- 『延喜式』「諸国運漕雑物巧賃(しょこくうんそうぞうもつこうちん)」に塩津の地名が見られる。
すなわち、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡の北陸六国の物資を敦賀で陸揚げし、
塩津港まで陸送する運搬料および、塩津から
大津までの船賃が定められている。
- 2015年、塩津港遺跡の十二世紀の地層から、船釘を用いたと見られる分厚い船の構造材が出土。
これが構造船(複数の板をつなぎあわせてつくった船)のものだとすれば、国内最古級の構造船を示す遺構だという。
板は長さ205cm、幅58cm、厚さ11cmで、樹の種類は分からないが針葉樹のものだとか。
(ただし、釘を打たれたと見られる穴の間隔が不ぞろいであり、強度を増すための処置としては
若干不自然であることから、この板を構造船の船材だと見ることには慎重な意見もある)
- 現在の琵琶湖北岸、大川(塩津大川)の河川改修にともない、河口の「大島」という地名の場所から
十一世紀後半から十二世紀の神社遺構が発見された。
遺構からは中心社殿と数棟の建物跡が見つかった。
また中心社殿から20メートル先の広場、そこから堀までの17メートルほどは
遺構の存在しない空閑地だが、そこから奉納されたと見られる馬の頭の骨が数点見つかっている。
(zsphereコメント:北陸の方は、動物供犠祭祀の痕跡がぽつぽつあったと記憶してるけど、
この辺も合わせて考えると面白そうな感じ。時期的にもう平安末期だしねぇ……)
- 同地遺構の堀からは、呪符かわらけや幣串などの祭祀用具が多数発掘されている。
(zsphereコメント:これ、引用元の書籍にはカラー写真が載ってるんだけど……
『今昔物語集』とかの
安倍晴明の説話にも出てきた「呪いのかわらけ」も
こんなだったのかな、と思うと胸が熱くなるな)
- 式内社、塩津神社の現在の社殿は、この遺構から西へ5~600メートルのところ。
- また同遺構の堀から、十二世紀の水運業者が書いた起請文を記した木簡が200点以上出土した。
請け負った荷をわずかでも失った場合には神罰を加えてくれて構わない旨の内容。
同神社が水運業者の契約書にあたる起請文により、その信頼を担保していた様子がうかがえる。
ちなみに同起請文に挙げられた神名は、八幡大菩薩、賀茂下上、十八大明神、山王七社(当国鎮守)、
五所大明神・稲懸祝山・津明神・若宮三所(当所鎮守)、など。
参考文献
『発掘された日本列島2008』
京都新聞 2015年12月10日記事
最終更新:2015年12月15日 20:47