蒼「お待たせしましたマスター、どうぞ召し上がれ。」
 マ「うん、いただきます・・・。」
  マスターに何やら元気がない。食も普段のように進んではいない。
  体調が悪いというよりも、さっきからずっと何かを言い出そうと迷っているようだ。
 蒼「どうしたの?何か言いたい事があるのなら言って?」
 マ「ねえ蒼星石、一緒に暮らす人が一人増えたら・・・やっぱり嫌かな?」
  いつになく神妙な面持ちで切り出した。
 蒼「え・・・?やっぱり僕はマスターと二人だけの方が・・・。
   あ、いや、その・・・全く知らない人とだと不安だしね・・・。」
 マ「そっか、そうだよね。ごめんね。」
  隠そうとしているのかもしれないが、気落ちしている様は到底隠し切れていない
 蒼「マスター、その人って・・・すごい大切な人なの?」
 マ「そうだね、とても大切な人だ。」
 蒼「その人・・・ひょっとして女の人なのかな。」
 マ「うん、まあ女性だね。」
  しばらくの沈黙が生じる。
 マ「・・・いや、もういいんだ。忘れて欲しい。」
 蒼「僕の存在が・・・マスターにとって邪魔になると言うなら、僕は出て行くよ。」
 マ「え、なんで?」
 蒼「僕はマスターに幸せになって欲しいから、僕のせいでマスターを不幸にしたくないから・・・。」
 マ「蒼星石の言いたい事が完全には分からないけれど、多分それは違うよ。
   むしろ君の力を貸して欲しかったんだ。」
 蒼「僕の力?」
 マ「ああ、もしも君さえ良ければ・・・自分が家を空けている間に僕のおばあちゃんの世話をして欲しかったんだ。」
 蒼「おばあさん、って・・・マスターの?」
 マ「うん、僕のお母さんのお母さん、そのおばあちゃんが最近ボケ出してしまってね。
   施設に入れられることになりそうだから、出来れば自分が引き取りたかったんだ。」
 蒼「おばあさんが・・・。でもそういうのって、まずご両親がお世話をするんじゃ・・・。」
 マ「本来は・・・そうなんだろうね。僕はまだ学生だしね。当然周囲からも反対された。」
 蒼「それじゃあなんで?」
 マ「事情が・・・あってね。出来れば自分が家を空けている間は蒼星石に面倒を見てもらうということで、
   それでなんとか説得できないか、と思ってね。」
 蒼「でも、僕の事は・・・。」
 マ「分かってる。全部打ち明けてしまう訳にはいかない。その辺はぼやかしてだし、正直骨が折れるだろうね。
   そもそも仮に『恋人が自分のいない間の面倒を見てくれます』と言ったとしても、
  『よそのお嬢さんにそんな負担を強いるのか』という反対は当然出るだろうしね。」
 蒼「それでも・・・。」
 マ「うん、それでもやれるだけのことはやりたかったんだ。・・・後悔したくはなかったから。」
 蒼「もう、マスターったら水くさいんだから!それならそうと最初から言ってくれればいいのに。」
 マ「でも、蒼星石は気が進まないんじゃ?」
 蒼「そういう事なら話は別だよ。マスターのためだもん、いくらでも頑張っちゃうよ!」
 マ「・・・ありがとう。」
  マスターがそのまま僕を強く抱きしめる。
 蒼「マ、マスターちょっと力が強すぎて・・・」
  そこでマスターの目に浮かぶ涙の存在に気づいた。
  しばらくの間、じっと黙って何も見ていないふりをしていた。


  先の連休中にマスターは実家に帰って親戚一同の説得に当たった。
  その間に家に残った僕はおばあさんを受け入れるための準備を整えた。
  二人して頑張った甲斐があってか、まずは期間限定の様子見でおばあさんを引き取れる運びとなった。
  自分たちだけで無理をせず、必要に応じてヘルパー等を利用するようにという条件付きながらも、なんとか要求が通った形だ。
  そして今日、ついに初めて僕一人でおばあさんの日中のお世話をすることになった。
  ボケ始めたと言っても、行動自体は常軌を逸していないし、むしろ僕に疑念を抱かなかった分そんなに苦労はなかった。
  マスターが学校からまっすぐ帰ってきた。本当にまっすぐ、大急ぎでわき目も振らずに来たのだろう、息も切れている。
  最近はおばあさんを引き取るための説得や準備で駆けずり回っていたせいか、疲れ果てた様子がありありと窺える。
 マ「どうだった?」
 蒼「うん、今はお休みになってるよ。僕の事をご家族の誰かだと思っているのか、協力的で助かったよ。」
 マ「そっか、それならいいけど・・・。」
 蒼「なんだか僕を見てヒロミさんと呼んだりトシミさんと呼んだりしてたよ。なんとなく似てるのかな?」
 マ「やっぱりそうか・・・。」
 蒼「やっぱりって?」
 マ「ヒロミと言うのは僕の母親の名で、トシミというのはおじさんの名前なんだよ。
   きっと蒼星石を見て二人の子供の頃を思い出したんだろうね。」
 蒼「マスター、それって僕が男の子みたいって事じゃないよね?怒っちゃうよ?」
  元気のなかったマスターにも多少は余裕が出たのかと安堵して軽口に付き合う。
 マ「そんな訳ないさ。そんな事一度でも思った事はないし、冗談でだって言うものか。」
 蒼「え・・・あ、ありがとう。」
  思惑に反して真剣な答えが返ってきたので戸惑ってしまう。
 マ「・・・おばあちゃんは頭がボケ出した上に、目もほとんど見えていないみたいなんだ。
   もうね、おばあちゃんには自分の娘と息子のことも分からないんだ。
   ただ髪の短い子供の姿と、その時にたまたま思い浮かんだ思い出とで一致した名前を呼ぶだけなんだ。
   時間も・・・場所も関係なくね。逆に・・・現在の二人を見てもそうとは分からないかもしれない。
   だから自分の所に来た人は・・・母でもあり、おじさんでもあり、誰でもあり、そして・・・誰でもないんだ。」
 蒼「そんな・・・。」
  もしも自分が翠星石や真紅たちといった姉妹、そして・・・マスターといった大切な人たちが分からなくなってしまったら・・・。
  その時おばあさんが目を覚まし、マスターに気づいた。
 ば「あら、カズキさん帰ったの?」
 マ「あ、おばあちゃん、さっき帰ってきたんだよ。元気だった?」
 ば「ええ、さっきまで可愛いお嬢さんが・・・ひょっとして彼女がカズキさんの恋人?その子が面倒をみてくれたから助かったわよ。」
 マ「そうなんだ。それは良かった。彼女にもお礼を言っておくよ。」
 ば「ええ、そうして。それじゃあ私はもう少し休ませてもらうわね・・・。」
 マ「うん、ゆっくりと休んでよ。」
  おばあさんはそのまま再び眠りについた。
 蒼「ねえ、マスターのおばあさんって・・・。」
 マ「・・・おばあちゃんはもう誰も分からない・・・はずなんだ。
   でもね、なぜか・・・孫である僕と僕の妹だけは分かってくれるんだ。
   ちゃんと・・・ちゃんと僕の名前で呼んでくれる。
   だから、だから僕もおばあちゃんを裏切って、ないがしろにするような事はしたくないんだ。」
  泣くのを堪えるような表情で、遠い眼をしながらマスターが言った。
  なぜマスターがああまでしておばあさんを引き取ろうとしたのかが少しだけ分かった気がする。
  そして、なぜ自分を顧みずに無茶をしてしまっているのかも・・・。
 蒼「ねえマスター、おばあさんの夢の中に行けば・・・もしかしたら、だけどおばあさんのボケも治るかも。」
 マ「・・・いいんだよ、このままでも。それが人間の運命なんだよ。ボールを空へと放り投げたみたいにさ、
   始めは上へ上へと、赤ちゃんからだんだんと成長していって・・・それがいつしか少しずつ落ち出して・・・
   また少しずつ赤ちゃんへと戻って行くんだよ。それで最後はどこかへと帰って行くんだ。
   だから、それまでは幸せな夢の中で過ごせばいい、それでいいんだ。・・・・・・ありがとう。」
 蒼「だけどマスターがこんなに大切に思っているのにそれもしっかりと分からないなんて悲しいよ・・・。
   それにボケが治ればまたおばあさんも他のご家族と以前のように暮らせるだろうし。何よりも・・・」
  これじゃあマスターの方が先に参っちゃうよ、という言葉は言ってはいけない気がして飲み込んだ。
 マ「・・・そうかもしれないね、蒼星石の言う事の方が正しいのかもしれない。逃げていちゃいけないのかもしれない。
   辛くても現実と・・・向かい合わなければいけないのかもしれない・・・。蒼星石、お願いするよ。」
 蒼「じゃあ、早速だけど行こうか。・・・・・・レンピカ、頼むよ・・・。」
  おばあさんの夢の扉が開く。
 マ「夢で何かするのなら翠星石がいた方がいいんじゃない?」
 蒼「今はとりあえず下見でいいと思う。なんとかなりそうならそれから呼びに行けばいいよ。」
  そう、今は心の樹の様子を見に行くだけでいいだろう。
  マスターに対してではないから僕の庭師の鋏も存分に振るえる。
  僕がしがらみを斬り払って翠星石が樹を育めば、きっと心の樹も活力を取り戻すだろう。
  そうすれば多分おばあさんのボケも治って・・・マスターもまた元気になってくれるはずだ。
 蒼「・・・それじゃあマスター、準備はいいかな?」
 マ「ああ・・・・・・。」
  そして僕らはおばあさんの夢の中へと入って行った。


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