文章抜き書き



「この胡瓜はにがい。」
棄てるがいい。
「道に茨がある。」
避けるがいい。それで充分だ。
「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。そんなことをいったら君は自然を究めている人間に笑われるぞ。もし君が大工や靴屋に向かって、その仕事場に彼らのこしらえているものから出たかんな屑やけずり屑があるといって責めたら、その人たちに笑われることだろうが、それと同じわけだ。
                                マルクス・アウレリウス『自省録』



永く忘却されていたことほど新しいものはない
                                ドイツのことわざ



「私が哲学的体系からは全く遠ざかりつつ、しかも哲学者を大いに愛好し、彼らとの交際において無限の愉悦を味わっている理由はこれである。実際また科学的見地から見ても、哲学というものは未知の事象を認識しようとする人間理性の永遠の憧憬をあらわしている。それ故に哲学者はつねに異説紛々たる問題とか、科学の高尚な部分、上級の限界などとかに関係している。そしてそこから科学的思想に向って、これを活気づけ、高尚にするような運動を伝える。哲学者はまた、一般的の知的訓練によって精神を涵養しつつこれを強壮にし、それと同時に、到底説きつくすことのできないような大問題の解決に、精神を絶えず接触させているのである。このようにして哲学者は、未知に対する一種の飢渇、或いは研究の聖火――学者にあってはこれが決して消えてはならない――を維持している。
 実に熱烈な知識欲こそは、研究者をひきつけ、彼らをしてその努力を維持させている唯一無二の原動力である。真実につかんだと思っていてしかもつねに彼の前から逃げてゆく知識こそ、彼の唯一の苦悩なると同時に、また彼の唯一の幸福ともなる。未知に対する苦悩を知らない人は、人間の精神が感じ得るものの中で、たしかに最も活発なものの一つである発見の喜悦を味わうことを知らないものである」
(クロード・ベルナール『実験医学序説』第三編第四章)


「もしも構想が浮んだならば、単にこれが当時一般に信じられている学説の論理的結果と一致していないというだけの理由から、排斥することはできない。もしも我々のすべての構想が、立証的事実、或いは予期しない有望な事実を我々に供給するような新しい実験を工夫するものにすぎないならば、我々はどこまでも我々の感情、我々の構想にしたがい、我々の想像に自由の翼を与えて差支えないであろう。」
(クロード・ベルナール『実験医学序説』第一編第二章)




「それゆえ、詩作は、恵まれた天分か、それとも狂気分か、そのどちらかをもつ人がすることである。天分に恵まれた者は、さまざまな役割をこなすことができるし、狂気の者は自分を忘れることができるからである。」
(アリストテレス『詩学』第十七章)



「すべての人の魂は、なにか激しい快楽や苦痛を感ずると、それと同時に、もっともそういう感覚を与えるものこそもっとも明白でもっとも真実であるーー本当はそうではないのにーーと思い込まされる、ということだ」
(プラトン『パイドン』より、ソクラテス)



「わが国が西洋の近代文学や芸術を受け入れるに際し、例えば文学上の自然主義とか絵画上の印象主義とかが輸入されるに際し、そういう西洋の近代思潮は、ひどい歪曲を受けた、或は浅薄にしか理解されなかった、という様な反省が、今日の評家によってなされているが、この芸術家の根本の態度、文学者も画家も、各自の仕事の裡に、人生とは何かという問題を持ち込み、人間如何に生くべきかを、仕事によって明示しようという、芸術家の新しい自覚は、誤りなく受け納いれたのである。謝りなく受け納れて、めいめいがわが国の環境のうちで正直に生きようとしたからこそ、逆に、外来の主義主張を曲解せざるを得なかったとも言えるでしょう。生きた文化というものの難かしさです。」
                   (小林秀雄「政治と文学」 この人の話は時に厳しいが、時にこんなにも優しい。)



「例えば僕は君の作品についてどの様な美点を数え上げればよいか、進歩的な思想、良心的な企図、君の作品に限らず、批評家達は新文学を読んでそういうものを論ずるに事を欠かないのだ。では事を欠くものは何んだ。血腥さとか、脂っ濃さとか、色っぽさとか、生ま生ましさとか、其他あらゆる形容詞で、文学が始って以来、この文学という模造品のうちに、僕等が掴まえて来た原物の印象である。一と口に言うなら、高級な批評には堪えるが素朴な鑑賞には堪えられない、これが今日の新文学が担った逆説なのだ。
 この逆説を辿って行ってみ給え。単に古い表現に適さない程度に壊れたと高を括っていた君の私生活が、実は凡そ文学的表現に適さぬほど充分に壊れている事を納得するだろう。解釈さえ変えれば、技法さえ変えれば収拾出来る、清算出来ると考えていた君の実生活の混乱自体が、実は執拗に君に附き纏う亡霊だと合点するだろう。亡霊は君の文学的自惚れにはお構いなく、君の作品で復讐を遂げる。」
                  (小林秀雄「新人Xへ」  現代の若手作家も噛みしめざるを得ない警句。ぐうの音も出ないなぁw)



「ある普遍的な思想は一つの切り口しか持っていないように見える。だが、実際はこの思想を無数の色合いで受けとる無数の人間がいればこそ、思想は社会に棲息する事が出来るのである。」
「通俗小説家が多数の読者を狙って書くとは、読者が常日頃抱いている現実の小説的要約を狙うという事だ。だから成功した通俗小説に於いてはそこに描かれた偶然性とか感傷性とかいうものには、必ず読者の常識に対して無礼をはたらかない程度の手加減が加えられている。読者は自分に納得のいかない偶然や感傷に決して我慢してはいない。処が現実世界は誰にも納得のいかない偶然や感傷に充ち充ちている。そういう世界に眼を向けて通俗作家は為すところを知らない筈である。」
                  (小林秀雄『私小説論』)


「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。」
                  (小林秀雄『様々なる意匠』)


「かくばかり めでたく見ゆる世の中を 羨ましくや覗く月影」
                  (四方赤良(太田南畝)『めでた百首夷歌』冒頭。
                  『拾遺和歌集』所収藤原高光の「かくばかり経がたく見ゆる世の中に羨ましくも澄める月かな」のパロディ)


「しかし昔は化物までが至って律儀で、およそ定まった形式の中にその行動を自ら制限していたこともまた事実である。尤も相手を恐怖せしめるという単純な目的からいえば、この方が策の得たるものであった。無暗に新規な形に出て、空想力の乏しい村の人などに、お前さんは何ですかなどと問われて説明に困るよりは、そりゃこそ例のだといわせた方が確かに有効である。つまり妖怪には茶気は禁物で、手堅くしておらぬと田舎では、この道でもやはり成立ちにくかったのである」
                  (柳田國男「一目小僧」。この妖怪に対する親近感溢れる書きぶりといったらw)


「人工物は複雑になればなるほど壊れやすいが、生物は逆に複雑になればなるほど頑強と言われている。」
                  浅田稔『ロボットという思想』


「それに応えるように生徒が教師を慕うのは、教師にとってうれしいことです。けれども、生徒がいつまでも同じ教師を必要とするのは健全なことではありません。 」
                  結城浩


「人間は限界(Grenze)をもっているのではない。人間が限界そのものなのである。それゆえ、社会はこの限界を超えるために構築され、作用するように設(しつら)えられてきた。」
                  千夜千冊1369夜


「貨幣は人間と人間とのあいだの関係、相互依存関係の表現であり、その手段である。すなわち、ある人間の欲望の満足をつねに相互にほかの人間に依存させる相対性の表現であり、その手段なのである」
                  ジンメル『貨幣の哲学』 (千夜千冊より孫引き)

――ふしぎだ。あらゆる都市はこうして、聖なる印や呪言のことごとくを集めつくし、至福の土地を目指すのに……なぜいつも都市は呪われるのか?
                  荒俣宏『帝都物語』第六番 加藤保憲の述懐


祈るべき天と思えど天の病む
                  石牟礼道子

「好奇心というのは、教育すればするほど失われるものといえる。だから、もし好奇心を本気で育てたいなら、教育をやめるべきだ。教育という行為自体が「アンチ好奇心」的な操作なのである。」
                  森博嗣『創るセンス 工作の思考』(小飼弾ブログより孫引き)


「愛は育ちゆく朝の光、中天にとどまる真昼の光。正午を過ぎた一分から、愛は早くも夜の闇なのだ」
                 ジョン・ダン『影の講釈』(高山宏『アリス狩り』から孫引き)


「狂人の真似とて大路を走らば、すなはち狂人なり。
 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
 驥を学ぶは驥のたぐひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
 偽りても賢を学ばんを、賢というふべし。」
                ――『徒然草』第八十五段


「なぜなら、確率は「確実なこと」を決めるためのものというより、「不確かなこと」を確実だと見誤らないためのものであるからだ。」
                松岡正剛「千夜千冊」1340夜