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  朝食の後もずっと気まずい沈黙は続いていた。
  一緒には居るものの、二人ともなんとなく居心地が悪そうだ。
  だいぶ時間が経ち、お昼も近くなった頃マスターが口を開いた。

 マ「もうすぐお昼だけどどうする?
   連休中に出かけられない分だけ出費も少ないからさ、パーッと贅沢しちゃう?
   外食は無理でも何か宅配してもらったり、豪華な物を買うとかさ。」

  蒼星石を元気付けるように無理に明るく話しかける。

 蒼「あ、忘れてた。あのね・・・おじいさんが今日のお昼にマスターを連れて二人で来なさいって。」
 マ「柴崎のおじいさんが?」
 蒼「うん。今日は子供の日だし、お祝いをしたいんだって。」
 マ「そっか。あの二人にとっては蒼星石は自分達の子供みたいなものだものね。」
 蒼「あと、マスターもだって。」
 マ「へえ、僕もか。」
 蒼「もしも・・・あんな事故が無かったらこんな感じだったんじゃないかと時々思うんだってさ。」
 マ「じゃあ度々お世話になってるし、顔を出しておこうか。」
 蒼「うん。」
 マ「じゃあ急いで仕度をして出かけようか。そうだな・・・十五分もあればいいかな?」
 蒼「分かった。」


  仕度、といっても身だしなみやちょっとした手土産の用意程度だが、を済ませて二人で芝崎家を訪れる。

 マ「こんにちは。」
 蒼「お邪魔します。」
 ま「あら、いらっしゃい。」
 元「おうおう、首を長くして二人を待っとったぞ。」
 蒼「遅くなってすみませんでした。」
 マ「お招きに預かり感謝します。」
 元「ははは、そんな他人行儀になりなさんな。さあ昼食の用意は出来とるぞ。」
 ま「二人が来るからお寿司を取ったのよ。」

  通された部屋の向こうに見えるテーブルの上にはお寿司が並んでいる。

 マ「おい、大変だぁ、すごいぞ、あっちの部屋に寿司がある。ウニもあるぞ!」
 蒼「もうマスターったら、恥ずかしいなあ。」
 元「はっはっは、いいんじゃいいんじゃ。そうやって楽しんでくれればワシらも嬉しい。」
 マ「あのー、これって結構なお値段なんじゃ。ですからせめて僕の分だけでも・・・」
 ま「あらあら、そんな遠慮しないでくださいな。」
 元「そうじゃよ。今日は子供の日なんだからな。若いモンは大人しくもてなされてればいいんじゃ。」
 マ「えーと。子供・・・ですか?」
 ま「あなただって私達から見ればまだまだ子供みたいな年齢ですよ。」
 元「それにお前さんは別の意味でもワシらの子供みたいなもんじゃからな。」
 マ「ありがとうございます。」
 元「よーし、じゃあそんな話は終わりにして新鮮な内に早速食べようじゃないか。」

  みんなで仲良く座ってお寿司を食べる。

 マ「蒼星石、手が届かないの?」
 蒼「ちょっと遠いね。」
 マ「じゃあお皿に取るよ。何が食べたい?」
 蒼「えーと、じゃあ赤身と・・・」
 元「たまには贅沢してイクラでもどうかな?」

  お皿に軍艦巻きが乗る。

 ま「ウニも美味しいわよ。」

  さらにもう一貫。

 マ「じゃあ数の子も。」

  またもう一貫。

  ・・・

 マ「はい。」
 蒼「あのさ・・・いっぺんにこんなに取られても困るよ。」

  お皿の上にはお寿司がてんこ盛りになっていた。

 マ「まあまあ、ゆっくり食べなよ。」
 元「そうとも。たっぷりとお食べ。」
 ま「足りなくなったらお替わりもしてね。」
 蒼「あ、あはは・・・。」

  そんなこんなでみんなで話しつつお寿司を平らげた。

 ま「おやつに柏餅と粽なんていかがかしら?端午の節句ですしね。」
 マ「ありがとうございます。」
 元「どれ、お茶くらいワシが入れるか。」
 蒼「あ、おじいさん僕がやりますよ。」
 元「いいんじゃよ、今日は二人が主役なんじゃからな。この位やらせておくれ。」

  そう言われ、蒼星石も引き下がった。
  しばらくして二人の前にお茶が出される。

 元「さてと・・・二人ともどうした?」
 マ「え?」
 蒼「どうしたって、何の事ですか?」
 ま「二人ともなんだか元気が無いじゃない。」
 マ「そんな事ないですよ。ねえ。」
 蒼「うん、そうだよね。」

  二人とも明るい声を出す。

 元「確かにワシらはそこまで深い関係でもないかもしれん。だが全くの他人でもない。
   いつもと様子が違えばなんとなくではあるが分かってしまうもんじゃぞ。」
 ま「二人ともなんだか悩んでる事を隠しているような・・・。」
 マ「・・・・・・。」
 蒼「・・・・・・。」

  二人が黙りこくってしまう。

 元「無理に話せとは言わん。相談されて力になれるかも分からん。
   だが誰かに話す事で楽になるかもしれんぞ?」
 マ「実は・・・」

  マスターが昨夜と今朝にあった事をかいつまんで話す。

 元「なるほど、ご両親とそんな話をしたのか。」
 マ「すいません、こんな事を話されても困りますよね。」
 元「確かに。ワシらじゃあ孫を待ち望む気持ちは分からんからな。」
 マ「あ、いや、そんなつもりじゃ!我が家の事情で、凄く個人的な問題なのに・・・。」
 ま「それであなたはどう考えてるの?」
 マ「今まで自分を育ててくれた両親には感謝していますし、恩返しもしたい。
   どうすれば喜んでくれるのかも分かっている、だけど・・・我が身可愛さでそれをしないんです。」

  マスターが辛そうな顔をする。
  それを見た蒼星石も悲しげな表情になってしまう。

 元「我が身可愛さか。」
 マ「はい。両親が孫を、僕の子供を見たらどれだけ喜んでくれるかは分かってます。
   でも自分は、それが恐らくは無理だろうと分かっている選択を望んでいるんです。」
 元「さっきはああ言ったが、ワシらも子を持つ親の気持ちなら一応分かる。
   もちろんお前さんの家の事情とは違うかもしれんが、意見させてもらおう。」
 マ「はい、お願いします。」
 元「お前さんは親に孝行をしたいわけじゃな?」
 マ「はい。でも・・・」

  マスターが続けようとしたところを元治が制す。

 元「まあ待ちなさい。じゃあその孝行とはなんじゃ?」
 マ「え・・・?」
 元「何かを買ってやる事か?老後の面倒を見る事か?実家に顔を出したり声を聞かせたりする事か?」
 マ「そういうのもあるとは思いますけど、なんというか、もっといろいろと喜んでもらえる事を・・・。」
 元「そうだな。では喜んでもらえるのはどんな事だと思う?
   ・・・ワシが思うには親よりも長く生き、幸せな姿を見せてやる事だと思う。」

  そこで元治が一息つくと気持ちを整理してから語り出す。

 元「カズキは・・・ワシらの息子の事じゃな、交通事故で親よりも先に死んでしまった。
   とんでもない親不孝じゃ!とは言え、ワシらだっていろいろと責任を感じ、後悔してもしきれなかった。」

  マスターはただ黙って聞いている。

 元「だがな、あの子が最後にワシらのところに来て、辛くないと笑顔を見せてくれた。
   それだけの事だが、それによってワシらは救われたんじゃ。
   幸福にはしてやれんかったかもしれんが、不幸ではないと言ってくれたからじゃ。」

  傍で話を聞いていたマツさんも頷く。

 元「親というのは子に幸せになってもらいたい。それに人生の先の展開を一応は知っている。
   もちろん自身が体験したり、他人の人生の一部を見たりといった範囲でしかないがな。
   それだからあれこれと世話を焼いてしまうし、こうすれば幸せだろうと思ったらそうするように薦める。」
 マ「でも・・・子供の件は・・・。」
 元「ある意味・・・孫が欲しいというのもその一つだと思う。
   まあ自立した子供の代わりに世話を焼ける相手が出来るというのもあるじゃろうがな。」
 ま「確かに今日はとっても楽しかったですよ。」

  マツさんが笑いながら言った。

 元「もしもそうでなくとも孫がどうのでお前さんが辛そうにしてたらご両親も悲しむぞ。
   逆に蒼の事を楽しそうに話をした時は我が事のように喜ばれていたんじゃろ?」
 マ「あ・・・。」
 ま「少なくともあなたが幸せと感じられる選択をした方がいいわよ。
   さっきみたいに私達にでも見抜けるようじゃ、ご両親はもっとごまかせませんよ。」
 マ「・・・そうかもしれませんね。隠そうとしたところできっとお見通しでしょうね。」
 元「まあ子供を生めと言ってくるということはご両親自身は子に恵まれたと思っておるんじゃろう。」
 ま「それも兄妹お二人も。なんだかうらやましいですね。」
 元「なーに、まだ遅くないかもしれんぞ。ワシらも再チャレンジで・・・」
 ま「いやですよ、おじいさん。二人が見てるじゃありませんか。」

  マツさんがすり寄ってくる元治を照れながら諌める。
  口ではそんな事を言っているがまんざらでもなさそうだ。
  二人の事はもうお構い無しにじゃれあっている。

 マ「はははっ・・・。」
 蒼「二人とも・・・幸せそうだね。」
 マ「そうだね。子供とか関係なく幸せに・・・僕らもなれるかな?」
 蒼「きっとなれるよ。マスターと・・・そうなりたい。」




 元「ところで・・・ちょっとお前さんと腹を割って話し合いたいんじゃが。」
 マ「え、僕とですか。」
 元「そうじゃ、男同士の大事な話じゃ。二人だけで話がしたい。」

  何やら真剣そのものなまなざしだった。

 ま「あらあら、じゃあ私たちは外してますね。」
 元「うむ。ワシらが出るまでこの部屋に入ってはいかんぞ。」
 蒼「分かりました。ごゆっくりどうぞ。」

  そう言って女性陣が退出した。

 元「さて・・・」
 マ「大事な話とは・・・一体?」

  マスターが固唾を飲み込んで尋ねる。

 元「今夜、酒でも飲みにいかんか?」
 マ「へ?いや・・・別にお酒を入れなくても本音で語り合わせていただきますけど。」
 元「違う違う、そうじゃなくてもっと、こう・・・若いおなごに囲まれてじゃな。」
 マ「えーと、大事なお話ってそれですか?」

  拍子抜けしたような、どこか呆れたような様子で確認する。

 元「まあまあ、飲む・打つ・買うは男の甲斐性じゃないか。」
 マ「いや、僕はちょっとそういうのは良くないかなと。」
 元「今の時代は確かにそうかもしれんな。しかしじゃ!君も若い男じゃ、いろいろと大変じゃろう?」
 マ「いろいろと、ですか?」
 元「そうじゃ、やっぱり時には悶々としたりして発散させなきゃじゃろう。」
 マ「え、それって・・・な、な、なにを!そんなの平気です!!」
 元「恥ずかしがらんでもいい。生き物としての本能じゃないか。な?」
 マ「な?じゃありません。そういった欲求はあんまり無い方だから大丈夫です。」
 元「そんな事ないじゃろう、かく言うワシだってマツがおらんで寂しかった頃はブイブイ言わしたもんじゃ。」
 マ「別に他人の考え方にまで文句はつけませんけど、行くのならお一人でどうぞ。」
 元「いやいや、やっぱり若い兄ちゃんが居た方が女の子の乗りも良くってのう。」
 マ「そんな理由で巻き込まないで下さいよ。」
 元「君だって健全な青年なら女性に興味はあるだろう?うん?」
 マ「そりゃ無い訳じゃありませんけど・・・。」
 元「じゃあ行こうじゃないか。いろいろな女性を知っておいた方が男としてレベルアップできるぞ?」
 マ「いや、でも・・・分不相応ですよ。そんな経済的な余裕も無いですし。」

  少しずつ反論の勢いが弱まりを見せてきた気がしないでもない。

 元「待て待て、では君の分の代金はワシが持とう。どうじゃ?」
 マ「そんな申し訳ないこと出来ません。えーと、半額ぐらいなら出しますから。」
 元「はっはっは、気にせんでいいわい!こりゃあご両親に孫を見せてやれるかも知れんな。」
 マ「なっ!やっぱやめます!!誰とでもいい訳じゃありません!!」
 元「こらこら、あんまり大声を出すとマツ達が何事かと思うぞ。」

  部屋の戸がガラリと開いた。

 マ「あ。」

  そこに笑顔のままのマツさんが立っていた。

 元「こら、まだ話の途中じゃ。」
 ま「いえね、時計の修理を頼むというお客さんが見えたんですよ。」
 元「なんじゃそうか。」
 ま「それじゃあ悪いけど、あなたに応対を頼んでいいかしら?」

  マツさんがマスターの方を見る。

 マ「へ、僕ですか?」
 元「こら、客人に何をさせるんじゃ。ワシに任せなさい。」
 ま「あら、あなたは忙しいでしょ。・・・私にどうブイブイ言わせてたのか話してもらわないと。」
 マ「うわ・・・。」

  笑顔のままのマツさんの背後にオーラが見えるような気がした。
  満面の笑みの迫力に大の男が二人とも凍りつく。

 元「お前、さっき男同士の話だからと言ったろう!」
 ま「様子が変だとは思ったんですが、そう言われていたので困りましたよ。
   だから・・・部屋の外で聞かせてもらいましたけど?」

  腰が引けたままの元治の襟首をマツさんがつかんだ。

 ま「それじゃあお客さんの方はお願いしますね。」
 マ「は、はいっ!」
 元「ま、待て!話せば分かる!!」
 ま「だからこれから二人でみっちりと語り合いましょうね、拳とかも交えて。」
 元「た、助けてくれ。カーズーキーーー!!」
 マ「ごめんなさい、おじいさん。助けを求められても僕には無理です。」

  マスターは、元治が引きずられていく様子をがくがくと震えながら見ているしか出来なかった。

 蒼「ねえマスター、お客さんが待ってるみたいだけどどうしたの?」

  ひょっこりと蒼星石が顔を出す。

 マ「あ、蒼星石。」

  マスターの震えが収まった。

 マ「まあ・・・おじいさんが二人でお酒を飲みに行こうって誘ってくれたんだけど・・・
   そうしたお店の女性との関係を疑われておじいさんがマツさんに連行されちゃったんだ。」

  極力ショッキングな言い方は避けソフトに伝える。

 蒼「ふうん、やり過ぎじゃないのかな?」
 マ「かもね。でも愛情の裏返しなんだよ。」

  余裕を取り戻したマスターがのんきに笑いながら言った。

 蒼「この分じゃお酒を飲みにはいけないね。残念だった?」

  蒼星石も笑いながら言う。

 マ「別にそんなには。」
 蒼「本当に?マスターはそういうお店ってのに興味ないの?」
 マ「たとえどんなに美人だったとしてもお仕事で愛想よくされてもね。
   でもそういうのじゃなくて・・・僕の事を大好きだって子に迫られちゃったら少しぐらい・・・」

  その時カランと澄んだ音が蒼星石の背後からした。

 蒼「あ。」

  マスターがそちらに目をやると見覚えのある庭師の鋏。
  どうやら立てかけてあったのが倒れたらしい。

 蒼「少しぐらい・・・何かな?」

  蒼星石が先程のマツさんを彷彿とさせる笑みで尋ねてくる。
  ぶるり、とマスターが一瞬だけ震える。

 マ「蒼星石も・・・マツさんと一緒に聞いてたね?」

  マスターがこわばった笑みで尋ね返す。

 蒼「さあ?」
 マ「へえ・・・。」

  しばし二人とも沈黙する。
  何やら真剣な顔での対峙が続いた。

 マ「まあ何事もやり過ぎは良くないよね!」

  マスターが笑いながら言った。

 蒼「やだなあ、愛情の裏返しでしょ?」

  蒼星石も笑いながら返した。




 マ「ではこちらの品の修理をご希望ですね。ではお名前とご連絡先をこちらにいただけますでしょうか。
   あと修理に関してのご希望もあればご記入をお願いします。」

  マスターがなんだかんだで待たされ続けたお客さんの対応をする。

 マ「分かりました。ではこちらからご連絡を差し上げますので・・・はい、今後ともよろしくお願いします。」

  なんとか接客を終えて居間に戻る。
  部屋にはみんな揃っていた。
  何やら元治はボロボロになっていたが全員あえてスルーしている。

 マ「一応ですがお客さんの対応しましたけど。」
 ま「ありがとうございます。」
 元「貸してみなさい。」
 マ「これです。」
 元「なんじゃ、こんなチャチな時計か。これならうちで新しいのを買った方がお互い得じゃぞ。」
 マ「だけど大事な品らしいんですよ。お子さんが誕生日に贈ってくれたとかで。
   もちろんそんな高い物じゃないそうですが、なんとしても直して欲しいと。」
 元「ほう・・・なら任せときなさい!ちゃっちゃと直したるわい!」

  早速工具を取り出し分解にかかる。

 マ「大丈夫ですか?」
 元「なーに、ワシの腕ならこの程度の時計の一つや二つここで十分じゃ。」
 マ「いや、腕の心配というか・・・。」
 蒼「顔とか頭とかのお怪我の方が・・・。」

  目の辺りも腫れていて、拡大鏡も使いにくそうだ。
  二人が不安げに見ているうちにさっさと作業を進める。

 元「ふうむ、分かったぞ。これが原因じゃな。」

  ピンセットで何かを取り出した。

 蒼「もう分かっちゃったんですか!」
 マ「凄いですね。」

  さっきまで心配していた二人が舌を巻く。

 ま「この人は腕の方は確かだから任せておけば大丈夫よ。」
 元「その通り。さすがマツは良く分かっとる。」
 ま「ただ、任せておけない部分もあるみたいですけどね。」
 元「マツーーー!」

  どうやら先程の禍根はまだくすぶっているらしい。

 マ「えーっと、一体どこが原因で壊れてたんですか?」

  マスターが話を逸らしてフォローする。

 元「うむ、これじゃよ。この歯車が欠けてしまったせいじゃな。」
 蒼「ずいぶん小さな歯車ですね。」
 元「確かに。この中では一番小さいかもしれん。
   じゃがこれが機能しなくなるとこの時計の全ての機能に関わる重要な奴なんじゃ。
   例えばあっちの大きな歯車なら短針が止まるだけで済む。
   まあどっちも時計として使えんのは一緒じゃがな。」
 マ「こんな小さい歯車に大事な部分が集約してるんですね。」
 元「そういう事じゃ。しかもこの時計の持ち主にとってはただの機能以上の意味もな。
   ・・・人生というのにも同じようなものがあるかもしれん。」
 マ「え?」
 元「さっきの中途で終わった話の続きじゃが、生きていれば時として人は取捨選択を強いられる。
   その時に本人から、あるいは周囲から見たらちっぽけな物が本当は大事な物かもしれん。
   ただ時計と違って人生じゃそのつながりは分からんかもしれんがな。」
 マ「なるべくなら後悔の無いように選びたいですね。」
 元「そこは時計と一緒で何を選んでも何かしら失うもんじゃよ。
   あまり悩んでも仕方が無いわい。
   ただ・・・極力後悔したくないなら自分自身の意思で選ぶんじゃな、他人のためにとかではなく自分のために。」
 マ「自分のため・・・。」
 元「わがままとは違うがな、ただ自分が幸せでない者が本当の意味で他者を幸せにできるとは思えん。」
 ま「あなたの幸せはどこにあると思ってるのかしら?」
 マ「それは・・・蒼星石と一緒の時に・・・。」
 元「だったら悩んでも仕方ないじゃろう。誰だってどうせ人生において失敗に一つや二つはするんじゃ。
   気にせずに自分がそうしたいと思う道を選べ。その上でご両親も喜ばせてこそ真の親孝行じゃ。」
 マ「・・・はい!ありがとうございました。」

  マスターの顔に元気が戻る。
  それを見て蒼星石にも笑顔が戻った。

 マ「すいませんでした、いろいろと相談に乗っていただき、こんなに長居までしてしまって。」
 元「まあまあ気にするな。」
 蒼「そろそろお夕飯の支度をしなきゃだね。」
 マ「そうだね。お邪魔になるといけないし、もうおいとましよ・・・」
 元「まあ待ちなさい。夕食も何か取ってご馳走しよう。」
 マ「お昼にもお世話になったのに申し訳ないですよ。」
 元「待ちたまえ。せっかくだから一緒に、な!」

  元治がマスターの両肩をつかむ。
  必死な目で訴える方を見るとマツさんの笑顔。

 マ「ああ、なるほど・・・じゃあご相伴します。」
 元「そうかそうか、それは良かった。」
 マ「でも店屋物を取るとお金がかかりますから何か作りませんか?二人で。」
 元「ワシとか?」
 マ「ええ。」
 元「うーむ、ワシは料理なんぞとんと・・・」
 マ「多少はご機嫌取りになるかもしれませんよ?」

  マスターが元治だけに聞こえるように小声で言った。

 元「うむ・・・まあたまにはマツにも楽してもらわんとな。」
 マ「そういうことでお台所お借りしてよろしいですか?」
 ま「ええ、構いませんよ。じゃあ蒼ちゃん、私達は二人で待ってましょうね。」
 蒼「はい。」


  そして二人で作った男の料理が出来た。
  食卓へと運び、みんな揃っていただきますをする。
  まるで本当の家族のようだ。

 ま「あら・・・」

  お味噌汁をすすったマツさんがつぶやく。

 元「どうした?」
 ま「このお味噌汁、ダシはどうしたのかしら?」
 元「あー、えー、そりゃあ・・・」
 マ「鰹節と煮干でとりましたけど。」

  言葉に詰まった元治をフォローする。

 ま「なんか生臭いわね・・・ダシをとる時間が長かったんじゃないの?」
 マ「はあ・・・。」
 ま「ねえあなた、煮干の頭なんかはちゃんと取ったんでしょうね?」
 元「あ、いや。取っとらん。」
 ま「まったく・・・その所為で風味が台無しじゃないの。」
 元「ううむ、すまん。」
 マ「あ、いや、お味噌汁を担当したのは僕なんで、すみません!」

  まるで本当の姑のようだ。

 ま「これって合わせ味噌よね?」
 マ「はい。お味噌が二種類あったのでお借りして。」
 ま「いつもよりもだいぶ薄味ね。」
 マ「あ、すいません。自分の慣れた味にしてしまいまして・・・。」

  マツさんが元治の方に鋭い視線を向けた。

 ま「あなた、何をしていたの?そのくらい教えるのも出来なかったのかしら?」
 マ「すいません、すいません。言う前に何も聞かずにお味噌を入れてしまいました!」
 ま「まあそういう事にしておきましょう。ところでこの煮物。」

  マスターの言葉が聞こえないかのように矛先を移す。

 マ「はい。」
 ま「具材の面取りが粗いわね。」
 マ「あ、すいません。」
 ま「あなたがやったのね?」
 マ「はい。」
 ま「味付けなんかは?」
 マ「それも僕の責任で・・・。」

  マツさんが視線を元治の方へ向ける。

 ま「そう。・・・で、あなたは何をしたの?」
 元「えーと、そのー、なー・・・」
 マ「ぜ、全体的に・・・いろいろとご指導いただいたり・・・」
 ま「じゃあやっぱりさっきの責任の所在は・・・」
 マ「あ、いや、それは違うような・・・。
   えーと、材料のありかを教えていただいたり、煮ている最中の見張りとか・・・」
 ま「何もしてなかったような物って事かしら?」
 マ「う、いや、違うような気がいたします、はい!」
 ま「それじゃあ、この・・・」

  なおも追及が続く。
  マスターは懸命にフォローを試みるがだんだんと一杯一杯になってきた。
  蒼星石もどうして良いのか分からないのか黙って見守っている。
  終始そんな感じで食事は続いた。


 ま「まあ総じて美味しい出来だったわよ。ご馳走様でした。」
 マ「お粗末様です。」

  どこかげっそりした感じのマスターが言った。

 元「すまんかったな、もう後は気にせず帰っておくれ。」
 マ「大丈夫ですか?」
 元「正直、今はワシがそれを聞きたい。」
 マ「じゃあお言葉に甘える事にします。ありがとうございました。」
 元「こちらこそ本当にすまんかった。」

  へとへとになったマスターの両肩に元治が両手を置く。
  何やら男同士の友情めいた物が生まれたようである。

 蒼「じゃあ今日はありがとうございました。失礼します。」
 ま「じゃあ蒼ちゃん、しっかりと頑張ってね。」
 蒼「・・・はい。」

  そして女性同士にも何かが・・・。



 マ「ふう。」

  マスターがお風呂から上がった。

 マ「今日は・・・疲れた。」

  先程まで針のむしろでくるまれた気分だった。
  損な性分なもので自分がちょっとでも関与したことの矛先が他人に向かうとかえって辛い。
  いっそ自分が直接責められた方が楽というものだ。

 マ「嫁姑の問題って奴はもっと凄いんだろうなあ・・・。」

  何故に世間であれ程まで嫁と姑の戦いがクローズアップされるかが分かった気がする。
  家族と言っても所詮は他人。人と人の間に争いは絶えないのだ。

 マ「蒼星石、お茶飲むかい?昨日親がお土産に新茶をくれたんだ。」
 蒼「マスターお風呂上がったの?」
 マ「うん、おかげさまでいいお湯だったよ。」

  寝る前に少しでも安息を得るためにお茶の用意をしながら答える。
  蒼星石は向こうで何かしていたようだ。

 蒼「ねえマスター。」

  いつの間に移動したのか横からくっつく蒼星石。
  蒼星石の方からそうやって来るのは珍しい。

 マ「くっついてくれるのは嬉しいけど、お茶入れるから後にして。危ないよ?」
 蒼「マスターあったかいなあ。」
 マ「お風呂上りだもの。そりゃ・・・あ・・・。」

  何気なく蒼星石の方を見たマスターが固まる。

 蒼「どうしたの?」

  ザーッと新茶が急須の中に滝のように吸い込まれる。

 蒼「ちょっと、それじゃ濃すぎて飲めないよ。」
 マ「うわっ!」

  両手に持った物を慌てて卓上に置く。

 蒼「ふふふ、マスターったら変なの。」
 マ「だ、だって・・・」

  真っ赤な顔を逸らす。
  蒼星石はマツさんが用意した着物を着ていた。
  それもちょっとはだけさせた感じで、襟元も大きく開いたもので・・・

 マ(な、な、あんなんじゃ下着が見えたり・・・いやむしろ何も着けて・・・って何を見てんだ!)

 蒼(ここまではいい、これからが本番だ)

  慌てまくりのマスターに対し、蒼星石は冷静に自分に言い聞かせる。


  おばあさんは言っていた。

  『世界は自分を中心に回っている、そう思った方が楽しい』

  とりあえず自信を持って堂々と振舞えという意味らしい。


  マスター達が夕飯の用意をしている間の事である。

 ま「いい?私があの人の精神をすり減らしておくから蒼ちゃんはそこに付け込むのよ。」
 蒼「付け込む?」
 ま「疲れて乾ききった心に潤いを与えて、あの人の心をがっちりとつかんでおしまいなさい。
   あの人がもう自分から離れられないようにがっちりとね。」
 蒼「ええっ!?そ、そんなの僕には・・・。」

  蒼星石がぱたぱたと両手を振る。

 ま「蒼ちゃん、いいかしら。さっきの話を聞いたでしょう?
   男ってのは口では何を言っていても本能的にあんな物よ?」
 蒼「でもマスターは・・・」
 ま「そんな風に信じたい大事な人だからこそ!決して逃がしてはいけないの。
   あの人を他の誰かに取られちゃってからじゃ手遅れなのよ?」
 蒼「そんなの嫌ですけど・・・僕なんかじゃ。」
 ま「安心して、私がおじいさんを仕留めたやり方を伝授するから。これでイチコロよ!」
 蒼「・・・お願いします!」
 ま「じゃあ早速衣装を用意して、あとは演技指導ね。」
 蒼「はい!」

  そして二人で練った筋書き通りに事は運びつつある。



 蒼「どうしたのさ?ねえ、こっちを見てよ。」
 マ「いや、その、ちょっと大胆な格好をなさってるので、はい。」
 蒼「じゃあこうしちゃおうか。」

  蒼星石が恥ずかしそうにそっぽを向いたマスターの腕を抱き締める。
  マスターの心臓がドキンとはね上がる。

 マ「あ、当た、当た・・・直接当たって・・・」
 蒼「一つ教えて欲しいな。」
 マ「な、何を!?」

  ただの質問に対して動揺しまくりのマスターの返事。
  声がすっかり上ずっている。

 蒼「お昼に言ってたけどさ、マスターの事を大好きだって子に迫られちゃったら、どうなるの?」
 マ「え、それは・・・。」
 蒼「言えないならいいよ。見せてもらっちゃうから。」
 マ「え?え?」
 蒼「僕が・・・マスターに迫っちゃうから。」
 マ「あ、あひゃ?」
 蒼「それとも僕みたいな可愛くない子じゃダメ?」
 マ「ないない、そんなこと全然ない!」

  マスターが首をぶんぶん振りながら答える。

 蒼「ふふ、一体どうなっちゃうのかな?」
 マ「そ、そんな事をされたら・・・。」
 蒼「されたら?」
 マ「さ、流石に限界だ!!」
 蒼「!?」

  腕にしがみついていた蒼星石を力任せに抱き寄せて唇を奪う。

 マ「ぷはぁ。」
 蒼「はぁ・・・。」

  息が続かなくなりやっと唇が離された。

 マ「・・・ごめん。」

  我に返ったマスターが小声で気まずそうに謝った。

 蒼「ふうん、マスターってば好きって子が来たらすぐこうなっちゃうんだ、危険だなあ。」

  内心は気にしていないが意地悪をしてわざとすねた様に言う。

 マ「ち、違う違う!蒼星石じゃなきゃこんな事はないさ!」
 蒼「本当?」
 マ「本当だよ、蒼星石だけが特別なの!」
 蒼「じゃあさ、ちょっとお願いしちゃってもいい?」
 マ「何?言ってみてよ。」
 蒼「明日はお休みだし、行きたいところがあるんだ。」

  蒼星石が教わった台詞を反芻しながら言葉をつむぐ。

 マ「次の日は平日だから遠出は出来ないけれど、どこへ?」
 蒼「・・・天国。今から二人で、行こ?」

  その言葉と共にマスターの胸へと飛び込む。

 マ「・・・・・・。」

  しかし何も反応が無い。

 蒼「やっぱ僕とじゃ・・・いや?」

  少し不安な表情になってマスターに寄りかかる。
  ぐらり、とマスターの体がそのまま倒れていく。
  マスターが真っ赤な顔のままで布団に沈んだ。

 蒼「あ、あれ?マスター、マスター!」

  確かにイチコロだったようだ。

 蒼「もう、だらしないんだから。でも・・・かわいいな。」

  蒼星石は倒れたマスターに笑いながら布団をかけてあげる。

 蒼「じゃあお休みなさい。」

  そのまま布団にもぐりこんで一緒に寝る事にした。








   ~おまけ~

 マ「・・・うーん、あれ?」

  昨日は途中から記憶が無い。
  そう言えばちょっとずつ思い出してきた。
  確か蒼星石が・・・

 マ「ええ!?」

  ふと気付くと自分の胸の中で蒼星石が気持ち良さそうに眠っている。

 蒼「・・・んー、あ、おはよ。」

  口をぱくぱくさせていると蒼星石が言った。

 蒼「どうしたの?」
 マ「えーと、これは・・・昨日は何を?」

  きょとんとした表情の蒼星石。
  それがいきなり歪む。

 蒼「ひどいよマスター。昨日の事みんな忘れちゃったの?僕は・・・しっかりと覚えてるのに。」
 マ「ええっ!?ご、ごめんね。昨夜はなんだか理性が吹っ飛んでしまって。」

  それで僕は一体何をどこまで?まさか最後まではしでかしてないよね?

 蒼「え?」

  動揺のあまり心の声と口にする言葉が入れ替わってた。

 マ「あ、いや・・・ごめんね。何をしたのかな?した事の責任は取るから。」

  蒼星石がいっそう寂しそうな顔になる。

 蒼「いいんだよ、マスターが悪いんじゃない。マスターは何もしていないんだから忘れて。」

  あまりにも健気な蒼星石の言葉。
  同時に自分が嫌になってくる。

 マ「本当にごめん。もうこんな事はしないからね。大事にするよ。」

  蒼星石をぎゅっと抱き締める。

 蒼「気にしないでいいのに。・・・ありがとう。」

  そう言って蒼星石はしばらく腕の中で微笑んでいた。