【そして牛を巡る冒険/奄美群島の旅】
第4話)ご長寿ロードを行く

《旅行記|徳之島|闘牛|亀津|伊仙|奄美大島|名瀬|喜界島》

名瀬で一泊した後、今度は徳之島に渡る。今回の旅のメインは、 実はこの徳之島であった。

徳之島は闘牛の島として知られている。5月の連休には数日間に渡って闘牛大会が開催され、それに合わせて今回の旅の予定を立てていた。

徳之島 旅行記|闘牛大会の告知ポスター
徳之島は闘牛の島、大会告知ポスターが島のあちこちに

初日は普通に徳之島を観光し、2日目にナイター大会、3日目に午前の大会を観戦し、同日の夕方の船で奄美大島に戻るという完璧なスケジュールを組み立てていた。

そして初日の観光にはバイクを借りて島内を周るつもりでいたのだが、、、

 「ない。しまった!! 忘れた!! 免許証!!」

痛恨のミスである。公共交通が貧弱な離島で足をもがれてはどうしようもない。

泣く泣くバイクを貸自転車に差し替え、徳之島観光をスタートさせることとなった。

だがバイクならどうということのない道のアッブダウンも、人力エンジンには相当こたえる。足にはすぐに乳酸菌が溜まり、心臓はバクバクだ。

こうなったら見所を絞るしかない。

闘牛の次に徳之島で有名なもの ― それは長寿世界一でギネスブックにも載った泉重千代翁だ。

翁は慶応元年に徳之島の伊仙町に生まれ、生家跡には120歳で亡くなった翁の銅像があるというので、行ってみた。

「泉重千代翁之像」と示された道路標識に従って自転車を漕いで行く。地図上では平坦に見える田舎道も、実際は登り坂が続いており、なかなかたどり着けない。

ようやく農道を登りきると、その先に翁の像が佇んでいた。そして、その銅像の碑文を読んで僕はのけぞってしまった。

徳之島旅行記|泉重千代翁之像
泉重千代翁之像―碑文に記された翁の母の名は「つるかめ」

碑文に記された翁の母親の名は、なんと「つるかめ」― そりゃ長生きするわい。

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徳之島は、さらにもう一人ギネス長寿世界一を輩出している。本郷かまと嫗(おうな)である。 116歳まで長生きしたその嫗もまた徳之島の伊仙町出身だというから、いったいどんな町なのだ、伊仙町!!

当然2人は伊仙の名誉町民である。そして重千代翁像とかまと嫗の生家跡を結ぶ道は長寿の道とされている。

徳之島旅行記|長寿の道
長寿の道

同じ町内なのでその距離は自転車で十分訪問可能な範囲だ。僕は翁像から嫗の生家跡を目指してペダルを漕いだ。しかし、あるはずの場所に着いても、それらしい史跡も標識もない。

せっかくのご長寿パワーにあやかろうと思ったのにこれでは片手落ちだが、見つからないものは見つからない。諦めてその先の犬田布(イヌタブ)岬まで足を伸ばすことにした。

そして一通り岬を見物し、帰路につく。暗くなる前に街の宿に戻らねばならぬが、それにしても、どうして嫗の生家跡だけ見つからなかったのだろう。この辺りのはずなのに・・・

 あれれ、あの看板は何だ

行きの方向では死角となって見つからなかったが、逆方向から向かって見ると、民家の隣の空地に何やら看板らしきものの存在が確認できた。

近づいてみると、それはかまと嫗の生家跡の印であった。

徳之島 旅行記|本郷かまと生家跡
本郷かまと生家跡

にしても、重千代翁の場合、道路標識はあるは、銅像は建つはと存在感満点なのに対し、かまと嫗の扱いは満足な案内標識ひとつなく、同じ名誉町民なのに随分と差があるではないか。

 「かまとさんは島を出て鹿児島市で暮らしてたからね」

後で島の人に聞くとこう返ってきた。確かに120年の一生を徳之島で過ごした翁と、出身だけが徳之島であった嫗とでは扱いに差が出てくるのも仕方があるまい。

だとしても、もう少し嫗についてもアピールしてあげてもいいのではありませんか? 徳之島役場の皆さん。

とりあえずその「本郷かまと生誕の地」、オイラがG・・ le マップに登録しておいたから。役場の皆さん、この旅行記読んだら感謝の金一封よろしくね。

(続く)


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最終更新:2016年08月24日 20:56