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 「神の家の子公達は 八幡の若宮 熊野の若王子 子守御前(おまへ) 比叡には山王十禅師
    賀茂には片岡 貴船の大明神」
 (『梁塵秘抄』より。諸社の中でも特に「息子の神」を集めた歌。
    「八幡の若宮」は[[石清水八幡宮]]の摂社、若宮社。[[応神天皇]]の子[[仁徳天皇]]を祀る。
    「若王子」「子守御前」は、熊野十二所権現の若宮、子守宮。
    「山王十禅師」は[[日吉大社]]の摂社、樹下(このした)神社。
    「片岡」は[[賀茂神社]]の摂社、片山御子神社)
 
 
 「関より東の軍神(いくさがみ) 鹿島香取諏訪の宮
  また比良の明神 安房の洲 滝(たい)の口や小鷹明神
  熱田に八剣 伊勢には多度の宮」
 (関東の軍神を挙げる歌。
    「比良の明神」は[[滋賀県]]高島郡高島町にある[[白髭神社(滋賀県)]]、
    「安房の洲」は[[千葉県]]館山市の[[洲宮神社]]
    「小鷹明神」は[[千葉県]]安房郡白浜町(旧長尾村滝の口)にある[[小鷹神社]]、
    「八剣」は[[熱田神宮]]内の別宮、八剣宮(やつるぎのみや)。)
 
 
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+「関より西なる軍神 一品中山 安芸なる厳島
+   備中なる吉備津宮 播磨に広峰 惣三所
+   淡路の岩屋には住吉西宮」
+(「一品中山」は[[吉備津神社]]の後方の山なので、三句目の吉備津宮にかかると思われ、
+    間に厳島が入っているのは写し違いではないかとのこと。
+ 「広峰」は[[兵庫県]]姫路市の[[広峰神社]]
+ 「惣三所」は[[兵庫県]]姫路市の射楯兵主神社([[播磨国]]の総社)
+ 「岩屋」は[[淡路島]]の[[岩屋神社]]
+ 「西宮」は[[兵庫県]]西宮氏の[[西宮神社]]。また同市の[[広田神社]]とする説もある)
 
 
 
 
 「今回取り上げた化合物群はどれも甘味を感じさせるが、見ていただければわかる通り、構造的には全く似ても似つかない。意外なところでは、有機溶剤のひとつ[[クロロホルム]]や、爆薬[[ニトログリセリン]]なども強い甘味を持つが、構造には呆れるくらい何の共通点もない。筆者は分子構造と生理作用の関連について長く研究してきた専門家の端くれであるが、一体どういう分子が甘味を感じさせるのやら、いくら構造式を睨んでも見当すらつかない。」
                                (佐藤健太郎『炭素文明論』)
 
 
 
 「「石」という単位は、大人が一年間に食べる米の量であり、「一万石の大名」とはすなわち一万人を雇用できる勢力を意味した。江戸期には、大名の軍役から農民の年貢に至るまでが、石高を元に定められるようになる。このように、穀物をベースとした経済システムを構築した国は、世界に類例を見ない。」
                                (佐藤健太郎『炭素文明論』)
 
 
 「まことに聖という存在は、中国の過去にも、朝鮮やヴェトナムの歴史にも存在しない。中国では似たものとして道士が存在するが、朝鮮やヴェトナムでは類似のものもない。」
                                (司馬遼太郎『街道をゆく9』)
 
 
 「上島享(すすむ)によれば、九世紀末の宇多朝において、仏事に対する神事優先という神仏観をともなった神祇秩序の形成があり、それが承平・天慶の乱を画期として確立し、定着をみるという。その確立には、全国の神々への奉幣(神に幣帛を捧げること)や祈願によって、結果的に乱が鎮定されたことが影響していた。ここで動員された全国の神々は、神階の加増や経済基盤の授与をうけて、その神威を増していく。」
                                 (『僧兵 祈りと暴力の力』)
 
 
 「基軸通貨には、グローバルな価値貯蔵手段・決済手段・計算単位としての役割が求められてきた。そのためには国際取引の決済手段を海外に提供するべく、基軸通貨国の国際収支は赤字になっていなければならない。
  これは国際貿易が拡大にするにつれ、その決済に要する国際流動性の量が拡大するので、その国際収支赤字がますます拡大しなければならないからだ。しかし対外純債務が増大していくと、基軸通貨の対外的な価値を維持することが困難になる。これが「トリフィンのジレンマ」である。誰もこの難関を突破していない。」
                                   松岡正剛『千夜千冊』1381夜
 
 
 「日本史上、武士が百姓集団と戦い、恥も外聞もなく大量殺戮を行なったのは、十六世紀から十七世紀前半までの時期に限られている」
                                (信長の一向一揆鎮圧にふれて  『要説日本歴史』)