江戸のランドスケープ

  • 江戸には、西洋の都市で中央に教会などのランドマークが存在しない代わりに、
 遠景の富士山を中心として設計されていたと考えられる。
 そのため、江戸時代の浮世絵や絵地図などでは実際よりも大きく富士山が配置されている。
 また日本橋、桜田門、回向院、駿河町などで富士山を望む事もでき、また浮世絵にも描かれている。



  • 江戸には掘割や運河が内陸部まで通っており、流通の大動脈となっていた。
 この河岸は延焼防止線としても重要であり、土蔵を建てる事が推奨されたと考えられる(特に明暦の大火後)。
 河岸地は幕府の管理する公用地であり、水路に面した地所の地主が地先を伸ばして使用する事が認められていた。
 そうした堀沿いの地所には一般より高率の税が課せられたため、自ずと流通問屋が集まり、蔵が建ち並ぶ事になった。
 このため江戸の川沿いには土蔵が延々と立ち並ぶ情景がよく見られた。
 ただし西欧の使節などには、この情景はあまり好感を持たれなかったらしい。


(『東京の空間人類学』)
最終更新:2009年11月04日 02:34