- いわゆる海岸党の名門アルクメオン家の出身で、アテネに数々の改革をもたらした。
その際、
クレイステネスのような僭主としてでなく、特別な大権をゆだねられているわけでもなく、
ただ民会に一市民として改革案を提出し、通過させることで改革を行ったという点で特筆される。
- クレイステネスの仕事として、それまでの血族による四部族制に代わり、居住地によって割り振られた
十の部族によって国政を担う役職を廻していく十部族制や、
五百人評議会の設置、さらに陶片追放制度の制定がある
(ただし、史料上で陶片追放が初めて適用された事が見えるのは
BC487年(W)であるとして、
この制度をクレイステネスが制定していないと主張する見解もある)。
- なお、プルタルコスの『英雄伝』には、ソロンの項目はあるのに
クレイステネスの項目が存在しない。
- ヘロドトス『歴史』巻五によれば、アテネのアルクメオン家の一統はデルポイ滞在中に巫女たちを買収し、
スパルタから神託を得に来た人に対してはとにかく「アテネを解放せよ」と述べさせたため、
ついにスパルタはアテネに出兵し、これが契機でアテネの独裁制が終了したとする。
そしてこのデルポイの巫女買収をしたのが、クレイステネスであったと噂されていたとか。
参考文献
『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫
『歴史(中)』ヘロドトス
最終更新:2015年10月08日 04:54