819 楽園 [sage] 2009/09/07(月) 16:22:54 ID:GS/g/mEl Be:

「蒲原先輩、私に気付いてなかったっすね…」

台風のように部室にやってきた蒲原は用件が済むと
やはり台風のように去っていった。
終始モモには気付かないままだった。
夕日が差す部室には今は二人だけだ。

「私にはちゃんと見えてるぞ?」

いつからか私は意識しなくてもモモを感じられるようになっていた。

「それは嬉しいっす。けど…」

モモの寂しげな顔を見つめながら胸に痛みを感じていた。

「やっぱ寂しいものっすね」

私以外の人間にも見て欲しいというモモのささやか過ぎる願い。

「モモ…」

そんなものにまで独占欲を感じる自分に溜息をついた。


無我夢中で君が欲しいと叫んだ。
あの日の言葉はその意味を変え
まだ胸の中で木霊している。


「もしおまえを見られるのが私だけだったなら…私は…」

「先輩…?」

「モモ、私はおまえだけを見てる…だから、だから
おまえも私だけを見ていて欲しいっ!」

ああ、あの日と同じだ。私は衝動を抑える事が出来ないらしい。
モモは一瞬驚いたあと涙を浮かべながら微笑んだ。
天使というものが本当にいたとしたなら、きっとこんな風に笑うのだろう。
自分でも馬鹿らしいとは思うが心からそう思えた。

「私も先輩だけでいいっす…先輩が私を見ていてくれるなら…
それだけで…誰もいらないっすっ!」

胸に飛び込んできたモモを壊れてしまうほど強く抱きしめた。




いまにして思えば
この日が終わりの始まりだったのだろう




「ダメっ、ここではやめろぉ~!」

放課後の屋上。先輩のお気に入りの場所。塔屋の上で横になる先輩に膝枕をしてあげた。
顔を真っ赤にして抵抗する先輩。そんな顔をされると少しだけ意地悪をしたくなる。

「えへへへっ。先輩大好きっす」

そう言って髪を撫でると観念したのか急におとなしくなった。

「少しだけだからな」

恥ずかしそうに横を向く先輩。こんな顔を知っているのは私だけだろうか?
そう思うと込み上げてくる笑みを抑える事が出来なかった。

「先輩。私もここが好きっす」

だってここなら先輩と二人だけだから。邪魔な人達は誰もいないから…


部室はあまり好きじゃない。

「ゆみちん、団体戦なんだけど…」
「加治木先輩、この龍門淵の牌譜なんだが…」
「加治木先輩、十三不塔って何ですか?」

先輩だけでいい、そう思えるようになってから他の人はほとんど私に気付かなくなった。
でも先輩は違う。先輩の周りにはいつも人がいて私ではない人達とも楽しそうにしてる。
それは仕方の無い事。それに先輩は私だけ見てると言ってくれた。それだけで十分っす…

…嘘だ。先輩が他の人を見てるだけで胸が張り裂けそうだ。先輩、もっとこっちを見て…


「ゆみちん…」「加治木先輩…」「加治木先輩…」
五月蝿いな。先輩に話しかけないで。先輩が私を見てくれなくなる。


「ユミチン」「カジキセンパイ」「カジキセンパイ」
ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウル…ワタシトセンパイノジャマヲスルナ…


ある日の帰り道、不意に先輩が足を止めて振り向いた。先輩はまるで迷子になった幼子のような…
いや我が子を探す母親のような顔をしていた。見た事も無い先輩の顔に胸が苦しくなった。

「モモ…」

先輩のそんな顔が見ていられなくて少しでも癒してあげたくて先輩の体を力いっぱい抱きしめた。

「先輩、愛してるっす。何があっても私は先輩を愛してますから。」

先輩は何も言わず少しだけ微笑んだ。
先輩。先輩は私が守ります。だからそんな顔をしないで…


「おお、これが清澄の牌譜か。よく見つけてきたな、ゆみちんっ!」
いつものように邪魔者が先輩に話しかけてる。だけど今日はその光景を見て目の前が真っ赤になった。

センパイニフレルナ…




モモは明らかに他人との係わりを避けていた。
まるで私以外は誰もいらないとでも言うように。
もともと希薄だった存在感はさらに薄くなった。

孤独を深めていく様にどうしようもない不安を感じたが
『何があっても私は先輩を愛してますから』
そんなモモがどうしようもなく愛しくて結局何も言えなかった。
このままでいて欲しいと思ってしまった。

私は卑怯だ…


「おお、これが清澄の牌譜か。よく見つけてきたな、ゆみちんっ!」

「ああ。清澄はここ数年、公式大会に出てないからな。これは中学の時の…」

蒲原が私の肩に顎を乗せ、ディスプレイを覗き込んだ時だった。
突然パンッという大きな音がした。蒲原は何が起こったか理解出来ずにただ呆然としていた。
私は蒲原の赤くなった頬とモモを見て辛うじて何が起こったか理解した。

「触るな…」

「モ…モ…?」

「私の先輩に触るなっ!!」

それだけ叫ぶとモモは教室を飛び出した。

「モモっ!」

モモの後を追った。必死だった。

「待ってくれ、モモっ!」

校門の手前でやっと追いついた。肩を掴むとモモは静かに振り向いた。
下校時間はとっくに過ぎ周りには誰もいない。

「どうしてあんな事を…?」

「私は先輩、あなただけが見ていてくれればいいっす。
先輩も私だけ見てくれるって。あれは嘘っすか?」

「モモ…何を言って…」

私の頬に冷たい手が添えられた

「私はあなたが欲しい」

「モモっ、私はっ…!」

その先はモモの唇に塞がれた。モモの口付けは言わなければならなかった言葉も
首に回された腕を払う力も全てを奪い去り、
耳元で囁く蛇の誘惑に抗う術もなくモモを抱きしめるしかなかった。

「…私も…おまえだけでいい…」

アダムが口にした果実はこんな味がしたのだろうか?




「プロ雀士?」

「そうっす!私には他に取り柄がないっすからね。
私はプロ雀士になって先輩を養ってあげるっす!手始めに今度の個人戦っすね!」

まるで子供の夢物語。目を輝かせて話すモモの目に映っていたのは現実なのか幻なのか。

「先輩は働かなくてもいいっす。ただ…私が打つ時は必ず見に来て下さい。
そうすればずっと一緒にいられるから」

個人戦、モモは全国を制した。
実力からすれば有り得ない事だったが、それを為したのは狂気の業なのか?
全国の強豪達は誰もモモを見つける事が出来なかった。


-高校を卒業して数年が過ぎた。

私が卒業するのと同時にモモも高校を辞め、やがて雀士となった。
モモが望んだ未来が現実になっていた。

目の前には対局に臨むモモの姿が映っている。
モモはカメラ越しとはいえ多くの人に見られるようになった。
引き換えに私に気付く者はいない。蒲原も妹尾も津山ももういない。
歌ったり踊ったりしなければ誰も気にも留めないだろう。
『私は先輩、あなただけが見ていてくれればいいっす。』
いまならあの時のモモの気持ちが良くわかる。


「かじゅっ!勝ったよっ!」

対局を終えたモモがいつものように抱きついてきた。
呼び方も話し方も変わったが甘えたがりなところは相変わらずだ。

「ああ、よくがんばったな」

「かじゅ、ご褒美のチュー」

「こ、ここじゃダメだっ!」

モモが場所を選ばないのもやはり苦手だ。

「じゃあ帰ったらたくさん褒めてねっ!」

顔が熱くなるのを感じた。この小悪魔は私の心を掴んだまま離そうとしない。

あの日、口にした果実は私から何もかもを奪い去り
代わりにいま腕の中にある温もりだけを残していった。

「私頑張るからね。たくさん優勝してお金貯めて。
そしたらどこか遠いとこで二人だけで…」

あの頃、夢を語っていた時と同じ目だ。
誰にも邪魔をされない二人だけの楽園。そこならモモは誰を見る事もない。

「私はモモ、おまえだけが見ていてくれればいい。」

腕の中で微笑むモモを壊さないように優しく抱きしめた。

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最終更新:2009年09月15日 15:47