【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】
【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】第5話)豚は生贄ではなかった
《インドネシア旅行記|タナトラジャ|ランテパオ|マカッサル|ジョグジャカルタ》
タナトラジャ3日目、今朝も情報を仕入れに観光局に出向いた。
「明日はケテケスで犠牲祭があるわよ」
ケテケス - それはこの地方独特の船形屋根トンコナンを持つ家々が集まった集落で、この地域で定番の観光スポットとして名高い。
ちょうど今日、僕はそのケテケス村に行くつもりだったのだが、残念なことにもうタナトラジャ最終日。明日のお祭りとはニアミスだ。
でも、もともと訪れてみようと思っていたスポットなので、またもやスクーターに股がりケテケス村に向かった。
この地方の道路は案内板が無い。まれにあったとしても非常に分かりにくいもので、スマホの地図アプリのGPS機能をこまめにチェックしていないとすぐに迷ってしまう。
そうこうするうちケテケス村に到着。3万ルピア(約¥243)の入場料を払って集落の中に進むと、たくさんの地元民が集まって、祭りの準備にいそしんでいた。伝統家屋トンコナンには装飾が施され、祭のごちそう作りでそこかしこから串焼き肉を焼く炭火の煙が立ち昇っていた。
この場で明日、また多くの生け贄の水牛がご先祖様に捧げられるのだろう。
祭りを前に浮かれる村内をぶらぶら散策していると、ある一角に豚が囲われているのを確認した。何匹かの豚は手足を縛られている。
も、もしかしてこのブーちゃん達!!
その豚たちを眺めていたら男たちがやってきた。脚を縛られた豚はブヒブヒと声を上げている。そのうちの一頭に対し、男がナイフを一突き。心臓を直撃された豚は、ブヒーと壮絶な悲鳴をあげた。
牛を屠るときは喉を掻き切ったためであろう、鳴き声は一切なかったが、豚の場合はやり方が違うようだ。
初めはジタバタしていた豚も、やがて息絶えると、男たちはガスバーナーを取り出した。そして表面の毛に炎を当て焼き落とす。
一通り焼きを入れると、ナイフを当てて毛をこそぎ落とす。そして腹を裂いて切り開き、内臓を両手でかき出して取り出す。その内臓は別の男に渡され、男は丹念に下処理にとりかかっていった。
臓器を取り除かれた豚の胴体は、すぐさまは調理場の隣に運ばれる。男たちがナタで手頃な大きさの肉片へと切り分けていくと、そこから先は女たちの出番だ。竹筒の中に香草と共に刻まれた肉が詰められ、炭火でいぶされる。あるいは細かく切った肉をそのまま串刺しにし、炭火で炙り焼きにする。
さっきまで生きていた豚ちゃんは、竹筒料理や串焼き料理となっていく
ここでは屠殺と調理が一体となって繰り広げられている。いや、そうではない。屠蓄はもはや調理の一部ですらある。
そういえば、このケテケス村の犠牲祭は明日だと観光局の職員は言っていた。今日はお祭り本番の日ではない。その準備の日だ。つまり豚をつぶすのは祭りではなく単なる食事の準備に過ぎないということか!!
そうだ、そうに違いない。昨日のパラワ村にしても観光局職員は「昨日が犠牲祭だ」と言っており、確かに水牛が生贄としてささげられたが、その前日何頭もの豚が屠られたことは、トラジャ人の認識ではそれは単なる食事の下ごしらえなのだ。だから一昨日のことを観光局職員は犠牲祭とは言わなかったのに違いない。
そんなことを感じつつ、今この場を包み込む肉を焼く香ばしい匂いに強烈な食欲を感じてしまった。
そしてあまりにも物欲しそうに焼かれた豚串を見ていたせいだろうか、現地のおじさんが「ほらお前も食え」と一本の焼きトンを差し出してくれた。
うまい!!
ううん、豚は潰したてが1番!!
最終更新:2018年09月16日 23:22