太田道灌の江戸城

  • 太田道灌が江戸城を築いたのは1457年(長禄元年)。

  • 築城当時、城の南側は日比谷の海に面していた。

  • 道灌の築城法、「連郭式縄張り」は「道灌がかり」とも呼ばれる。
 この当時の江戸城も、おそらくそうした形式であったと考えられる。
 すなわち「子城(ねじろ)、中城(なかじろ)、外城(とじろ)」という二の丸、本丸、三の丸という形。
 また『梅花無尽蔵』によれば、二十五の石門があり、それぞれに飛橋(おそらくは跳ね橋のこと)があったとの事。

  • 道灌は1485年に万里集九という僧を江戸城に呼び寄せ、城近く天神社そばに庵を用意した。
 集九はその庵を「梅花無尽蔵」と命名、現在の梅林坂の辺りにあたる。

(以上、尾崎孝『道灌紀行』)
最終更新:2010年02月16日 08:27