【お気楽ウズベキスタン旅行】
第7話)本当に心配したことは?

《ウズベキスタン旅行記|タシケント|サマルカンド|シャフリサーブス》

一日遅れでS木さん親子とU飼君がタシケントに戻ってくる。最後の夜はまたみんなでメシでも食おうということにして、S木さん親子ご宿泊の「ラ・メリディアン 」に夕方集合とだけ決めておいた。

世界的に有名なメリディアンホテルは「ル・メリディアン」じゃない?「ラ」の方はなんちゃってホテルに違いないと旅行前にS木さんに指摘したら、本気で心配してい たが、ちゃんと本家の「メリディアン」であった。なんのことはないガイドブックに誤植があっただけである。

さすがに世界の一流ホテルは違う。乾燥した中央アジアを一週間も旅すると靴が埃だらけで茶色に変色してしまう。だが一流ホテルには各階のエレベーター出口に自動靴磨き機が設置されている。靴を履いたままそこに足を突っ込めばあっという間にピカピカになる、しかもタダで。旅友達には自分よりカーストの高いホテルに泊まってもらうに限る。

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さて、話を少し前に戻そう。6時過ぎにS木さん親子とホテルのフロントで再会、やや遅れてU飼君がやって来たので、僕らは運河沿いのレストランに向かったのだが、実はU飼君、前日に貴重品一式を盗まれていた。無論パスポートも紛失!

急遽首都に戻って今日一日は日本大使館やらウズベキ当局やらを駈けずり回って大変だったのだという。そして極めてラッキーなことに大方の手続きを済ませ、明日 必要書類を受け取り、夜の飛行機の出発までには何とかなるところまでこぎつけていた。

「いやー、参りましたよ」とぬかしながらも彼の表情は明るい。パスポート紛失という大失態を犯しながら、一日の遅れもなく帰国できるなんて、不幸中の幸いの中でも最上級のものといえよう。無くしたタイミングが首都に戻る前日というのが絶妙だし、戻った日が木曜日でその翌日も大使館が開いてる金曜日だったのもこれまたラッキー。一日ずれて土日が挟まっていたらこれでもう帰国は確実に2日遅れる。

羊の串焼きをむさぼりながら「いやー、ビザのコピーをとっておいたんで助かりました。」とU飼君。なるほどビザのコピーねえ。のほほ~んとしてそうに見えるが意外にU飼君しっかり者であった。パスポートのコピーは僕も何かのために用意ているが、ビザの控えは怠っていた。要ビザの国ではこれも必需品である。

タシケント-レストラン
パスポート紛失から立ち直ったU君

オープンエアのレストランで、今となってはほぼ笑い話になりつつあるパスポート紛失ストーリーを肴に僕らは盛り上がっていた。するとそこに韓国系ウズベキ人が通りかかった。「ああ、お世話になったガイドさんですよ」とU飼君。一人で役所周りはとても無理と判断した彼はガイドを雇い、現地語対応で諸々の手続きを手伝ってもらった。こういうときは現地の事情に通じた人を頼るに限る。

このレストランは観光客に人気があるらしく、行きの飛行機で一緒だった日本人団体客の人たちもやって来る。彼らとはサマルカンド大学の交流会やらその他いくつかの観光スポットで何回も顔を合わせていたが、パスポート紛失話をするとツアコンのオネーちゃんの表情が一瞬だけ固まった。きっと「嗚呼あたしのツアーにこんなお馬鹿連中が居なくて良かったぁ」と心の中で安堵したに違いない。

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翌夕、僕らは飛行場で再会した。U飼君は首尾よく「帰国のための渡航証」なるパスポート代わりの書類を手に入れていた。こんなペラペラの紙切れではたしてチェックインやら出国手続きができるのかいささか頼りなさげではあるが、ともかくチェックインの方は問題なく通過。これで自信を深め意気揚々のU飼君。いよいよ本丸の出国カウンターへと向かった。

帰国のための渡航証
これがパスポート代りの"帰国のための渡航証"だぁ

僕の前に先にU飼君が手続き、すると見慣れない書類に係員の顔が曇る。そしてのたまった

 「君、ビザがないよ」

 「当たり前だ、パスポートを紛失したのだから、パスポートに付いてるビザだって
  一緒になくなるだろう!」

そう後ろから僕は英語で援護射撃をしたつもりだが無駄打ちに終わったようだ。係員は聞く耳を持たない。U飼君のさっきまでの明るい表情が見る見る萎んでいく。まるで90分間1点差でリードしながらロスタイムで追いつかれたドーハな気分だ。

そういえば思い出した。たしか98年フランスW杯予選で、当時日本代表の加茂監督はここウズベキスタンで更迭され、日本代表からおさらばしたことを。U飼君もここで日本人とおさらばしてウズベキの人となるのだろうか?

ともかく彼は別室へ送られた。僕とS木さん親子は先に出国手続きを済ませ、彼が戻ってくるのを免税店前で待つ。が、なかなか彼は戻ってこない。5分、10分。刻 々と時間は過ぎ、飛行機の出発時刻が近づく。やがて出国カウンターに晴れ晴れとした表情のU飼君が表れた。僕らを見つけると両手を上げてガッツポーズ。何でもビザの出国欄にサインがないので(ビザがないから当たり前)、ビザのコピーにサインをもらってきたのだという。ともかく良かった。

彼が帰国できようができまいが僕の知ったことではないが、僕には彼には出国してもらわねばならない理由があった。というのもお金に乏しくなった彼に僕は20ドルを貸してあげていたのだ。もし彼が出国できなくなったら、僕のお金は回収の見込みがつかなくなる。

U飼君、本当に心配したんだよ、20ドル分だけ。

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ともかくこうして僕らのウズベキの旅は終わった。滞在中のウズベキスタンはお気楽にのんびりと旅行ができたので、まさか帰国の一週間後にかの地で暴動が起きるとは夢にも思わなかったが、ともかくU飼君は新生名古屋空港のパスポート紛失帰国者第一号(推定)としてその名を歴史に刻んだこととなった。

=FIN=


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最終更新:2016年08月27日 09:42