アルバイトに出かけるマスターを見送ってからしばらくすると翠星石がやってきた。
 翠「蒼星石ー、遊びに来たですよ~♪」
 蒼「あ、翠星石いらっしゃい。」
 翠「今日はあいつはいねえですか?」
 蒼「マスターは今日は個別指導のアルバイトに出かけてるよ。だから夜まで帰ってはこない。」
 翠「むむっ、それは危険な香りがするですよ!」
 蒼「危険?いったい何が。」
 翠「ああいった遊びたい盛りの野郎が夜遅くまでほっつき歩いている・・・。
   ずばり酒か女遊びかギャンブルですね!」
 蒼「まさか。マスターはそういったことが好きじゃないみたいだし・・・。」
 翠「仲良し小良しなのはいいですが、裏切られて傷つくことのないようにするですよ。」
 蒼「裏切るだなんて・・・。僕はマスターのことを信じてるよ。」
 翠「蒼星石、男なんて外じゃあ何やってるか分からねえです。男友達だと偽って平気で女と会ってたり・・・。」
 蒼「またテレビで見たお話?」
 翠「蒼星石がそんな風に甘いから心配してるですよ!急にご機嫌をとるようなことし始めたら要注意ですからね。
   たとえば帰りが遅くなったのをごまかすようにお土産を買ってきたり・・・。」
 蒼「まさか・・・。」
 翠「そのまさかが危ないですよ。蒼星石は少し人が良すぎるです!」
 蒼「でもありがとう、そんなに心配してくれて。」
 翠「大切な妹があんな人間に傷つけられたらたまったもんじゃないですからね。
   いいですか、くれぐれも心を許し過ぎないように気をつけるですよ!」
  そんなこんなで二人でいろいろな話をして過ごした。翠星石が帰っていくのを見送ってお夕飯の支度を始める。
  結構時間が経ってはいたが、マスターがいつも通りの時間に帰ってくるのならば時間はまだ十分にある。
  遅い時間の食事だから胃腸の負担を考えると軽めのものの方がいいだろうか。
  だけど、お仕事で疲れて帰ってくるマスターのことを考えるとやはり栄養はしっかりと摂ってほしいとも思う。
  結局、なるべく消化には良さそうで精のつきそうなものを用意することにした。



  遅い・・・普段ならもうとっくに帰っているはずなのに・・・。お料理もすっかり冷めきってしまった。
  まさか・・・本当に外で何かを・・・。そもそも生徒さんが男の子というのも本当なんだろうか・・・。
  それともアルバイトが終わった後に誰かと会っているとか・・・ううん、もしかしたら今日は最初からアルバイトなんかなくて・・・。
  そう言えば・・・マスターが実際にどこでどういう風に働いているのかなんて全然知らないや・・・。
  全部・・・マスターが僕に言ってくれたことを鵜呑みにするほかないんだ・・・。
  翠星石とあんな話をしたせいか、嫌な考えが頭の中でぐるぐるとめぐってしまう。
  考えれば考えるほど疑念が大きくなってしまうのを抑えられない。
  マスターのことを信じてるって言ったのに・・・、こんなにも簡単に疑心暗鬼になってしまう弱い自分が情けない。
 マ「ふぅ、ただいまー。」
  普段よりも一時間以上は遅れてマスターがやっと帰ってきた。
 蒼「あ・・・お帰りなさい!」
  帰ってきてくれたマスターを見てほっとする。やっぱりいつも通りのマスターだ。
 マ「遅くなってごめんね・・・。はい、これはお土産。」
 蒼「え!?」
 マ「まあ、お土産といってもただのシュークリームだけどね。」
  そこで『帰りが遅くなったのをごまかすようにお土産を買ってきたり・・・』という翠星石の言葉が浮かぶ。
  まさか、そんなのただの偶然じゃないか。自分にそう言い聞かせる。
 マ「・・・蒼星石なんか元気ないけれどどうかしたの?悩みでもあるの?」
 蒼「ううん、なんでもない!さっ、早くご飯にしよ!」



 マ「ご馳走様でした。いつも本当にありがとう。」
  マスターはいつもの通りに振舞っている。それなのに、今の自分にはなぜかそれがいつも通りに受け止められない。
 マ「ところでさ、さっきのシュークリーム食べない?生菓子だから早い方がいいしさ。」
 蒼「うん、そうだね・・・。」
  二人でシュークリームを食べる。でも、いつも一緒にお茶を飲んだりするときのように気分が弾まない。
 マ「どう、美味しかったかな?」
 蒼「うん・・・。」
 マ「蒼星石、これ気に入らなかった?それともやっぱり何かあったの?」
 蒼「・・・マスター、なんで今日に限ってお土産なんて買ってきてくれたの?」
  思い切って単刀直入に聞いてみる。
 マ「出かけるときにふざけた事を言って困らせちゃったみたいだし、それと普段のお礼もかねて。」
 蒼「出かけるとき・・・。」
 マ「本当にどうしたの?困ったことがあるのなら相談に乗らせてよ。」
 蒼「・・・マスターちょっといいかな?」
  その言葉を聞いてこちらを心配そうに覗き込むマスターの口の端についたクリームを舌で舐め取る。
 マ「わ、わっ!どうしたのさ急に!?」
 蒼「マスター、出かけるときに言った続き・・・する?」
 マ「え?」
  自分でもなぜそんなことを言ってしまったのかは分からない。
  ただ、そうやって自分を受け入れてもらえれば安心できるとでも思ったのかもしれない。
 蒼「・・・どうする?」
 マ「う、うーん・・・遠慮させていただこうかな・・・。」
  そんな思いも空しく、あっさりと拒まれてしまった。
  でも考えてみれば当然だ。あんなことをしてしまったらまともな人なら呆れ果てるに決まってる。
  きっと・・・マスターはもう僕のことなんか嫌いになってしまって・・・それで・・・。
  全部・・・全部、自分のせいだったんだ・・・。
  そう思うと今まで勝手にマスターのことを疑っていた自分が惨めで、情けなくなってくる。
 蒼「う・・・うっ、ぐすっ・・・。」
 マ「やれやれ、今日一日だけで二度も泣かせちゃうなんてね・・・。まったく、自分が情けないよ。」
 蒼「でも、マスターが遅くまで帰ってこなかったのは僕のせいだから、僕が変なことをしちゃったせいで自業自得だから・・・。」
  僕の言葉を聞いたマスターがふぅ、と深いため息をつく。
 マ「いいかい、遅くなっちゃったのは今日が夏休み明けの第一回で、夏休み中の成果の確認やら今後の方針決めやらが余分にあったからと、
   それに加えて終了後も個人的に受験の相談に乗っていたからだよ。おまけにそれでお土産を買おうにもほとんどお店が閉まっていて、
   開いているお店を探していたら手間取っちゃって・・・さすがにスーパーやコンビニのお菓子でお土産ってのもアレだしね。」
 蒼「そんなの・・・マスターが少しでも早く帰ってきてくれるのが何よりのお土産だよ!」
 マ「おやおや、これは非常に嬉しいことを言ってくれるね。」
 蒼「だって、だって、マスターがそばにいてくれないとなんだか不安に押し潰されそうなときがあって・・・。」
 マ「ありがとう、僕も蒼星石が家で待っていてくれる、笑顔で出迎えてくれると思えればこそ頑張れるんだ。
   だから、どうかもう泣かないでほしい。ずいぶんと自分勝手なお願いではあるけれど。」
 蒼「うん、分かった・・・これでいいかな?」
 マ「そうそう、蒼星石は笑顔が一番可愛い。」
 蒼「な、何馬鹿なことを言ってるのさ!?」
 マ「分かってるよ、笑っていなくても十分に可愛いって。」
 蒼「も、もう・・・そうじゃなくって!・・・あの・・・お出かけのときは・・・ごめんなさい。」
 マ「別に気にしてないよ。むしろあれ位なら蒼星石が今まで見せなかった内面を見せてくれたようで良かった・・・部分もあるね。」
 蒼「やっぱりやりすぎだった?」
 マ「まあいいんじゃない?お互いの間に変な遠慮や演技みたいなものがない方が。
   お互いに自分をさらけ出していった結果、相手との関わりで自然に変わっていく分にはいいと思うけどね。」
 蒼「だけど・・・ありのままの自分を見せたら嫌われちゃいそうで・・・。」
 マ「大丈夫だよ。蒼星石にだって僕と同じで良いところもあれば悪いところもあるってことぐらいは分かってるさ。
   一応は、その辺りを全部ひっくるめて蒼星石として受け入れる程度の度量は持ち合わせているつもりだけど?」
 蒼「でも、がっかりしちゃうかもよ?」
 マ「自然体でいてくれていいんだ。・・・偶像なんかじゃない、ありのままの君を好きになりたいから。」
 蒼「・・・本当に信じちゃっていいんだね?」
 マ「うん、もしも信じてもらえると言うのならぜひそうしてほしい。」
 蒼「じゃ、じゃあさ・・・。」
  マスターの耳へと口を近づけ、勇気を振り絞って自分の偽らざる想いを伝える。
 マ「・・・えっ!?」
 蒼「やっぱり・・・それはちょっとやりすぎかな?」
 マ「いや・・・実は自分もちょっとそうしたいなという願望は・・・。」
 蒼「なあんだ、マスターだって結構本心を隠してるんじゃない。」
 マ「ははは、まあね。どうしても多少は・・・。」
 蒼「でもちょっと安心したかな。不安なのは僕だけじゃあないんだって。」
 マ「そりゃあそうさ、誰だってみんな強いところと弱いところがあるんだから。
   ・・・だから、みんなで支えあえばいいんだし、自分一人だけで完璧であろうとする必要もないと思う。」
 蒼「僕たち・・・これからずっと支えあっていけるかな?」
 マ「そうしたいと思ってる。だから蒼星石の全てを見せてほしい。強いところも、弱いところも。」
 蒼「うん、僕も・・・。」
 マ「ありがとう。ところで・・・本当にいいんだね?」
 蒼「いいよ・・・。ありのままの僕を受け入れてほしいし、ありのままのマスターを受け入れたいんだ。」
 マ「分かった、それじゃあよろしくね。」
 蒼「うん、マスター・・・。」



    ―― この日、僕とマスターはやっと本当の意味で心を共有する関係になれたのかもしれない ――


                          <<結>>