【桂林(クイリン)・陽朔(ヤンシュオ)、山と川と田んぼの旅】
第2話)ローカルバスで行く龍脊(ロンチー)棚田地帯
《中国旅行記|桂林|龍脊|陽朔|漓江》
桂林(クイリン)といえば山水画の世界をゆく川下りで知られているが、もう一つ、チワン族が切り開いた龍脊(ロンチー)の棚田地帯も有名である。泊まったゲストハウスの現地ツアー案内冊子で、龍脊(ロンチー)へのツアーを調べてみると、
- One Day Tour …200 Yuan
- Travel Alone …76 Yuan
とある。つまりツアーで行くと200元(約¥3,400)かかるが、ローカルバスを乗り継いで自力で行けば76元 (約¥1,224)で済むという。だったらバスで行くしかないでしょ、と言いたいところだが、問題があった。
言葉である。
ここ数年、中国語をかじり始めた僕だが、未だに自信を持って話せるフレーズは、
我 是 日 本 人、我 不 明 白 中 文。
(私は日本人です。中国語はわかりません)
ぐらいなのだから情けない。
だが、言葉というものはスポーツと同じで、練習しないと身につかない。その昔、日本にJリーグができたころ、初の韓国人Jリーガーとなったノ・ジョンユン選手は、「お金は使えば使うほど減っていくが、言葉は使えば使うほど増えていく」と言って、通訳を付けずにサンフレッチェ広島に入団し、すぐに日本語を覚え、その後長く活躍した。
そう、言葉は使わなければ身につかないのだ。
多少の困難はあろうとも、いざ行かん、ローカルバスで!!
まずは桂林(クイリン)の西にあるバスターミナルで棚田の入り口となる和平(フアピン)行きの切符を購入。
窓口ではきちんと印字されたチケットが渡された。そこには発車時刻も、何番のプラットホームから出発するのかもしっかり記されており、ここまでのところは不安はない。
しかし、今回の旅程は、和平(フアピン)で途中下車し、そこから平安(ピンアン)という棚田の麓の村行きバスに乗換えるという困難なタスクが課せられていた。
カタコトの英語でも通じれば容易なミッションであるが、大都会のタクシー運転手ですら「エアポート」の英語が通じない国である。ましてや都会から2時間離れた山奥で外国語が通じることを期待する方が間違いだ。
中国のバスは、日本のように車内アナウンスなどしてくれない。まずは乗り過ごさないよう注意が必要だ。
中国語会話集の例文を参考に、とりあえず運転手に
到 了 和 平、請 叫 我。
(和平フアピンに着いたら、教えてね)
と言ってみた。これが正しい中国語なのか定かでないが、こちらの意図は伝わったようで少しホッとする。
山道を2時間弱走ったところでバスが停まる。すると乗客がぞろぞろと下りて行った。どうやらここが和平(フアピン)のようだ。人の流れのままバスを降りると、目の前には1台のバンが停まっていた。フロントガラスのプレートには「平安(ピンアン)」と記されている。
なんと目当ての平安(ピンアン)行きではないか。
このミニバスは1日に数本しかない。それが何時に出発するのか謎のままであったので、1時間程度の待ち時間は覚悟していたのだが、目の前に今すぐ乗れる状態で遭遇するとは、なんとラッキー!!
と喜んだのもつかの間であった。中国の旅がそんなに甘いわけがない。
ミニバスの車内は既に乗客で溢れ、座れるところなどありはしない。すし詰めの狭い車内で立ち席のまま険しい山道を進まねばならない。
つづら折りの坂道を右に左に大きく車体を振ってミニバスは進んでいく。東京の通勤ラッシュで満員車両には慣れているはずのオイラだが、急カーブの連続が引き起こす遠心力に抗う力は持ち合わせていなかった。
ああ、ヤバい。ゲロ吐きそう。
苦しみの40分を耐え、ミニバスは棚田入口の駐車場に到着。良かった、無事到着したぁ。
景観保存地区となった村には入場料を払って入る。入り口付近は土産物屋や食堂が立ち並び、乱開発とは言わないまでも、それなりの人気観光地であることがうかがい知れる。
しばし狭い坂道を登っていく。時折、背中にカゴを背負った少数民族のおばちゃんとすれ違いながら、高台に上がる。
眼下には山肌を埋め尽くした広大な棚田の光景が広がっていた。
等高線に添って重ね合わされた巨大なケーキとでも言うべき土地が、はるか何百年も昔に人の手で築き上げられ、現代に至るなんて、にわかには信じがたい。
この壮大なパノラマ、ゲロ吐きそうになってまで、やって来た甲斐があったと言うものだが、次に来るときは200元(約¥3400)払ってツアーで来ようっと。
最終更新:2017年05月28日 19:58