ペイシストラトス


   武力によってアテネの統治権を得る。

   金山で得た資金で勢力を蓄え、アテネの政敵を武力で破ってアテネの僭主としての地位を確立した。

  • それまで特異な地位として遇されていた農民に、それまで課されていなかった10%の税を課すなど
   アテネの伝統を覆す政治を多く行った事で知られる。

   大ディオニュシア祭を創始するなどアテネの文化へも多大な影響を残した。


  • ヘロドトス『歴史』巻一によれば、ペイシストラトス誕生に先立って、その父ヒッポクラテスに予兆があったという。
   ヒッポクラテスがオリンピアに競技会の見物に行った際、犠牲を供えようとしていたところ、
   肉と水を満たした釜が、火もつけてないのに煮えこぼれたのだという。
   これを見たスパルタキロンが、妻帯しても子を設けぬこと、もし既に妻帯しているなら離縁すること、
   さらにもし既に子を持っているなら籍を外すように忠告したが、ヒッポクラテスはその勧告に従わなかったという。

  • また、ヘロドトスによれば、ペイシストラトスが一度アテネから追放された後、
   メガクレスの差し金でアテネに復帰するために、大柄で容姿も優れたピュエという名の女を武装させ、
   「ペイシストラトスを連れ戻すため、アテナ女神ご自身が降臨した」と先導役に触れ回らせ、
   これによってペイシストラトスが迎え入れられたのだ、と書いている。
(zsphereコメント:実にヘロドトスらしい、眉唾なエピソードであるw)

  • これもヘロドトスによれば、彼が三度目にアテネの政権を得た際、いくつかの政策とあわせて
   デロス島の浄めを行ったという。具体的には、神殿から見える範囲に埋葬されている遺体を
   すべて掘り出して、島の他の地域に移したのだとか。




      参考文献

『古代ギリシアの歴史』伊藤貞夫
『歴史(上)』ヘロドトス


最終更新:2015年07月11日 04:24