明治政府の東京施策

  • 明治政府はドイツ人技術者のベックマン、エンデの二人に発注して
 東京の官庁街の大改造計画を立案させている。明治19年にベックマン案が提出されている。
 凱旋門を中心に放射状の道を作り、幾何学的な街を構想した大計画で、
 予算716万円、工期10年というものだった。しかしこの計画は拒否される。
 翌20年にエンデが規模を縮小した計画を提出、一応受理されている。

 明治政府は19年に工務省を廃して臨時建築局を設置、井上馨を総裁に任命。
 ベックマンはこれら工事を日本人の手でやらせようと、日本人をドイツに呼び寄せ
 技師を養成した。この時のメンバーに後の日本近代建築をリードする
 妻木頼黄(日本橋設計者)、渡辺譲(帝国ホテル設計者)、河合浩蔵(神戸地方裁判所設計者)などがいた。

 が、ベックマンから工事を引き継いだエンデが、ベックマンの調査した測量や調査によらず
 地盤の弱い場所に建物を建てようとしたりしたため、エンデはクビを切られたとか。
最終更新:2009年11月04日 03:49