D:日本ジェンダー史の試み

まあ、まずはジェンダー論の文法を身に着ける事から始めないといけないわけだけど。


  • 田中良之氏の調査と説によれば、少なくとも五世紀後半まで、
   古墳の主たる被葬者について男女の間に偏りがなく、
   男系社会ではなく双系制が認められるという
   (以上は出土人骨の形質学的分析にもとづいており、相応の妥当性を汲んでも良いものらしいとのこと)
   その後、清家章氏の検証調査により、男系社会への移行は
   北部九州や中国地方西部が最も早く、他地方では相応に遅れが見られる由。

(『古墳』土生田純之)


  • また、『日本書紀』景行天皇十二年九月条の神夏磯媛(かむなつそひめ)、神武天皇即位前紀の名草戸畔(なくさとべ)、
   『播磨国風土記』託賀郡麻里条の播磨刀売(はりまとめ)と丹波刀売(たにはとめ)、
   『豊後国風土記』速見郡条の速津媛(はやつひめ)など、大和王権の支配下に入る以前、
   地方に女性首長が存在したとする記述は多数見出される。

(『史料にみる日本女性のあゆみ』総合女性史研究会)



   テーマ:武装女性

  • 景行紀などに、地方の小国の長が女性であった事例がいくつか見られる。

  • 平安時代、捕縛された西国の海賊の名前の中に女性の名がある →女性の海賊がいた。



   テーマ:怪異記述の変遷からジェンダー史を探る

「人の姿として出現したときにおいては、室町時代以前には男の姿が多い。が、応仁の乱後からは女の姿が多くなって、男の姿の約二倍半に及んでいる」(江馬務『日本妖怪変化史』第七章)
   二倍半という数字がどういう基準なのか知らないけれど(笑)、そして実際にこの指摘の検証をする必要はあるだろうけれど、
   この指摘が妥当だとすれば、その原因は何か。
   どのような転換があって、こうした変化が生じたのか。
   そこを探っていけば、正攻法とは違った形で日本の「ジェンダー史」を描く事が可能なのではないか、と。
   堤邦彦氏の仕事などとも絡めて、少しずつ材料を集めていくこと。
最終更新:2012年07月14日 00:29