- 『饗宴』『パイドロス』などによれば、ソクラテスは履き物を履かず、
常に裸足でいる事で有名だったとか。
- 死刑が確定してから、執行されるまでにはかなり長い間があったとされる。
『パイドン』によれば、
テセウスが
ミノタウロス退治のためにアテネから
クレタ島へ出る際、
もし無事に帰還する事ができれば毎年
デロス島の
アポロンの祭礼に使者を送ると誓い、
実際に無事に帰還できたことから、アテネからデロス島へ毎年花飾りを付けた船を送る風習があり、
この船が帰るまでは死刑の執行は行われなかった。ソクラテスの裁判はこの花飾りが船につけられた
翌日であったため、この船が帰るまで死刑が執行されなかったとのこと。
- 中世イタリア説話集『ノヴェッリーノ』に、ソクラテスを「ローマの高貴な哲学者」と記し、
ギリシアから来た使節をやり込める話があり、この時代にソクラテスのプロフィールがかなり曖昧になっていた
らしいことが察せられる。
参考文献
『パイドロス』プラトン
『パイドン』プラトン
『中世イタリア民間説話集』
最終更新:2016年11月27日 03:58