その日、マスターは黒いネクタイ、黒いスーツに身を包み、
「じゃあ蒼、悪いけど三日ぐらい留守番頼む」
大きなバッグを持って、
「うん、わかった。家の事は任しといて」
遠くの親戚の法事のお手伝いに行くことになっていた。
「折角三日もあるんだし、たまには蒼も自分の時間を持つのもいいかもな」
ポン、と僕の頭に手を置くマスター。
「それじゃ、行ってきます」

バタンとドアが閉まり、マスターが車で出掛けていく音が聞こえる。
急に押し寄せる、家に一人だ、と言うこの感覚。余り気持ちの良いものではない。
「大丈夫、三日、三日したらマスターは帰ってくる」
まずはお洗濯から始めよう。
いつも通りにお仕事していたらきっとすぐに日にちなんて経ってしまう。
僕は早速家事に取り掛かった。



「ふぅ」
一息ついて、僕はソファーに倒れこむ。
やっぱり家のお仕事をしていると時間なんて気になるもんじゃない。
時計を見ると、もう夜になっている。
多分明日もこうやってあっという間に過ぎるだろう。
どうやら僕の為の時間なんてのは見つからないかもしれない。
でも、それは不思議と苦になるようなことじゃなく感じる。
「・・お夕飯作らなきゃ」
今日は僕一人だけ。
使う材料も少なくて済むだろう。
その分、マスターが帰ってきたときに沢山作ってあげよう。
僕は台所に向かった。



その夜。

『もしもし、蒼か?』
テレビを見ていると、マスターから電話が掛かってきた。
受話器からはマスターの声以外にもざわざわと人の声が聞こえてくる。
「どう?マスターの方は?」
『大分人手が足りないからなぁ、やっぱり帰るのは予定通りになると思う』
「・・・でも、お仕事なら仕方ないや」
『そ、そんな沈んだ声で話さないでくれwwそれに雨が降るらしいから窓は閉めて寝ろよ?』
「えっ?」
僕は今流れてるテレビの天気予報を見た。
「ふふ、マスター、こっちは明後日まで晴れだって」
『アッー!雨が降るのは俺のいる所だったww」
しばし笑いあう僕達。

だけど、
「マスター・・・」
『ん?どした?』
「僕達・・天気予報も違う位・・・離れているんだね・・」
『!!』


電話じゃ、こんなに近くにいられるのに。


「マスターもお仕事あるんでしょ・・?僕なんかと話しても何もおもしろくないし・・」
『ちょ、蒼?!』
「じゃあ切るよ?お仕事がんばってね、マスター」
ガチャン。
電話が切れるとマスターとの繋がりも切れた気になる。
「・・・・・もう寝よう」
寂しい、なんて思う暇はいらない。


         △▼


ツー、ツー、と受話器からは会話が切れた音が続く。
「蒼・・・」
俺が天気予報の話を持ち出したのは失敗だったようだ。
また掛けなおそうとしても、それ以上俺に時間に余裕はなかった。


         ▼△


ふと、目が覚めてしまった。
鞄を開けて時計を見ると、いつもより二十分遅れて起きたことに気づいた。
「!!いけない!」
少し寝乱れている服を直して、マスターの部屋へ走る。
「マスター起きて!遅刻しちゃ・・!」
目に飛び込んできたのは、空のベッド。
「・・う、よ・・?」
そっか。
「マスター、明日までいないんだった・・」
部屋の中はマスターがいた時のままで散らかっていた。
「今日は・・ここ掃除しなきゃ・・」
部屋に入って、空いたベッドに倒れこむ僕。
マスターの匂いが僕を包んだ。
「ますたぁ・・」
枕に顔を埋める。
「僕の時間なんて・・・もうどうでもいいのに」
外から小学生達が騒ぎながら登校している声が聞こえてくる。
しばらくの間、僕はベッドの掛け布団に包まったままでいた。


その日の昼過ぎからは、何もすることがなかった。
マスターの部屋を綺麗にした後、家のお掃除も、お洗濯も、簡単に済んでしまった。
「どうしても・・マスターがいない分やる事は少ないなぁ・・」
ぼんやりと居間の窓から雲を見上げる。
昨日あんなに早く過ぎた時間。
気づかない振りをしても、マスターの為に働ける時間が僕の時間だ、という事実が僕の頭を支配する。
ゴロン、と畳の上に横になる僕。
ただ、太陽と雲の動く様を見るだけ。
「何だか可笑しいな・・」
お父様に作られてどれほどの年月が経っただろう?
「こんなに、ほんの数日が長く感じるなんて」
いつから、僕はこんなになってしまったんだろう?
僕はゆっくりと瞼を下ろす。


眠れたらいいのに。
マスターがいない間はずっと眠っていられて、
マスターがいる時だけ、僕の目は開いて、マスターだけを見られたらいいのに。


思いが一気に心から噴出する。
「マスター・・寂しいよぅ・・・」
僕は目を開けることができなかった。
開いてしまえば、


         △▼


「ただいまー!」
勢い良くドアを開ける俺。
バッグを放り出して、蒼星石の姿を探す。
「お、ここにいたか」
蒼星石は居間で眠っているようだった。
その可愛らしい姿につい顔が綻んでしm―
あれ?
「蒼星石・・」
そのオッドアイにはまだ乾ききっていない涙が溜まっていた。
無言のまま手で軽く涙を拭うと、俺は蒼星石をソファーの上に寝かした。
「・・・」
その横に座り込む。
部屋の中は綺麗に片付けられ、塵一つ落ちていない。
本当に何もすることがなかったのだろう。
生活感が薄まったように、整然となっている部屋。
「この家に一人きり、は寂しかっただろうな」

「まったく、世話のかかる子だ」
フッ、と笑みがこぼれた。

         ▼△


体を起こすと、いつの間にかソファーで寝ていた。
外はもう暗くなっている。
仰向けになってしばし天井を見上げる。
「そうだ・・マスターが帰ってきた時のためにごちそう作らないと」
ソファーから降りる僕。
少しでも、マスターの為に何かがしたかった。
そうでもしないと、おかしくなりそうだったから。


         △▼


「あ、起きたのか、蒼」
台所でカレーを作っていると、蒼星石が起き出して来た。
「え・・?どうしてマスター・・家にいるの?」
どうにも状況が飲み込めていないようだ。
「いやなに、蒼を見ないと俺が変になりそうだから、無理言って帰してもらったのさ」
カレーはそろそろ出来そうな頃合だな。
蒼星石は俯いたまま俺に近づいてきた。
「ああ、夕飯はまだだろ?もう少し待ってくれ。あとちょっとで―」
ぎゅっ。
俺の腰に抱きついてくる蒼星石。
「・・お帰りなさい、マスター」
小さい声で呟いてくる。
左手でカレーをかき混ぜながら、右手で頭をくしゃくしゃと撫でる俺。
「早く帰ってきてさ、もしかしたら蒼の時間を潰すことになったかもしれないな。悪かった?」
蒼星石はふるふると頭を横に振る。
「嬉しいよ・・こんなに早く帰ってきてくれて・・」
まだ蒼星石は抱きついたままだ。
「ハハハ、甘えん坊さんだな、蒼は」
何回も何回も、頭を撫でる俺。


さあ、ご飯にしようか。



END