綺麗だった瞳からは、忌まわしい薔薇が飛び出している。
「思い出したかい? 一人ぼっちは怖いよね、賢いキミは学んだはずだ」
「蒼……」
「さあ、今度は別の子守唄を歌ってあげよう。
次に見る夢は幸せだよ。ずっと昔、僕と一緒だった夢だ。何も怖くない」
「……かっ、」
「うん? なんだい?」
「かわいそうな蒼星石……翠星石が……助けるですぅ!」
「なに!?」
私は如雨露を呼び出すと、そのまま空中にブチ撒けた。
中身の水はあふれ出し、あたりを構わず濡らしていく。
茨は育ち、さらに水を吸って、どんどん重くなっていく。
「くうっ……正気かい、翠星石!?
このままでは僕もキミも、茨の重みに潰されて、っ!?」
「いけえええええっ!!」
みしり、と不吉な音が響いた。
次の瞬間、茨の重みに耐えかねたベッドがへし折れる。
崩壊はそこに留まらず、空間自体が破れて、下へ下へと落ちて行く。
「うわああああ!? 翠星石、キミは何てことを!!」
「……蒼星石……意味は、あったんですぅ」
ようやく自由になった手で、私は、そっと妹の頬に触れた。
「あなたは……翠星石の……大事な妹ですぅ。
それで、それだけで、私たちは十分だったんですぅ」
「何を言っているんだ、キミは!?」
「蒼星石……いま助けるですぅ……その、カラッポな心にっ!」
私は自分の胸をえぐって、輝く欠片を取り出す。
「私の命で……甦るですぅ、蒼星石!!」
「うわあああああっ!?」
*
ここは、どこですぅ?
わたし、だれですぅ?
(ちがうですぅ、ですなんて言わないですぅ)
ん? だれか、いるの?
(…………)
ここは、どこ?
ボクは、だれ?
(蒼……ですぅ)
ん? ソウ……デス?
(…………)
いま、きこえた、ボクの名前?
ボクはソウデス。ボクはソウデス。
ここは、どこ?
(ばっ、ち、違うですぅ! もっと想像力を使えですぅ!)
……なまえ、ちがう?
ボクはソウゾウデス。ボクはソウゾウデス。
ここは、どこ?
(オノレぇですぅ、妙な推理をきかせるなですぅ!)
? オ……ツレ?
ボクはソウゾウオツレデス。ボクはソウゾウオツレデス。
ここは、どこ?
(改造するなーっ!!
蒼です、蒼! お前は蒼星石の生まれ変わりですぅ!)
…………?
蒼? ボクは、蒼?
(そうそう。はー、やっとローザミスティカが動いたですぅ)
ボクは蒼像界王乙レデス。ボクは蒼像界王乙レデス。
ここは、どこ?
(ううっ、なんてアホな子……勝手にしやがれですぅ!!)
誰かの嘆きをよそに、乙レデスは歩いていった。
真っ白な世界を、どこまでも。
鏡の世界を通り抜け、心の世界を通り抜け、時間さえ越えたその先へ。
(アリスゲームの無い世界で、今度こそ蒼星石を守るですぅ!
ここからなら、きっとどこか別の世界へ行けるはずなんですぅ!)
ボクは蒼像界王乙レデス。ボクは蒼像界王乙レデス。
さあいこう、ここではない、どこかへ――
(乙レデス誕生秘話・完)
*
そして、ある日、異世界の扉が開かれる時がきた!
「蒼星石ぃ、一緒にお風呂はいろうねぇ~?」
「いいぜ、俺と 入 ら な い か 」
「アッー!!」
「……」
「…………」
「わかった。ボクわかった。蒼星石まもる」
(おめぇ、なにを分かったですぅ――!!?)
乙女の星が輝く影で マスターの笑いがこだまする
星から星に泣く蒼の 涙背負ってマスターの始末
蒼像界王乙レデス お呼びとあらば即参上!
「だよっ」
(人の話をきけぇーっ!!)
最終更新:2007年12月02日 23:58