ある日の朝、いくら声をかけても起きてこないマスターに業を煮やした蒼星石が直接起こしに行く。
 蒼「マスター、まだ寝てるんですか?」
 マ「いや、起きてるよ。前からこの時間には起きてたでしょ?」
 蒼「それでも布団にこもりきりじゃ意味ないですよ。」
 マ「うーん、きちんと目は開くんだよ。今もそう。」
  布団の中から頼りなげな声が聞こえてくる。
 蒼「それじゃあちゃっちゃと起きて下さいよ。」
 マ「それがさ、なんかしんどくって布団の中で横になりながらその日のスケジュールでも考えよっかな~と思ってると
   気がついたら二度寝、三度寝してるんだよね。」
 蒼「やっぱり全然起きられていないじゃないですか!最近マスターたるんでますよ?」
 マ「ううっ!!・・・自分でも薄々はそう思っていたが、やっぱり?」
 蒼「まあ、あえてはっきりと言うと運動不足で食べる量は現状維持、睡眠は不規則。
   健康状態が不安になってきますよ。成人病やら内臓脂肪やら。」
 マ「確かに・・・最近少しお腹が出てきたかも。大食いしても甘いもの食べまくっても太らない体質だったから油断してたけど。」
 蒼「当然ですよ。人間は加齢と共に代謝が落ちていくんですから。」
 マ「いやだー!もう曲がり角な年齢なのは否定できないけれど曲がり切りたくないー!!」
   いわゆる中年太りの状態に陥った自分の姿を想像して悲鳴をあげる。
 蒼「だからマスターのためにジョギングコースを考えておきましたよ。」
  蒼星石が何やら書かれた紙を手渡した。
 マ「ジョギング?」
 蒼「ええ、近所の公園まで行って一周ぐるりと周って帰ってくる。成人男性の朝食前の運動としては手頃だと思いますよ。」
 マ「え、朝っぱらから!しんどくない?」
 蒼「だから眠気覚ましと精神的な鍛練を兼ねられていいんじゃないですか。朝食もしっかりと摂れれば一石三鳥ですしね。」
 マ「やっぱさ、一人でやるんだよね?」
 蒼「ええ、早朝とはいえ少しは人目もあるでしょうし、僕は朝食の支度をしなければいけないので。」
 マ「そんなあ・・・。」
 蒼「情けない声を出さない下さい。マスターも大変でしょうが僕だって家で遊んでいる訳じゃないんですから。」
 マ「そうじゃないよ。なんか起きているのに離れ離れだなんて・・・辛い。」
  蒼星石がふう、と溜め息をつく。
 蒼「マスターは少しべったりとし過ぎなんですよ。それにそんな事言いつつ、いつもグースカ寝ちゃってるじゃないですか。」
 マ「ううっ・・・分かりました。走りますよ。」
 蒼「それは良かった。はい、ジャージとスポーツタオル。」
 マ「・・・今日から?」
 蒼「当然じゃないですか。明日からなんて言っていたら一生そのままですよ。」
 マ「はーい、行ってきます。」
  そう言うとのそのそと着替えて出て行った。


 マ「・・・ハァ、ハァ・・・。」
  よたよたと走っている。というよりもゾンビのようにふらふらと歩いている。
 マ「もう、駄目だあ・・・。」
  まだコースの半分の公園にもたどり着かないのにへろへろである。
 マ「最近まともに走ったりしてなかったけど・・・ここまで体力が落ちているとはね・・・。
   ふうふぅ、このまま・・・一休みして・・・時間だけつぶして帰っちゃおうかな・・・。」
  ついに立ち止まってしまう。
 マ「・・・いつもこれだからいけないんだよな。はじめのうちは辛いのが当たり前なんだからスローペースでもやるしかない!」
  なんとか気を取り直してコースを進んでいく。


 マ「ただいまーーー!!」
  大声を上げながら帰ってくる。
 蒼「お帰りなさい。マスターまだまだ元気いっぱいみたいですね。」
 マ「とんでもない!もう燃え尽きて空元気だよ。限界だぁ!」
 蒼「直に慣れますよ。でもだいぶ大変みたいですけどサボっちゃ駄目ですよ。」
 マ「分かってる。最初は自分のペースをしっかり把握して完走するのを目標に頑張るよ。」
 蒼「それがいいでしょうね。あまり無理をしても体には毒でしょうから。もう朝食にしますか?」
 マ「いや、久し振りの運動のせいか汗だくになっちゃったから先にシャワー浴びるよ。」
 蒼「分かりました。それじゃあその間に配膳は済ませておきますからごゆっくりどうぞ。」
 マ「うん、そうするね。」
  マスターの姿が浴室に消える。
 蒼「レンピカ、君もお疲れ様だったね。しばらくはマスターがきちんとやれてるかのチェックを頼むよ。」



  そして二日目の朝。
 蒼「さあ起きて下さい。ジョギングの時間ですよ。」
  マスターがだるそうに顔を上げて窓の外を見る。
 マ「うーん、なんか曇ってて雨でも振りそうだからやめておこうよ。」
 蒼「ついさっき天気予報を見たら降水確率は20%でしたよ。」
 マ「ふー、びっくりした。でも、蒼星石の意見はほぼ一点に集中している。
   天気予報では晴天だから、走るのを休む必要はないというもの。
   今回の予報は数字の上では「雨は降らない」派が圧倒的だったけれど、
   サイレントマジョリティを考慮すれば今日の天気は雨。あたりまえの話だよね。」
 蒼「何を訳の分からない事を言ってるんですか?まだ寝ボケてるんですか?」
 マ「いや、なんでもない。確かに大ボケな内容だとは思うけど。」
 蒼「ほら、起きて下さい。まだ三日坊主の域にすら達していないじゃないですか!
   まったく、マスターがそんな事では僕も困るんですからね。」
 マ「え?」
 蒼「マスターがすぐにへばってしまう様だといざという時に僕の身も危なくなるかもしれませんしね。」
 マ「・・・そうだよね、僕がすぐにへたれたら蒼星石が危ないんだもんね。」
 蒼「えーと、言い方が悪かったかもしれませんが誤解しないで下さいね。
   別に我が身可愛さでマスターをけしかけた訳ではないですよ?」
 マ「よし、頑張る!蒼星石に迷惑をかけないように早速行ってくる。」
  それまでとはうって変わって機敏な動作で着替えると出かけて行った。
 蒼「・・・あれ?あの、準備運動くらいはきちんとやって下さいね。
   しかし、現金と言うか、単純と言うか。ふふっ、まあ結果オーライとしておこうかな。」
  どことなく嬉しそうに蒼星石が口にした。


  今日はまだ二日目だが、まがりなりにも一回コースを走ってみたことでだいぶ要領が分かったのか昨日よりも早い。
  それもしっかりと一貫したペースで家のそばまで戻ってこられた。
 マ「残りあとわずかだし、ちょっとだけ飛ばしてみるかな。」
  と、調子に乗った次の瞬間。
 マ「うっ!!」
  貧血でも起こしたのかその場に崩れ落ちるマスター。


 蒼「あ、お帰りレンピカ。もうすぐマスターも来るんだね。どうしたのさ、そんなに慌てて。落ち着いて話してごらん?
   ・・・え、マスターが倒れた!?それは一大事だ!!」
  大急ぎで何やら準備を始める。
 蒼「えーと、水分補給に麦茶・・・ちょっとお砂糖でも加えた方がいいかな?えーと、水筒はどこだっけ?
   ひょっとして倒れた時にどこか怪我したかもしれないから消毒薬に絆創膏。あと他には・・・。」
  次から次へといろいろなものが用意されていく。
 蒼「なにレンピカ、もっと落ち着けって?大丈夫、僕は冷静だよ。そうだ、まず入れ物を用意しないとね。」
  そう言って棚から大きなリュックを取り出した。
  大がかりな準備が進行されていると玄関のドアが開いた。
 マ「ただいま~、いやー、えらい目にあった。無茶したら少しへばってしまったよ。」
 蒼「マスター!無事で良かった。もう大丈夫なの?」
 マ「うん、同じようにジョギングをしてる人が通りがかって介抱してくれてね。親切な人で助かったよ。」
 蒼「まったく、自分の事なんですからきちんと自分で把握してくださいね。」
 マ「面目ない、早く体力をつけなくてはと少し焦ってしまった。」
 蒼「出かける前にも言いましたが、僕がマスターにジョギングを勧めるのはマスターの健康を願ってなんですからね。
   くれぐれもそれを忘れないで下さいよ。」
 マ「そうだね、明日からは起きたらチョコでも食べて水分も補給して、その上で無理しすぎないようにするよ。
   ところでさ、このリュックと水筒はピクニックにでも行くの?」
 蒼「え、いやなんでもないですから。ちょっと整理でもしようかなと。」



  しばらくして朝のジョギングがすっかりと日課になって来た頃の事。
 マ「おはよう。」
 蒼「おはようございます。あれ、なんでジャージを着てるんですか?」
 マ「なんでって、走りに行く時間だから。」
 蒼「走りに、って外は雨ですよ!?」
 マ「うん知ってる。まあ小雨だしね。」
 蒼「小雨って、途中で本降りになるかもしれないし濡れたまま走るなんて駄目ですよ。」
 マ「走ってる時は体が温かいし、帰ってすぐシャワーを浴びれば大丈夫でしょ。」
 蒼「いけません!最近は毎日夜遅くまで帰ってこられなくてお疲れじゃないですか。
   明日は休日なんですから変に無理しないで下さい。」
 マ「でも・・・。」
  何やら言いかけた時ポケットの中の携帯電話が震える。
 マ「あ、ちょっとごめん。」
  携帯電話を取り出して画面を見る。ちょこちょこと操作すると再びポケットに戻す。
 マ「分かった、今日はお休みにするよ。」
 蒼「何かの連絡ですか?」
 マ「うん以前助けてもらったオジさんから。あの後一緒に走るようになったんだけど今日はお休みするって。」
 蒼「ああ、それで今日も行くって言い張ってたんですね。」
 マ「そういうこと。じゃあ今日は走る分の時間が空いたし、蒼星石のお手伝いでもするかな。」
 蒼「いいですよ、そんなの。最近お忙しいんですからたまにはゆっくりと休んでください。」
 マ「まあまあ、働き者の蒼星石にはいつも感謝してるんだからたまには恩返しさせて下さいな。」
 蒼「そうですか、それじゃあ少しだけお手伝いして頂きますね。」
 マ「よし。じゃあ着替えてくるね。」
  マスターが消えるのを待っていたかのように蒼い光球が現れる。
 蒼「なんだいレンピカ。え、一緒に走っている人を見たけど若い女の人だった?
   ・・・じゃあさっきマスターは嘘をついたって事?」
  蒼星石の表情が一瞬だけ曇る。
 蒼「ま、まあ隠し事はどうかと思うけれど僕には関係のないことだしね、うん。全然気にしないよ。」
 マ「お待たせでーす。何をすればいいのかな?」
 蒼「あ、はい。それじゃあこれを刻んで下さい。」
 マ「はーい、任せといて。」
  マスターの様子はあくまでいつものままだった。



  その次の日。今日は雨が降っていない。しかし今にも降り出しそうな空模様だ。
 マ「さて、それじゃあ今日こそまじめに走ってきますか。」
 蒼「でも途中で雨に降られたら大変ですよ。今日はこちらから連絡してお休みしたらどうですか?」
 マ「いや、今日は行くよ。昨日休んじゃったからね。」
 蒼「そうですか、そんなに行きたいのでしたらお好きなようにどうぞ。」
 マ「うん行ってきます。雨が降りそうだから今日は早めに切り上げて帰ってくるかも。」
 蒼「はいはい、行ってらっしゃい。ごゆっくりどうぞ。」
  マスターを見送ると黙々と朝食の準備を始める。
  しばらくしたところで手を休めて窓から空を眺める。
 蒼「ふむ、やっぱり雨が降るといけないから折りたたみ傘くらい届けるべきかな。
   鞄で高いところを飛んでいれば誰かに見つかる事もないだろうし。レンピカ、案内して。」


 蒼「ふうん、あそこが待ち合わせの場所ねえ。」
  家から公園に行く途中にあるお店の軒下でマスターと若い女性が会っていた。
  マスターは女性から照れくさそうに何かを受け取っている。
  そして二言三言交わすと女性が帰っていった。
  どうやら今日も走るのはやめにしたらしい。
 蒼「・・・なんだ、だいぶ執着していたと思ったら結局あれをもらいに来ただけか。
   じゃあ僕も一応傘だけ渡して朝ごはんの支度に戻るかな。」
  そう言うと鞄に乗ったまま腕を伸ばし、傘をつかんでいた手を開いた。
 マ「ん?」
  気配を感じて上を見上げると何か細いものが降って来る。
 マ「おばあちゃんが言っていた。」
  すっと手を掲げる。
 マ「俺の進化は光よりも速い!」
  降って来た物がすっぽりと手に収まる。
 マ「って、ただの傘か。」
  そう言って再び空を見上げたところ飛び去っていく見慣れた鞄があった。


  朝食後、マスターが口を開く。
 マ「さっきさ、傘を届けてくれたよね。ありがとう。」
 蒼「いえいえ、それよりもオジさんとの時間をお邪魔してすみませんでしたね。」
 マ「ああ、別に話はすんだ後だし平気だよ。」
 蒼「そうですか、しかしあのオジさんってまるで若い女の人みたいでしたね。」
 マ「だって女の人だもん。あとあれでも僕よりも年上らしいんだけど若く見えるよね。
   やっぱりジョギングとかしていろいろと美容に気をつけてるのかな。」
  蒼星石が皮肉たっぷりに言うのにも気づかずにマスターが普通に返す。
 蒼「ところで何かをもらって嬉しそうにしてましたよね。」
 マ「ありゃりゃ、そこまで見られちゃったか。じゃあもう隠す必要はないね。はい。」
  両手で大事そうに小さな箱を差し出す。
 蒼「これは?」
 マ「ロケットのついたペンダント。」
 蒼「ひょっとしてこれってさっき受け取ったやつなんですか?」
 マ「名前を入れて細工してもらったんだけどね。あいにく昨日までは取りにいく時間がなかったし、今日はなぜか定休日だし。」
 蒼「そうですか、でも僕相手だから良いようなものの、大事な女の人への贈り物の時には
   他の女性に取りに行かせるような真似をしちゃいけませんよ。」
 マ「たはは、オジさんにも同じことを言われたよ。だけど、どうしても今日渡したくってね。」
 蒼「今日って何かありましたっけ?」
 マ「今日は勤労感謝の日だからね。いつも頑張ってくれている蒼星石へのお礼。」
 蒼「そんな、僕はこんなものを頂けるほどのことはしてませんよ。」
 マ「蒼星石がどう感じているかは別にしてもさ、僕はとてもありがたいと思ってるんだ。
   自分にしてみたらそれしか上げられないのが申し訳ないくらいなんだ、だから受け取ってくれないかな?」
 蒼「・・・はい、分かりました。それじゃあ大事にしますね。」
 マ「良かった、これでオジさんに無理を言った甲斐もあったというものだ。」
 蒼「もう隠さなくてもいいんですからオジさん呼ばわりはやめてあげたらどうですか?」
 マ「呼ばわり、って言われても本名だしさ。」
 蒼「本名?」
 マ「うん、変わった苗字だよね。尾ひれの尾に道路の路でオジ(なぜか変換できない)だって言ってた。」
 蒼「なんだ、そうだったんですか。」
 マ「まあクリスマスの時にはちゃんと言われた通り自分で用意するからさ、今回は大目に見て。ね?」
 蒼「大目にって何のことですか?」
 マ「だから、さっき言ってた・・・その、大事な女の人への贈り物、ってやつ。
   もう、恥ずかしい事を言わせないでよ。」
 蒼「だったら言わなきゃいいじゃないですか。そういう冗談はやめて下さい!」
 マ「冗談なんかじゃないのに。あ、そうだ。後で写真撮らせてよ。」
 蒼「僕の写真なんか撮っても面白くないですよ。他をあたる事をお勧めしますよ。」
 マ「実はさ、自分用にもお揃いのロケット買ったからそれ用にお願いしたくて。」
 蒼「だから!そういう冗談はやめて下さい。」
 マ「お願い!自分は意志が弱いしさ、何かあったら蒼星石の顔を見て叱咤激励されたいの。
   いつもそばに感じていたいの!心の支えなの!!」
 蒼「ふぅ、以前にも言いましたがマスターは少し距離を近くにとりすぎではないですか?」
 マ「ううっ・・・確かにそうかも。甘えすぎて依存しすぎてるかも。
   ・・・だけどさ、やっぱりやっぱり身近に感じていたいんだよね。」
 蒼「仕方ないですね、そこまでおっしゃるなら一つ条件を飲んでいただければいいですよ。」
 マ「やったー!何々、何でもいいから言ってよ。」
 蒼「・・・おあいこという事で僕にもマスターのお写真を撮らせて下さい。それならいいです。」
  それだけ言うと蒼星石がくすりと笑った。