梅雨入りの入り口の6月上旬。このころはまだ梅雨のじめじめさを感じさせない天気が続いている。
このまま天気が維持されたら、と俺は窓の外の遥か遠くにある空を眺めながら空想、もとい妄想を張り巡らす。
隣の席では蒼星石がいつもどおり生真面目に先生の話を聞き、それをノートにまとめている。ベクトルがなんだって
言うんだ。そして逆に考えるんだ。数学の代わりに得意科目を勉強すればそれでいい。
 俺には時空跳躍能力でもあるのか、妄想している間にチャイムが授業の終了を告げた。休憩時間に入ったクラスは
静寂を打ち破り一気に騒がしくなった。同性同士で会話に華を咲かせたり、宿題忘れた奴が必死でペンを走らせたりしている。
ふいに後ろでガタンッ、と音がする。ああ、なんだっけ。自己紹介で電波を飛ばしまくってた奴だな。そいつは男子生徒の
首根っこを掴んでどこかへ強引へ拉致っていった。なんなんだ。
 さて、本当に時が経つのは早いものである。そして今は授業の中で最強の要塞"気温が25度以上で6時間目の体育"の
真っ最中である。6月だと誰もジャージを着る者は居ない。蒼星石を除いて。不思議がる先生に俺は持病で皮膚が弱い、とだけ
説明しておいた。さて、その体育の授業内容とはこの季節にありがちな団体行動だ。従属意識を植え付けるためだとか言ってる
らしいけど俺には関係ない。だらけるとすぐに連帯責任どうのこうので全員が走らされる羽目になる。連帯責任なんてただの
見せしめにしか感じないがな。
「なあなあ、なんで蒼ちゃんジャージなんて着てるのさ?暑そうだよなあ」
と隣で走っている重松が話し掛ける。ちなみに"蒼ちゃん"とはクラスメイトが蒼星石を呼ぶときに使う愛称だ。その名を呼んでい
いのは俺だけだ。
「知らね」
「嘘だー。お前らが一緒に帰ってるのを俺は見たんだぜ。」
おかしいな。俺と蒼星石が合流して家へ帰るのは人気がまったくないところなのだが。それにしても暑い。6月でこんなに暑い
なら8月はどれくらい暑いんだろうな。グラウンドを3周走ったところでアップ終了、準備体操へ移行。さっきまで走っていた
のにいきなり静止したため汗が皮膚から吹き出てくる。今日は最高気温27度。今がちょうどそれくらいだと思われる。
蒼星石はというとジャージを羽織ってるくせに汗一つ垂らしていない。人形には汗腺がないのかもしれないな。涙腺は
あるだろうけど。その後も団体行動、もとい従属心を植え付ける作業を40分程度続ける。終わった頃にはみんな脱水症状
にかかりかけていた。そして着替えるために男子は教室へ、女子は更衣室へそれぞれ向かった。

「う~トイレトイレ」
今トイレを求めて全力疾走とは言えない足取りで走る俺はついさきほど着替えを終えて体に残るわずかな水分さえも尿意の
ために吐き出そうとしていた。トイレの前について一息つく。もうおそらく体には尿しか水分はないのだろう。汗さえも
でない。そこへ重松がトイレから出てきた。うほっ・・・じゃない。股間からこみ上げる尿意を必死に理性で押さえ込む。
それに追い討ちをかけるように重松が話し掛けてくる。俺に会話を持ち込んでくるな。俺はなんとか会話を受け流すように
組み立てる。視線を宙に流すと蒼星石がトイレの壁から頭を突き出してこちらを伺っている。その目は重松がどっかに行って欲しい
という願いが込められてる気がした。単なる思い込みかもしれないが会話を終了の方向へ持っていこうとする。
「あー・・うん。じゃあな」
重松が足早に去っていく。それを期に蒼星石が壁から出てくる。多分、球体関節を見られたくないのでトイレで着替えていたんだろう。
俺は尿意など忘れて蒼星石との会話に花を咲かせる。クラスでもこれぐらいデレデレしてほしいものだ。でもそうしたら俺の
周りの男子が敵に回りそうな気がする。ああ、蒼星石かわいいよ蒼星石。
 しかし俺の日常はしだいに傾き、崩れていく。


 翌日。朝のホームルームにて担任が、
「谷倉は父親の急な転勤で転校することになった。外国に行くそうだ。」
谷倉とは俺の後ろの席に居た奴で、俺とは位置関係が前後だったというつながりしかなかった。
「そして今日は新しい転校生を紹介すr」
担任が全てを言い終える前に扉がガララッ、と勢い良く開く。俺は驚愕した。
「ちょっ、まだ先生言い終えt」
先生が抵抗するがまたも遮られる。
「今日からお前たちと一緒に勉強してやることになった翠星石ですぅ。
 よろしくお願いします馬鹿野郎ですぅ」
一気に教室の空気が冷えて固まっていく。無理もない。こんな自己紹介するやつなど翠星石以外に1人ぐらいしかいないだろう。

 ちょうどこのころだろう。俺の日常がいきなり傾き始めたのは。