【世界経済を回せ!―復興祈念? 台湾の旅】
第4話)鉱夫になろう
||台湾|台北|蘇澳|平溪|十分|九份|の旅行記||
翌朝蘇澳を北上し、その昔は鉱山で栄えた瑞芳地方に向かう。この辺りには鉱山の遺構がある十分、映画の舞台にもなったノスタルジックな風景が魅力の九份といった日本人にも人気の観光地を控えている。
瑞芳駅で荷物を預け、今日は十分を中心に国鉄・平溪線の沿線をふらつく予定だ。
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昔は単なる石炭運搬線に過ぎなかった平溪線だが、今は沿線の美しさが台北からの日帰り客に大人気の観光鉄道に様変わりし、事実日曜の今日は大勢の観光客で大混雑している。渓谷に沿って20分も走ると十分駅に到着。駅周辺の民家が線路ギリギリまで迫まる様は、特に"鉄"な心を持つ観光客のハートを熱くさせ、線路内まで人が溢れる始末。鉄道会社の「禁止行人通行」の標識はまったく意味を成していない。
十分駅から5分ほど歩くと、廃坑の前に「煤礦博物館(炭鉱博物館)」の建物が見えた。入場料を払って、炭鉱の遺構に向かって歩き出す。すると、係のネーちゃんに中国語で呼び止められた。
「何だよ、お金払って入ってるのだから文句を言われる筋合いはないだろう」
と納得できずも、これはきっと何かあるに違いないと立ち止まる。どうやらここで少し待ってろと言ってるようなので、しばし腰を下ろしていると、
「さあ、シャトルバスに乗ってください」
とミニバンからオヤジが日本語で声をかけてきた。実はここは単に博物館入口に過ぎず、本館はもっと山奥にあるのだという。
炭鉱博物館の入り口(上)と、山の上にある本館(下)
急な九十九折の山道を5分ほど駆け登り、本館に到着した。
「日本の方、案内しますよ」
と、オヤジが言う。台湾の年配の方は多くが日本語を話すので、時折外国に来た気がしなくなる。
「じゃ、記録映画を上映します。字幕は漢字なので何となく解るから読んでください」
おいおい「案内する」と言って「読んでください」なのか? まあいいだろう。
映画は、この炭鉱が廃坑になる一年前の1996年に撮影されたものだった。中国語の字幕は解らなくても映像だけで当時の様子は十分うかがい知れた。煤だらけになって働く鉱夫たちと当時の十分の街並みからは、今の観光地の華やかさなは微塵もなく、ある意味この鉱山の街が観光地としてここまで発展したことに感心する。
「では、トロッコに乗ってみましょう。このトロッコは揺れるのでお尻が痛くなるから気をつけて!」
なるほどトロッコの線路はカーブが滑らかな曲線ではない。子供の下手な工作のようにカクカクして、乗ると揺れがひどくまるで拷問だ。世界に数あるテーマパークのアトラクションの中で乗り心地は恐らくワーストワンであろう。こんなのに乗って毎日暗い坑道に出勤した鉱夫の生活は楽じゃないよな。
博物館の食堂では「礦工便當(鉱夫弁当)」が食べられ、これがけっこう美味しい。
トロッコに乗り、鉱夫弁当を食べ、ちょっとだけ炭鉱夫になった気分が味わえる、中々有意義な博物館であった。
最終更新:2016年08月27日 00:53