【モザンビークで観光旅行?!】
第4話)ナイスな田舎街、イニャンバネ

《モザンビーク旅行記|マプート|カテンベ|イニャンバネ|トーフ》

ウェイティングにはなったものの、なんとか国内線の席は確保された。30人も乗れば満員になる小型プロペラ機は途中ビランクーロとかいうところを経由し、2時間ほどででイニャンバネに到着。日本のローカル線の駅舎より小さい建物がこの空港の全てだ。

空港から街までの公共バスなど存在しない。他の乗客は知り合いの車や、ロッジの出迎えバンに乗り込んで行く。僕も出口を出てタクシー乗り場を探す。すると、

 一台しかタクシーないじゃん!

まあ週数便しかない空港ならこんなものなのであろう。ともかく他の乗客に先んじて足を確保せねば。

 「ペンサォン・パチーサまで」

と、僕はこの街唯一の宿の名をタクシーの運ちゃんに告げた。イニャンバネは小さいけれどもこの辺りではそこそこの規模の港街である。にもかかわらず宿が一軒しかないのはわけがある。さらに30km程離れたトーフビーチがツーリストエリアになっていて、たいていの観光客はそっちに行ってしまうからだ。

現地人が暮らす円錐形の草葺の家々が車窓を流れるうちにタクシーは海岸沿いの小道に入っていった。この街唯一の宿「パチーサ」はなかなかこざっぱりとしたいい感じのペンションであった。庭先はダイレクトに海岸通りに面しており、海辺の眺めが素晴らしい。

ペンサォン・パチーサ - モザンビーク
ペンサォン・パチーサは、目の前の海に沈む夕日も美しい
ペンサォン・パチーサ - モザンビーク

シャワートイレ共同で一泊800メティカシュ(約3,700円)は安いとは言えないが許容範囲である。というか許容しないと野宿しかないので、空室があってホっとしたというのが本音だ。

モザンビークは世界最貧国の一つである。にもかかわらず宿代と交通費(ローカルバスを除く)は安くない。これは裏を返せば「旅行」などという遊びは、この国では贅沢な行為であるということなのだろうか。内戦が終わって10年ちょっと。庶民はまだまだ旅行どころじゃないのだろう。

さて、一息つくと早速街に繰り出した。この街はさほど内戦の被害を受けていなかったようで、植民地時代のコロニアルな建物がひっそりと立ち並ぶ。おや、大通りにカフェがあるんじゃないか。どれ、ちょっと一休みしてエスプレッソなどでも。う~ん、なんかポルトガルの田舎街に来ているようだ。南国といえど南半球の8月は冬だから気温も涼しく快適である。

イニャンバネの街並み
コロニアルなイニャンバネの街並み

イニャンバネの海ではダウ船と呼ばれる帆掛け舟が今でも現役だった。小さなダウ船が潮風に吹かれて長閑に水面を行き交う。この街は想像以上に居心地がいいぞ。

ダウ船
ダウ船

時間はゆっくりと流れていった。

(続く)


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最終更新:2016年08月24日 09:26