815 :いつまでも君と:2009/08/07(金) 18:04:26 ID:uhXjfPDu

ミンミンミンミン。
ジージージージー。

 何種類もの蝉がせめぎあうように、かつそれぞれの個性を披露するかのように、
一生懸命に命を燃やしながら鳴いている。
 本格的な暑さを帯びてきた日差しを浴びながら目を細めて空を仰ぐ少女がいた。
 前髪が左右に跳ねている様が特徴的な彼女は鶴賀学園の三年生である加治木ゆみだ。
 彼女はこの暑さに心底うんざりとしている様子だった。
 夏は決して嫌いではないが、この湿度の高いじめじめとした気候が彼女の気分を下げていたのだ。
 (どうせならカラッと晴れてくれ…。)と彼女にしては珍しく心の中で届くはずもない相手に悪態をついていた。
 悪態と言っては少し大袈裟かもしれないが。

 その時だった。
 ゆみは誰かが自分を呼んでいるような気がして振り向いた。
 でもそこにはもと来た道があるばかりで。
 心当たりはあったものの、あえて気づかぬふりを貫き、ゆみは再び歩き始めた。
 すると、また誰かが後ろから着いてくるような音がする。
 「…せ…ぱい。加治木先輩。」
 その今では聞きなれた、むしろゆみにとって心地よい声になってしまった声を聞いて、
やっぱり彼女だったか。と安堵してゆみは胸を撫で下ろす。
 「モモか。奇遇だな。」
 「そうっすね。」
 その言葉とほぼ同時にゆみの前に姿を表した少女―東横桃子は夏の暑さの為か、
それとも違う理由なのかは定かではない真っ赤に染まった頬のまま、ゆみを見て
顔を綻ばせた。
 
 実を言うと桃子はゆみのことが好きだった。
 最初は自分を見つけてくれた恩だけを感じていたはずだった。
 けれど、いつの間にかそれ以上の気持ちを先輩であるゆみに対して抱いてしまっていたのだ。
 そう、それは世間一般では異性に抱くはずの恋愛感情と呼ばれる類のものだった。
 それを初めて自覚した時、桃子は酷く狼狽した。
 なぜ、自分は恩人に対してそのような想いを抱いてしまったのだろうと。
 だから桃子はこの先輩と後輩という関係を守っていこうと決めた。
 自身の思いを押し殺しながら。
 それでも微かに彼女には伝わっているのかもしれない、と桃子は思う。
 だが蔑みの目線で見られたことは一度も無いからまだ大丈夫だろうと思っていた。
 ゆみと出会った時ほど桃子は自分が麻雀を嗜んでいて良かったと感じることは他にない。
 もし、自分がネットで麻雀部の面々と対話していなかったら。
 ゆみがあんなにも必死に自分を求めてくれなかったとしたら。
 教室でなりふり構わず自分のために声を張り上げてくれていなかったなら。
 今の自分はいないと言っても過言ではないと桃子は常々思っていた。
 今もまだコミュニケーションの楽しさを知らない影の薄いだけの少女だったことだろう。
 彼女に出会ったのは奇跡とでも言えるものだったのかもしれない。
 何か一つでも違っていたら永遠に交わることのないふたりだったのだろう。

 (私を見つけてくれて、見えないはずの私を求めてくれて本当にありがとうっす。
わたしは先輩のことが…!)
 「好き。」
 「え?」



 
 一瞬世界が止まったかと桃子は本気で思った。
 桃子はいつの間にか心で思っていたことを口にしてしまっていた自分に気がついて
慌てふためいてしまった。
 今なら引き返すこともできる。
 なかったことに…できる。
 この気持ちを、胸から溢れんばかりの気持ちをまた否定することによって。
 
 だが、桃子にはこれ以上自らの恋い焦がれる想いを隠し続けてゆみと接していくのは
無理だった。
 今だってゆみを、愛しい人を前にして胸の高鳴りを抑える術を知らないのだから。
 たとえ、またあの独りぼっちだった彩りのない世界に戻ったとしても、この想いを
ゆみに伝えないよりははるかにマシだと桃子はもう確信したのだ。
 
 「…好きっす。先輩のことが。」
 ゆみは桃子の言葉を聞くと、少し微笑んで言った。
 「私もモモが好きだよ。」
 「多分それ以上に、好きなんです…!」
 その言葉にゆみは少しばかり硬直した。
 信じられない、とばかりに目を見開いてジッと桃子を見つめている。
 「それって…どういう…」
 問い返したゆみの声が微かに揺れていることに桃子は気付いてしまった。
 どんな時も凛としている強さを持ったゆみの震えた不安げな声はあまり聞いたことがない。
 誰だって同性に告白されて戸惑うのは当然だ。
 ゆみが必死に動揺を見せるまいとして自分に接しているのが桃子には逆に辛かった。
 ゆみは絶対に自分を受け入れてくれるに違いない…とどこかで彼女に頼る甘い気持ちが
あったことを桃子は酷く後悔した。
 
 「ごめんなさいっす。でも、あの日から、多分先輩が私を見つけてくれた日から…
ずっと好きなんです!」
 言い終えた瞬間、桃子は目を瞑った。
 これ以上のゆみの視線に耐えられそうもない己の弱さゆえに。
 



 尚も蝉の鳴く声が響いている。
 それが逆にふたりの間に流れる沈黙を表しているようで桃子は辛かった。
 そんな嫌な時間ほど長く感じてしまうのだから人間は不思議なものだ…と桃子は
焦っている心の片隅で思った。
 (絶対…軽蔑された!)

 桃子の不安が静かに確信へと変わろうとした瞬間、何かが桃子の頬に触れた。
 桃子はかつて感じたことのないその感触に驚いて目を見開く。
 「先輩、いま…!」
 その時、桃子の目に映ったゆみの顔は微かに紅潮していて、慈愛に満ちた優しい
笑みを浮かべていた。
 「モモの好きはこういう好き、なのか?」
と、優しい声でゆみは桃子に問いかける。
 その言葉で桃子はようやく気付いた。
 さっき自分の頬に触れたのは愛しい人の唇だったのだと。
 そしてそれはもしかして自分を受け入れてくれた証―?

 桃子は俯いて、なおも高鳴る胸を自制できないまま、なんとか声を絞り出した。
 「軽蔑、しないんすか?」
 するとゆみはまた先程ののように目を見開いた。
 「なんで私がモモを軽蔑する必要がある。」
 「だって、気持ち悪いとか思わないんすか?女同士なのに。
それにさっきだって動揺してたじゃないっすか。」

 桃子は胸中で強く願った。
 お願い、これ以上優しくしないで。
 優しくされたら期待してしまう。
 そのあとに距離を置かれたら私はもう立ち直れない…。



 ゆみは軽く息を吐くと少し真剣な顔になり、桃子に尋ねた。
 それはかつて教室で桃子を求めたときの顔によく似ていた。
 「モモは私はもし女を好きだったら軽蔑するのか?」
 すると桃子は全身で否定を表現するようにぶんぶんと首を振った。
 「そんな訳ないっすよ!私が先輩を軽蔑するなんてありえないっす!」
 ゆみはそんな桃子を見つめ、安心したように軽く微笑んだ。
 「そういうことだよ、モモ。それと一緒で私がモモを軽蔑するなんてできるわけが
ないだろう。モモのことを大切に思っているし。
それに、こんな気持ちを抱くのも変だと思って黙っていたのだが…ただの後輩として
以上の気持ちで私はモモが好きなんだ。
動揺したのは、まさかモモも同じ思いだったとは知らなかったからだ。
後輩から気持ちを告げられるなんて情けないな。私から告げておけば良かった。」
 「それって…!」
 ゆみは長い恋慕の情を告げると桃子を自分のもとに引き寄せ、耳元で囁いた。

 「ごめんなモモ、愛してるよ。」
 そう告げられた瞬間、桃子の頬もゆみの頬も今までとは比べ物にならない程に真っ赤に
染まってしまった。
 これは確実に夏の暑さによるものではない。
 桃子の頬に一筋の綺麗な涙がつたう。
 それはあの日、ゆみが桃子を必要としてくれた時の涙と似ているけれど違うもの。
 「私も…大好きっす…先輩。ありがとうっす。」
 そしてこの清らかな涙は後悔でもなんでもない、好きな人に自分を受け入れてもらえた嬉し涙。
 世界で一番幸せな涙。
 ゆみは泣いてしまった桃子を抱きしめ、まるで幼い子供をあやすかのように軽く
頭を撫でていた。
 道行く人が奇異の目で彼女たちを見つめていたが、そんな視線は今のふたりには
全然関係のないことだった。
 ただ愛しい人に想いを伝えられ、それが受け入れられた瞬間から変わった世界
を嬉しく思うだけだった。




 その後、彼女たちは涼を求めて喫茶店へと入り、少しばかり談笑をした。
 喫茶店を出ると夕焼けの橙が優しげに彼女たちを包んだ。
 まるでふたりを祝福してくれているかのように。
 そして、これからのふたりを応援してくれているかのように。
 肩を並べて歩いていると、ふと桃子の手がゆみの手と触れ合った。
 すると、桃子はその触れた手を逃がさないように強く握った。
 ゆみは驚いた表情で、同時に照れも混じった声で「も、モモ!」と小さな声で
抗議するように言った。
 「いやっすか…?」
 桃子は申し訳なさそうな顔をしつつも手を離す様子はない。
 その上、少し赤く染まった顔でしかも上目遣いで見上げてくるものだから反則だ。
 断るなんて酷なことできるわけがない。
 いや、私も手は繋ぎたいのだからいいのだけれど…とゆみはそこまで思考を巡らせた後で、
桃子に握られているほうの手を少しだけ握り返した。
 「嫌ではない。むしろ嬉しい。」
 そのあとで少し本音を打ち明けてみたり。
 すると桃子は本当に嬉しそうな顔をして言った。
 「先輩、大好きっす!これからもずっと一緒にいてくれるっすか?」
 まるでプロポーズのような言葉に直球な桃子らしいな、とゆみは苦笑する。
 だが、嬉しいという気持ちのほうが勝っているのが事実で。
 その問いに対するゆみの答えはもう決まっていた。
 いや、問われる前からとっくに決まっている。
 
 「勿論だよ、モモ。ずっと一緒だ。」


 蝉が鳴いている。
 もう夕暮れ時だというのになおも激しく。
 だが、ふたりともその声に数時間前までのような鬱陶しさは感じない。
 それは心が穏やかになったからなのか、はたまた自分たちの世界に入っているだけなのか…。
 その事実を知っているのは幸せなふたりだけだ。


                       おしまい


以上です。
実は初ssでした。うむ、難しい。
よく考えたら咲世界では女同士ってそんなにタブーじゃないかもしれませんが
あえてスルーでお願いします。
読んでくれた人、ありがとう。
あと、読みにくくてごめんね。

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最終更新:2009年08月08日 14:49