琥珀情話~another17~ Midsummer twilight

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Midsummer twilight①

オーバチュア 

1977年─
 日曜日の午前五時。桜島の山際がかすかに白い。その白が東側の窓に映える鹿児島市・荒田の『桜   荘』─二階に住む相生水脈子の部屋の呼び鈴が鳴った。
 立春は過ぎたとはいえ、まだ薄暗いこんな時間に水脈子の部屋を訪れるのは一人しかいない。
 水脈子は、チェーンをかけたままドアを開き、様子を伺った。その隙間から、鋭く光るナイフが音を立てて飛んで来た。ナイフは部屋に飾ってあるダートの的の真ん中に深々と突き刺さった。
 水脈子は何も言わず、チェーンを外した。
 ドアの向こうには、黒いコートに身を包みグレーのソフト帽を目深に被った男が立っていた。
「キッド&&」
「久し振りだな、水脈子」
 冷血漢で通っているこの男が笑顔を見せると、初めて水脈子も満面に笑みを浮かべて子供のように男の胸に飛び込んだ。
「いつ、日本に?」
「三日前だ」
 部屋に通された男は、身支度の整っていた水脈子を見て、言った。
「いつも、何時に起きてるんだ?」
「三時よ。だって&&」
 そのあとを言いよどんだが、聞かなくてもわかる。水脈子はいつ来るか分からない男のために毎朝の時刻を決めているのだ。男には、水脈子が言葉を濁した後の恥じらいの表情が初々しく見える。
 淹れたてのコーヒーの香りが、男の冷えた体を暖めてくれるようだ。台所のテーブルの上に、出来たばかりのコーヒーが湯気を立てている。だが、いつもそうするように、それに気付かぬふりをして、男は言った。
「コーヒー、あるか?」
「ええ、ちょっと待って&&」
 水脈子は、こういう時に『そこにあるでしょ』などとは言わない。男は、帽子とコートをとり、奥に続く六畳間に入った。小さめの炬燵が真ん中に置いてある。その炬燵のそばに座って、男は動き回る水脈子を目で追っていた。
 コーヒーを差し出し、今度は水脈子が男の左側の卓の辺に座って、尋ねた。
「仕事なの?」
「当分、日本にいることになった」
「え?」
 水脈子は驚いた。この男は世界中の暴動・テロ・要人暗殺を裏で動かしていた人間ではないか。こんな狭い国に落ち着くとは思えない。
「ブレインに雇われた。勿論、キャプテン・ゴメスのお伴だが&&」
「ブレイン&&」
 ブレインとは、巨大な、しかも超高性能を誇るコンピュータである。国際平和部隊・レッドマフラーの情報処理の中枢であったが、あまりに精巧だったため、一年半前、プログラミング中に自ら地球環境保全のための解答を導いてしまった。
─天変地異・異常気象は、天災ではない。すべて人災である。それは人類による環境汚染に起因する。従って、地球を保護するためには人類を滅亡させることが最も理想的な方法である。
 その解答に則り、当時のレッドマフラーの頭脳のひとりであったハスラー教授の手によって、ブレインはレッドマフラー本部を脱出した。そして、それを達成するために『ブレイン党』を組織した。「キャプテンと俺は、そこに破壊工作部隊の幹部として招かれた、というわけだ」
「&&知らなかったわ。そんな組織があったなんて&&」
「だが、ちょっとした誤算があって&&」
 男はコーヒーカップを炬燵のテーブルにいったん戻して、水脈子に言った。
「誤算って&&?」
「そのスーパーコンピュータは破壊活動用にあらゆる巨大ロボットも作れるんだが、その中の一体が反旗を翻したんだ」
「ロボットが、反乱?」
 ブレインが誇るスーパーロボット─ワンセブン─は、あまりに高性能に作られたためにブレイン同様自ら思考する。だが、ワンセブンは、人類を保護する立場をとった。ブレインはワンセブンが優秀であるがために放ってはおけないと判断し、とある洞窟に幽閉していたのだが、たまたま一人の少年・南三郎に発見された。以来、自由を得たワンセブンはブレインと敵対していく。
「&&やっかいなことになりそうなのね&&」
「それがなければ、キャプテンを招くこともなかっただろうが&&。まあ、俺としてはそういう組織に選ばれたのはまんざら悪い気はしていない。ところで&&」
 カップもスプーンも温めてあったのだろう。水脈子の淹れたコーヒーはさほど冷めてはいない。キッドは、あらためてコーヒーを含み、そして水脈子に尋ねる。
「卒業式は、いつだ?」
「&&三月一日よ」
 水脈子は、鹿児島市街地にある『紫苑女子短期大学』で養護教諭の資格を取る勉強をしているのだ。
「年が明けてからも、就職活動していないことで、かなりつらかっただろう」
「仕方ないわ。こんな田舎の私立の短大なんて、就職率の良さで学生を集めてるようなものだもの。同級生も言ってるわ、『この短大は就職がいいから入った』って&&」
「書類なんかはいくらでも作れるが、実技はどうしても勉強してほしかった&&。悪かったな」
「いいえ、そんなこと&&。でも、就職のこと催促するみたいに指導する短大って何なんだろうと思うわ。仮にも大学だわ&&。就職予備校じゃないんだもの。卒業だけのために聞きたくもない講義に出ている人達より、わたしは、あなたのいうとおり勉強だけすればよかったんだから、本当に充実していたのよ」
「こんな田舎で就職先が決まらないのは気まずかっただろう。安心しろ、就職先は決まったぞ。お前にもそのブレインで働いてもらう」
「わたしにも&&ブレインで&&?」
「一応、表向きにカモフラージュ用の企業がある。これだ」
 キッドは、水脈子に一枚の名刺を渡した。
 名刺には
『エコロジー・ラボラトリー 医務室 相生水脈子』と印刷されている。
「『ラボラトリー』って『研究所』っていう意味でしょう。『エコロジー』って&&?」
「まだ日本語にはなじんでいない言葉だからな(昭和52年現在)&&。『生態学』とか『環境学』とかいう意味だ。ブレインのダミー会社として適切な名前だと、キャプテンも感心している&&」
「それで&&『医務室』って&&?やっぱり『保健室の先生』みたいな仕事なの&&?」
「短大には就職内定報告書みたいなものを提出するんだろう、それ用の肩書だ。確かにケガの手当くらいはやってもらいたいが」
「ケガ&&?」
「ブレインには、命知らずばかり集まってるぞ。ドクターも本部基地にはいるらしいが&&お前のような優秀な女も必要だからな」
 この男の、さりげない褒め言葉が、水脈子には何よりも嬉しい。少し、頬が赤らんだ。
 男は続ける。
「本部での医務室の補助はもちろんだが、その他にも俺たちの仕事の手伝いもやってもらいたいんだ」
「仕事って&&」
 この男たちの『本職』はテロリストだ。水脈子は、この男たちにそういった基礎知識などを教えられてきた。いよいよその仕事を手伝うのかと思うと一瞬身がすくんだが、キッドの言う意図は違うらしい。
「ブレインはスーパーコンピュータだ。超生産能力はスプーン1本から作れるんだが、戦略用ロボット製造が主流で、銃弾などの消耗品は武器商人から買いたたくことになっている。本部には一応商談室があるから、俺たちが商談するときはその記録、それと本部ではオフィスの仕事ができるようにはなっていないから都内にこの事務所を作ったんだが&&」
 といって、キッドはもう一度名刺の『エコロジー・ラボラトリー』という活字を指さした。水脈子の視線も再びそこに落ちる。
「この事務所でその処理をする。その仕事をお前にしてもらいたいんだが」
 テロリストの仕事ではなくても、水脈子の今までしてきた仕事というのは喫茶店くらいしかない。『オフィスの仕事』は、短大の同級生たちが一番やりたがる職業なのだが──
「できるかしら、わたしに&&」
「できるよ。おまえなら。そのために今まで訓練したり、勉強させたりして来た。第一、せっかく日本に来たっていうのにおまえを置いて行けるか」
「わたしだって&&あなたと一緒にいられるなら&&」
 それは水脈子の本心だった。
「決まりだな。じゃあ、卒業式が済んだら、迎えに来る」
「待って。卒業なんかしなくてもいいわ。わたしの戸籍を消して、今すぐでもあなたと一緒に行きたい」
「水脈子&&」
「交通事故でもなんでもいいわ。お願い&&。そこで&&、ブレインで働くなら&&もう、表の世界に未練はないの」
 水脈子は中学校もまともに卒業していない。だが、学校で習ったことなど、街では何の役にも立たなかった。生きて行くのに必要な術は全部街で覚えた。人々はその水脈子に非行少女というレッテルを情け容赦なくつけたが、それでも構わなかった。自分だけを信じて生きていた。そんなときに、この男─チーフ・キッドと出会った。街の中で、他人の中で生きて、全身にまるで見えない鎧をまとっているかのように見えていたような彼女を─素質もあったのだが─申し分のない女性として磨きあげたのはキッドだった。水脈子に必要なのは学歴だけだったが、この男にかかればニセの成績証明書など、どこの学校のものでも手に入る。鹿児島で私立の短大を受験させるために、東京の私立高校の書類をそろえ、県内の通信制の高校に編入させた。そういった書類等──死亡診断書さえもを偽造できるルートを、この男はいくつも持っている。
 だが、男は、厳しく言った。
「それは出来ない」
その口調に気圧されて、水脈子は一瞬たじろいだ。
「&&ごめんなさい&&」
「わかればいい」
 そこまでして、この男が水脈子を短大に入れて実技を一通り勉強させたのを無に帰してしまうのだ、ということに気が付いた。
「戸籍を消すのは、いつでも出来る。今は、きちんと卒業することがお前のやるべきことだ」
「ええ&&、わかったわ」
 水脈子の返事を聞いて、男は再び笑顔を見せた。
「俺は今日9時にキャプテンとサンロイヤルで合流することになっているが&&」
「キャプテンも鹿児島に?」
 この男とその上司、キャプテン・ゴメスは、日本に入るときは、お互いのコースは変えている。万が一の事故・事件を避けるためだ。キッドは成田から車で鹿児島までやってきたが&&
「キャプテンは、大阪から神戸に回り、『さんふらわあ』で志布志に降りて、そのあとは陸路か、それとも山川までフエリーか&&それは俺にもわからない。とにかく、交通機関を乗り継いで、市内に入られることになっている」
「じゃあ、キャプテンもじきね。わたしは、キャプテンにご挨拶しておかなくていいのかしら&&」
「ああ、そうしてもらったら助かるな」
 窓の外が白み始めた。明るくなりかけている窓を見遣って、キッドは呟いた。
「夜明けだな&&」
 日曜日の街は、まだ眠っている。
 
 サンロイヤルホテルが建っているあたりは、まだ鹿児島でも開発途中の埋め立て地であった。ホテルの目の前には、できたばかりの遊園地─。平日の遊園地の真新しい遊具はどことなく冷めざめとしている。だが、それはペンキの色もやたらに光る遊具のせいではなく、そこ以外はほとんどまだ空き地ばかりで、ここ─『与次郎ヶ浜』の雰囲気自体も物寂しいものがあったからかもしれない。
 水脈子は鹿児島の出身ではなかった。十五歳の時に横浜から流れてきた。その頃はすでにここ『与次郎ヶ浜』は埋め立て工事の最中だったが、同じ短大の同級生に聞いた話では、このあたりは松林の緑輝く美しい海岸だったという。その緑と錦江湾の青、そしてその錦江湾に浮かぶ桜島の淡い紫がたとえようもなくすばらしい風景で、夏になれば、その海岸で精霊流しや花火大会をしていたことなどを懐かしげに話したことも覚えている。(後で判った話であるが、唱歌『われは海の子』の作詞者は鹿児島出身でこの海岸をイメージして作った歌詞がコンクールに入賞したということだ)その美しい松林を切り倒し、海岸線を埋め立て、来たる国体(昭和47年)のために競泳用プールを作り、陸上競技場を建て、魚を囲い込み、わざわざ巨大な水槽を造って海中水族館を開いたのだ。
 水脈子は、この無機質の建物よりも、その時のここの風景を見たい、と思った。横浜で育った彼女は、直線で囲まれた海を『海』だと思って育ってきた。茅ヶ崎や湘南もレジャーの場所だというイメージが強かった。それを、故郷の海として愛していることは確かであるけれど、自然が作り出す曲線に包まれた海を見たいという思いも強い。だが、今までにそんなに見たことがなかった。
─キッドの言っていた、『ブレイン』の思想は正しいのかもしれない&&。
 薄紫にかすむ桜島を、白いコンクリートの堤防ごしに見ながら、水脈子はそう思った。
 
 日曜日で、結婚披露宴が行われているのか、ホテルのラウンジは混雑していた。せわしなく行き交う人々の中で一人、ゆったりと座り、地元の新聞を広げている男がいた。その男─キャプテン・ゴメスに向かって、キッドと水脈子は歩いていく。
「キャプテン、お久し振りです」
 水脈子が声をかけると、男は顔を上げた。水脈子は、キッドが選んだ薄い空色のスーツとアイボリーのローヒールのパンプスを身につけていた。綺麗に巻かれている長い髪を白いリボンで一つにまとめて、キッドに寄り添っている。その姿を見て、ゴメスは、ほう、という表情を見せた。
「水脈子か&&。元気そうで何よりだ。詳しいことはキッドから聞いていると思うが、わたし達の仕事を手伝ってくれるそうだな。助かるよ」
「いえ、キャプテンにそんなこと言っていただくなんて、とんでもない事です。今まで、キャプテンとチーフに育てて頂いたご恩返しがやっと少しでもできると思っているのですから&&」
「わたしたちは今からレッドマフラーの下見だ。それと、南三郎の様子も探りに行く。キッドをあさってまでには戻すから、君はこの書類に目を通しておいてくれ。ブレインに関する資料だ」
 そう言うと、キャプテン・ゴメスは3センチ位の厚さの書類と、ルームキーを水脈子に渡した。