【メコン左岸にて-ラオス中南部の旅】
第1話)携帯電話

《ラオス旅行記|ビエンチャン|ヴァンビエン|ターケーク|サワナケート》

2009年の9月に突如現れた5連休(通称シルバーウィーク)。これが仲間ウチで話題になったのはこの年の初めのころであろうか。僕らはこれを利用し、ラオスに協力隊員として赴任しているU君の所に集まる相談を始めた。

2年の予定でビエンチャンに滞在しているU君は、いい加減都会の香りが吸いたいらしく、バンコクまで出てくるという。ならば交通の便の良いバンコクで集まればいいものを、仲間の一人Fさん(彼は1年前にラオスを訪れているのだが)が、「僕はどうしてもラオスの"のほほ~ん"とした雰囲気をもう一度味わいたい」と駄々をこね、シルバーウィーク初日にU君ともどもバンコクで落ち合い、翌日ビエンチャンに飛ぶ予定を決定し、9月を待った。

出発2~3ヶ月前になると、宿の手配やら、現地行動の予定など楽しい相談が仲間内で飛び交いだす。だが、発起人の一人であるF氏の様子がおかしい。どうもシルバーウィークはラオスに行けないらしい。結局F氏は「すいません、9月はキューバに行きます」と宣言し離脱してしまった(最終的にF氏はキューバにも行かず、米国で賭博に手を染めていたらしいが真相は定かでない)。

しかし残りの4人(Iさん、Kさん、Cさん、僕)とU君のメンバーたちは、9月のラオスをどう過ごすかに気を取られ、ラオス行きを決定付けた張本人のことなどすっかり忘れて大いに盛り上がっていた。

4人はいずれもバラバラに東京・大阪を飛び立つが、初日のバンコクは同じホテルを予約しておいた。まあ、飛行機が飛ばないとか余程のことがない限り落ち合えないなどという事はない。

バンコクの某ホテルに集結
バンコクの某ホテルに集結

出発数日前になると、メンバーから各自の携帯番号を知らせるメールが届いた。まあ用心に越したことはない。僕のケータイはそのままでは海外で使えないタイプなのでレンタルすることにした。D社の場合、一日105円で海外携帯が借りれたはずなので、ショップに行って申し込んだ。すると

 「レンタル料金は一日315円に値上がりしました」

なに~!それは困った。僕はバンコク&ビエンチャンで仲間と過ごしたあと、休暇を追加してラオス南部のメコン川左岸を下り、計9日間の旅程を立てていた。レンタル料が105円なら9日間でも対した金額ではないが、315円となるとかなりの出費である。

僕はそれとなく仲間に「携帯を持っていかなくても良いかなぁ」と打診してみた。すると「そんな非常識なこと許されて良いのか」的な反応が返ってきてしまった。

「いやー、携帯が必要なのは初日に万が一飛行機のキャンセルとかでホテルに着けないとか、非常事態の連絡用だし、別に僕が携帯を持ってなくても、どこかの固定電話から誰かの携帯にかければ良いわけだし…」などと理屈をこねようものなら速攻で不可触賤民扱いされかねない勢いだったので、止めておいた。

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そうこうする内、待望のシルバーウィークが始まった。夜遅い便で到着のIさんを除いて、予定どおりメンバーはバンコクの某ホテルで落ち合い、U君たっての願いで和食の店に行くことになった。

和食屋「さざえ」さん
バンコクの和食屋「さざえ」

 「やー、バンコクの和食はレベルが高い。最高!」

U君は感極まることひとしおであった。

 「Iさん、まだ連絡ないね。」

などと呑気に飯を食っていたら、しっかり者のKさんの携帯にIさんから連絡が入った。

 「誰にかけても繋がらないよ!」

と怒るIさん。どーしてこうなる。すると、U君はバンコクで携帯を買い代えていたり、Cさんはバックの奥底にしまったままだったり、僕に至っては皆と合流できた安心感から、携帯をホテルにおいてまま不携帯だったり、、、

結局、用意した僕らの携帯はほとんど役立たずに終わった。いくら便利な道具があっても、それを使う人間の方が役立たずでは意味がない。

つくづく僕らは団体行動が苦手な集団なのだなぁと痛感したが、一度も使わない携帯電話のために、2835円も失ったことが僕的にはもっと痛かった。

(続く)


付録:(余談だが半年後「さざえ」はメイド寿司!!になっていた。)


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最終更新:2016年08月27日 18:54