この戦いへの参加が大きな栄誉だったためか、アイスキュロスの墓碑銘には
マラトンの野でペルシア軍相手に勇敢に戦ったことだけが記されており、悲劇作家の事には
触れられていなかったという。
- ヘロドトス『歴史』巻六によれば、マラトンの戦いにはアイスキュロスの兄弟にあたる
キュネゲイロスも参加しており、敵船の船尾の飾りに手をかけたところを、戦斧で片腕を切り落とされて
果てたという。
- プリニウス『博物誌』第十巻に、ヒゲワシにはカメを空から落として甲羅を割って食べる習性があり、
アイスキュロスはこの鳥が落としたカメの甲羅に当たって死亡した、という記事がある。
アイスキュロスは運命の女神によって落下物による死を予言されており、そのため須綱威を避けて青天井に頼っていたとか。
参考文献
『図説ギリシア』周藤芳幸
『歴史(中)』ヘロドトス
『プリニウスの博物誌 Ⅱ』
最終更新:2016年05月09日 04:06