【お気楽軍団、ラオスを行く】
第4話)プチ『脱北』?
《ラオス旅行記|ビエンチャン|タイ|ウドンタニー|コーンケーン》
翌日はビエンチャンっ子に人気No1のブッタパークに行ってみた。ナンバーワンの理由は単純である。他にこれといったアトラクションがない、というだけの話だ。否、最近できたボーリング場がNo1という説もあるが、まあいずれにしてもその程度のレベルということだ。
ブッタパークというのは通称で、本当はあるお寺の境内に鎮座する奇妙な仏像が立ち並ぶ公園のことだ。ビエンチャンの中心からやや離れているので車で行くしかない。ここは東京やバンコクのようなメータータクシ-なんてお洒落な交通手段は存在しない。全て交渉制のトゥクトゥク、それも自動車エンジン搭載でない、オートバイ改造のひ弱そうなヤツだ。
一行のリーダー・Sさんは、それとなく協力隊員U君に料金交渉の切り込み隊長を務めるよう目で訴えかける。さすが国家予算でラオ語を半年間特訓させられたU君、直ぐにトゥクトゥク親父と現地語で交渉に入る。
「いやー最近トゥクが強気で値引きしないのですよ」
昨今の原油高はこの長閑な国とて無縁ではなかった。ガソリン代の高騰はトゥクの相場にも影響を与えている。どーやら、U君一人では交渉に迫力が欠けるので、すかさず僕もタイ語で援軍に入ろうとした。因みにラオ語はタイ語の親戚みたいな言葉なので9割は同じ言語と思っていただいて差し支えない。
「ブッタパークまで幾らって言ってる?」
「4人で200,000キープ(約2,000円)って言ってますね。」
ではその半分くらいの『100,000キープでいいだろう』とタイ語で言おうと思ったその瞬間、僕は凍りついてしまった。
タイ語で『十万』って何というのだっけ?
旅行で使う外国語の基本は数字である。極端な話、数字さえわかれば最低限の意志疎通は図れる。タイ語なら1から100まではマスターしているし、実際タイでは100までの数字で何の問題もなかった。しかし、ラオス通貨キープは限りなーく価値が軽い。ここラオスでは数字の桁がべらぼうに多いのだ。
万、十万、百万という巨額なタイ語はマスターしてなかった。どーしよう。
リーダー・Sさんが値段交渉サブ隊長役を無言で僕に命じているのは言うまでもない。ともかく『高すぎる!』だの、『本当に?』だの、無難な単語を並べて時間を稼いで、U君が次の数字を言うタイミングを待ったが、結局値段はそれほど下がらず、ほぼトゥクトゥク親父の勝利値で我々はブッタパークに向かわざるを得なかった。
ブッダパークはかなりの賑わいだ。なるほど他に娯楽のないビエンチャン。さしずめ、ここはラオスのディズニーランドといったところだろうか。
奇妙な玉葱型の塔に登ったりしたあとは、近くのタイ=ラオス友好橋に向かった。メコン川に架かるこの橋は、目の前にタイという外国が眺められるせいか、そこそこの観光名所になっている。内陸国のラオスにとってメコン川は海みたいな存在。ということは、この橋はラオスのディズニーシーと言えなくもない。
橋の真ん中まで歩いていくと中央20mは両国の緩衝地帯になり、さらに先はタイの国旗がはためき、立ち入り禁止だ。でも警備の兵隊がいるわけでもなく、小さな柵が歩道をふさいでいるだけだ。ううん、なんかこの柵乗り越えてみたくなっちゃった。
「向こうに行っても大丈夫?」
ふとそこらの親父に聞いてみる。
「ああ、問題ないよ」
そのへんの親父が出した『出国OK』にどの程度法的根拠があるのかは知らないが、ともかく第三者のお墨付きが得られたのだから良しとしよう。僕らは、ちょいと柵を乗り越えタイ領に踏み込んでみた。
しかしドー考えても、これって明らかな密出国行為だよなぁ。否、北のラオスから南のタイに抜けたのだから『脱北行為』ということになるのかもしれない。
だからと言って何が起こるわけでもない。そんな些細なことで悠久の大河は動じないのだ。ただメコンを渡る風が爽やかなだけであった。
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最終更新:2016年08月27日 18:43