ヌマ・ポンピリウス




  • プリニウス『博物誌』第十三巻に、プブリウス・コルネリウス・ケテグスとマルクス・バエビウス・タンピルスが執政官であった年(BC181年(W))に
   ヌマ王の遺体の入った箱が掘り出された、という記事が載っている。
   この箱の中には数冊の書物が朽ちずに残っていたという。
   テレンティウスという人物はこの本はピタゴラスの宗教教義であったと記しており、
   またヘミナという人物はこの本は哲学に関する文書であったとし、
   元監察官ピソという人物の『コンメンタリウス』という文献には、この本は司教法に関する本とピタゴラス哲学に関するものが
   同数入っていたとし、
   一方トゥディタヌスという人物は、この箱に入っていた本は『ヌマの法典』12冊であったとしているとか。
   マルクス・ウァロという人物は、この本を『古代人の遺跡』に関する7冊の本であったとしているとか。
   当のプリニウスはこれらを引きながら、しかしヌマ王の時代に紙の本が存在していたという事に疑問を呈している。



      参考文献
『プリニウスの博物誌 Ⅲ』



最終更新:2016年06月14日 04:28